見習い占い師 美琴の事件簿

藤沢はなび

文字の大きさ
5 / 6
事件簿1

美琴の決意

しおりを挟む



 ミュージカルのカーテンコール。
 美琴は「うぅっ」と嗚咽と共に涙を流し、舞台上で燦然と輝く推しの長崎虎之助を真っ直ぐに見つめていた。

 ーー前から6列目のやや右寄りのほぼ真ん中!チケット運最強!私!
 と当選した時は飛び上がって喜んだものだが、そんな幸せは今この瞬間の涙にすべて凝縮され私の頬を伝っていく。

 美琴の目は彼に釘付けだったため、手探りでショルダーバッグから、気合を入れて持ってきたハンカチを取り出そうとする。
 今日は推しに会えるのだ。これ程かとマスカラを塗りたくってきた。
 私の可愛い瞳もそろそろパンダになっている事だろう。

 美琴の手が財布を掴む。
 ……財布じゃない。携帯でもない。メイクポーチ……あ。

(ああああああああぁぁぁ!!)

 感動に取り憑かれ、すっかり忘れていたが、美琴の可愛らしいハンカチは、美琴の優しさで数時間前に出会ったオジサンへと渡ってしまったのだ。

 以降美琴はマスカラが目の下に流れ出てないかだけが心の中を埋めつくしたのだった。

 終演と同時に化粧室へと駆け込み、メイクポーチで何とか顔を整える。
 ハンカチなんて渡すんじゃなかったと荒ぶる手先にはいつぞやの美琴の優しさの影も感じないのであった。

「リップ……」
 カバンの小さな収納のファスナーを開けると、リップと共に1枚の名刺が入っている。
 美琴の荒ぶる手は一瞬停止したが、その名刺を無視し、お気に入りのリップを手にする。
 だが、使用し終わったリップを戻す時にも美琴の荒ぶる手は停止した。
 今度は恐る恐るその名刺を手に取った。

「あの、すみません」
 突然の後ろからの囁きに肩をビクッと震わせたが、すぐにその理由がわかった。
「あ、ごめんなさい。すぐ出ます」

 化粧室には長蛇の列が出来ていた。


 名刺を片手に劇場を後にし、最寄りの駅までポツリポツリとゆっくり歩く。
 さっきまでのキラメキはなんだったのだろうか、拍手と舞台上の光を見つめて私は少し前まであの劇場の中に居たのに……とお決まりの感情を感じつつも、
少し心に穴が空いたような気がするのは、長崎虎之助と別れる寂しさ故か、ミュージカルが悲しいお話だったからか、それともこの……。
 癪ではあったが、もう一度、今度は真剣に名刺に目を通した。


「君の助けを求めている人が沢山いる。君の力はきっと誰かの役に立つ。天職だよきっとね、俺が言うんだから間違いない。楽しんで!」

 藤原紀人が、美琴を送り出す直前に言ったその言葉を思い出す。
 今までの涼やかさとは違う、ほんの1%にも満たないが彼からは"必死さ"を感じたのだ。
 美琴は、その彼の瞳に灯る僅かな希望を無視する事に罪悪感さえ覚えた。
 それは美琴の人の良さ故の感覚である。
 そして、その感覚は時に鋭いナイフとなって自らの心を刺すこともある。
 ーー幼い頃から何度もだ。
 だが、美琴自身でも言葉にし難い強い芯のようなものを曲げることは出来なかった。
 それを弱さとも呼ぶのだと美琴は密かに感じていた。

 紀人が美琴に感じたように美琴もまた紀人に興味を持ち感動さえ覚えたのは紛れもない事実なのだ。

 彼から何も感じ取れないというのは、美琴にとって奇跡にも等しい出来事だった。
 もっとも、相手は美琴の事は視えているようだったし、登場の仕方が仕方だけに、良くいえば戸惑い……悪く言えばキモイな、と感じた事は間違ってはいないが。

「こんな人、二度と会えないよな」
 苦笑と共に静かに呟いて、猫ズの住所に目を移した。
 ーー秋葉原ーー
「近い……」
 奇しくもここから3駅ほどで着いてしまう。時間にすれば10分弱という所だろうか。

 気付けば劇場からほど近い駅の改札前まで来ていた。
 改札手前の隅っこの隅の方まで歩き、不安な面持ちのまま美琴は立ち止まる。

 まさか、これも紀人の計算済みだったのか……と不穏な考えが頭をよぎるが、その感情は半ば強引に揉み消した。
 例え紀人の掌の上で転がされていたとしても、信じてみたいと思ってしまったのだ。
 ーー0.5%くらい。

 彼が自分と同じ感覚を持っている人なのであれば、過去の苦労を理解してくれるかもしれないと。
 理解、それだけで世界が救われることもあるのだ。今日出会ったオジサンのように、美琴も救われてみたいと思わない日がないこともなかった。
 美琴にとって遠い昔に諦めた感情であったはずなのに、僅かでも望んでしまうのは、紀人の正体が分からない故に"期待"してしまうからだろうか。

(ちょっと待て。このままじゃ私、ただあの藤原紀人に占って欲しいだけの人みたいだ!)
 と都合の悪い方向へと思考が絡まる美琴。

 そしてやっと、今現在絶賛ニート中である自身の悲惨な状況を思い出した。
 一緒に暮らしている祖父母に最近、
「美琴、バイトはどうしたの?」
 とついにこの間、聞かれてしまったのだ。
祖父母の為にも、食べていく為にも、推しに貢ぐ為にも!お金が必要なのだ。
 誰にどう思われようと美琴の1番の本音はここだ。
 あの時は動揺を隠したが(隠せてはいない)、時給4、5000円という高時給アルバイトを見逃す訳にはいかなかった。
 ーーせめて見学くらいはいいじゃない。
 と、不純な動機を本音に添えて。

「行くしかないか……!」

 本音は心の中だけに留めておいて、美琴は改札へと踏み出す。

 その時踏み出した一歩が、美琴の未来にどんな光と闇をもたらすのか。
 彼女が感じたのは、不安と高揚感と、僅かな希望、であった。

(よーし!行ってやるわ!)

 隠しきれぬニヤケ顔と共に、定期を改札に勢いよくタッチして進もうとした。

 ピンポーーーン!!!
 チャージ、してください。チャージ、してください。

 デジャブだわ。
 無機質な機械音が美琴の鼓膜と胸を震わせた。

 さっきまでの隠しきれぬニヤケ顔は一瞬にして消え去る。

「やっぱり、行くの辞めようかな」

 初めて紀人を見た時のような冷めた表情で、チャージ機へと歩いていく。
 そして、チャージへの行程の為に手を動かしながらも、美琴の心の声は止まることなく話し続ける。

 ーーそもそも、猫ズってダサいし、採用条件として、店名を変更してもらおうかな……と言っても良いの思い浮かばないし。そもそも、あの人遊び人そうだったけど、大丈夫かな。まぁまぁイケメンだったし、致命的な変人性を除けばモテそうだけれど。まぁ十中八九私があの人を好きなる事は無さそうだけど、あの人が私を好きになる場合もあるからなぁ。


「カードをお取りください。カードをお取りください。カードをお取りください」
 今日に限っては、無機質な機械音は美琴をイラつかせるのに最適である。

 今財布にお金しまってるの分からないの!?本当にもう!!

 本日の美琴は機械運が非常に悪い。
 乱暴に定期を手に取り、いつも通り荒ぶったまま改札を通る。

 そして向かった先は ーー秋葉原方面ーーの電車が止まるホームへと続く上りエスカレーター。



 ーー君の助けを求めている人が沢山いる。君の力はきっと誰かの役に立つ。天職だよきっとね、俺が言うんだから間違いないーー


 無機質ではなかった、確かに感情が灯っていた紀人の言葉が、美琴の心の鼓膜を震わせた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...