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第一話
シャンプー
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カラン、カラン
ドアを開けると、カウベルのような音。それが、別世界の始まり。
「五時から予約してた早瀬ですが」
学生時代の部活のクセで、いまだに五分前行動が抜けない。
早めに来ても、前のお客さんがいたら、待たされるのはわかってる。
それでも来てしまうのは、彼の姿を近くで見たいから。
彼を近くで感じたいから。
「はい、ではお荷物お預かりします。貴重品だけお持ちください」
空いている席に案内されて、目の前の雑誌をパラパラ眺める。
黒川さんは奥の席で接客中。黒のロンTに黒のパンツ。
スレンダーな身体が、余計に細く見える。
顔を向けなくても、彼の存在が感じ取れる。まるで、そこに熱く燃え上がる焚き火があるように。
彼が動くたびに、熱が揺らいで、彼の存在という熱が、私に届く。
ゆっくりと、私の背後に来て、鏡越しに優しい穏やかな笑顔。
遠目ではスレンダーで華奢に見えた姿と違って、近くで見ると、黒のロンTの下には、筋肉質な胸が隠されてることがわかる。
濃い茶色のフレームのメガネ、メガネの奥の明るい茶色い瞳。
「お待たせしました。今日はカットとヘッドスパでしたね」
彼は、美容室のフロアでは、あまり馴れ馴れしく接してはこない。美容師と、客、一線をひいている。
それは、私には嬉しいような、どこか物足りないような気分になる。
毎月カットしてるショートカット。切るところなんてあるの? と言われるが、本人には本人なりに気になるのだ。
黒川さんの細くて長い指先で、軽く私の髪をなでる。
それだけで、ドキドキしてる私になど気付くはずもない。
「はい。いつも通りでお願いします。前髪は短めで」
黒川さんはにっこり頷くと、
「では、まずはシャンプー台に」
混んでると他のスタッフがシャンプーしてくれるけど、今日はそれほどでもなく、彼がそのままエスコート。
椅子に座り、背もたれに身体を預けると同時に、薄いガーゼが顔を覆う。
黒川さんはあまりおしゃべりをしない。
私もあまり話しかけることもない。
ただ彼の存在を感じることだけに集中したいから。
「もしかして、だいぶ、お疲れ?」
しっかり化粧しても、バレる疲労度。
「あ。……はい」
「そっか、じゃあ今日はじっくりマッサージしてあげよう」
「私、寝ちゃうかも」
「ふふ、それならそれでいいでしょ」
たぶん、寝ない。彼に触れられるだけで、触れられたところを意識してしまう。
ゆっくりと、ゆっくりと、大きな手が私の頭を包み込む。
まるで、壊れ物を扱うように、慎重に。
時には、力強く抱え込んで、彼の胸元が近くなる。
うっすらと香る爽やかな香りは、何だろう。
私の好きな香り。彼が好きだからか。香りが好きだからか。
「黒川さん、香り、変えました?」
「え?」
「あ、いや、いい香りだなって」
「ふふ」
今度、探しに行ってみようかな。
シャンプー台は、仕切られた空間。混んでなければ二人だけの時間。
目を閉じて、ひたすら彼の指を感じるだけ。
ゆっくりと。ゆっくりと、大きな手が、私の頭を包み込む。
――力強い指先が、頭だけでなく、他の、感じやすいところに触れてくれたら。
薄いガーゼ越しに、彼の視線が、私の心を見透かしているような気がして。
勝手に妄想して、勝手に身体が熱くなった。
ドアを開けると、カウベルのような音。それが、別世界の始まり。
「五時から予約してた早瀬ですが」
学生時代の部活のクセで、いまだに五分前行動が抜けない。
早めに来ても、前のお客さんがいたら、待たされるのはわかってる。
それでも来てしまうのは、彼の姿を近くで見たいから。
彼を近くで感じたいから。
「はい、ではお荷物お預かりします。貴重品だけお持ちください」
空いている席に案内されて、目の前の雑誌をパラパラ眺める。
黒川さんは奥の席で接客中。黒のロンTに黒のパンツ。
スレンダーな身体が、余計に細く見える。
顔を向けなくても、彼の存在が感じ取れる。まるで、そこに熱く燃え上がる焚き火があるように。
彼が動くたびに、熱が揺らいで、彼の存在という熱が、私に届く。
ゆっくりと、私の背後に来て、鏡越しに優しい穏やかな笑顔。
遠目ではスレンダーで華奢に見えた姿と違って、近くで見ると、黒のロンTの下には、筋肉質な胸が隠されてることがわかる。
濃い茶色のフレームのメガネ、メガネの奥の明るい茶色い瞳。
「お待たせしました。今日はカットとヘッドスパでしたね」
彼は、美容室のフロアでは、あまり馴れ馴れしく接してはこない。美容師と、客、一線をひいている。
それは、私には嬉しいような、どこか物足りないような気分になる。
毎月カットしてるショートカット。切るところなんてあるの? と言われるが、本人には本人なりに気になるのだ。
黒川さんの細くて長い指先で、軽く私の髪をなでる。
それだけで、ドキドキしてる私になど気付くはずもない。
「はい。いつも通りでお願いします。前髪は短めで」
黒川さんはにっこり頷くと、
「では、まずはシャンプー台に」
混んでると他のスタッフがシャンプーしてくれるけど、今日はそれほどでもなく、彼がそのままエスコート。
椅子に座り、背もたれに身体を預けると同時に、薄いガーゼが顔を覆う。
黒川さんはあまりおしゃべりをしない。
私もあまり話しかけることもない。
ただ彼の存在を感じることだけに集中したいから。
「もしかして、だいぶ、お疲れ?」
しっかり化粧しても、バレる疲労度。
「あ。……はい」
「そっか、じゃあ今日はじっくりマッサージしてあげよう」
「私、寝ちゃうかも」
「ふふ、それならそれでいいでしょ」
たぶん、寝ない。彼に触れられるだけで、触れられたところを意識してしまう。
ゆっくりと、ゆっくりと、大きな手が私の頭を包み込む。
まるで、壊れ物を扱うように、慎重に。
時には、力強く抱え込んで、彼の胸元が近くなる。
うっすらと香る爽やかな香りは、何だろう。
私の好きな香り。彼が好きだからか。香りが好きだからか。
「黒川さん、香り、変えました?」
「え?」
「あ、いや、いい香りだなって」
「ふふ」
今度、探しに行ってみようかな。
シャンプー台は、仕切られた空間。混んでなければ二人だけの時間。
目を閉じて、ひたすら彼の指を感じるだけ。
ゆっくりと。ゆっくりと、大きな手が、私の頭を包み込む。
――力強い指先が、頭だけでなく、他の、感じやすいところに触れてくれたら。
薄いガーゼ越しに、彼の視線が、私の心を見透かしているような気がして。
勝手に妄想して、勝手に身体が熱くなった。
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