求める眼差し ~鏡越しに見つめあう、彼と私の物語~

実川えむ

文字の大きさ
3 / 26
第一話

シャンプー

しおりを挟む
 カラン、カラン

 ドアを開けると、カウベルのような音。それが、別世界の始まり。

「五時から予約してた早瀬ですが」

 学生時代の部活のクセで、いまだに五分前行動が抜けない。
 早めに来ても、前のお客さんがいたら、待たされるのはわかってる。
 それでも来てしまうのは、彼の姿を近くで見たいから。
 彼を近くで感じたいから。

「はい、ではお荷物お預かりします。貴重品だけお持ちください」

 空いている席に案内されて、目の前の雑誌をパラパラ眺める。
 黒川さんは奥の席で接客中。黒のロンTに黒のパンツ。
 スレンダーな身体が、余計に細く見える。

 顔を向けなくても、彼の存在が感じ取れる。まるで、そこに熱く燃え上がる焚き火があるように。
 彼が動くたびに、熱が揺らいで、彼の存在という熱が、私に届く。
 ゆっくりと、私の背後に来て、鏡越しに優しい穏やかな笑顔。
 遠目ではスレンダーで華奢に見えた姿と違って、近くで見ると、黒のロンTの下には、筋肉質な胸が隠されてることがわかる。
 濃い茶色のフレームのメガネ、メガネの奥の明るい茶色い瞳。

「お待たせしました。今日はカットとヘッドスパでしたね」

 彼は、美容室のフロアでは、あまり馴れ馴れしく接してはこない。美容師と、客、一線をひいている。
 それは、私には嬉しいような、どこか物足りないような気分になる。

 毎月カットしてるショートカット。切るところなんてあるの? と言われるが、本人には本人なりに気になるのだ。
 黒川さんの細くて長い指先で、軽く私の髪をなでる。
 それだけで、ドキドキしてる私になど気付くはずもない。

「はい。いつも通りでお願いします。前髪は短めで」

 黒川さんはにっこり頷くと、

「では、まずはシャンプー台に」


 混んでると他のスタッフがシャンプーしてくれるけど、今日はそれほどでもなく、彼がそのままエスコート。
 椅子に座り、背もたれに身体を預けると同時に、薄いガーゼが顔を覆う。
 黒川さんはあまりおしゃべりをしない。
 私もあまり話しかけることもない。
 ただ彼の存在を感じることだけに集中したいから。

「もしかして、だいぶ、お疲れ?」

 しっかり化粧しても、バレる疲労度。

「あ。……はい」
「そっか、じゃあ今日はじっくりマッサージしてあげよう」
「私、寝ちゃうかも」
「ふふ、それならそれでいいでしょ」

 たぶん、寝ない。彼に触れられるだけで、触れられたところを意識してしまう。
 ゆっくりと、ゆっくりと、大きな手が私の頭を包み込む。
 まるで、壊れ物を扱うように、慎重に。
 時には、力強く抱え込んで、彼の胸元が近くなる。
 うっすらと香る爽やかな香りは、何だろう。
 私の好きな香り。彼が好きだからか。香りが好きだからか。

「黒川さん、香り、変えました?」
「え?」
「あ、いや、いい香りだなって」
「ふふ」

 今度、探しに行ってみようかな。
 シャンプー台は、仕切られた空間。混んでなければ二人だけの時間。
 目を閉じて、ひたすら彼の指を感じるだけ。
 ゆっくりと。ゆっくりと、大きな手が、私の頭を包み込む。

 ――力強い指先が、頭だけでなく、他の、感じやすいところに触れてくれたら。

 薄いガーゼ越しに、彼の視線が、私の心を見透かしているような気がして。

 勝手に妄想して、勝手に身体が熱くなった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚

ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。 五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。 ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。 年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。 慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。 二人の恋の行方は……

今宵、薔薇の園で

天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。 しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。 彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。 キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。 そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。 彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

皇后陛下の御心のままに

アマイ
恋愛
皇后の侍女を勤める貧乏公爵令嬢のエレインは、ある日皇后より密命を受けた。 アルセン・アンドレ公爵を籠絡せよ――と。 幼い頃アルセンの心無い言葉で傷つけられたエレインは、この機会に過去の溜飲を下げられるのではと奮起し彼に近づいたのだが――

婚約者の心が読めるようになりました

oro
恋愛
ある日、婚約者との義務的なティータイムに赴いた第1王子は異変に気づく。 目の前にいる婚約者の声とは別に、彼女の心の声?が聞こえるのだ。

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

処理中です...