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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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 ふいにハインリヒ王子の視線が、リーゼロッテたちのいる方に向いた。王子は少し戸惑うような表情をみせ、先ほどよりも真剣なまなざしで、斜め後ろに立っているジークヴァルトに何事か話しかけた。

 遠すぎて会話などは聞こえないが、王子がこちらの方向を指さしている。ジークヴァルトが王子の指さす方を見やると、彼は驚いたように息をのんだ。

「あら、王子殿下が騎士様に何かご命令をお出しになったのかしら」

 ヤスミンが緊張感のない声でつぶやいた。

「リーゼ……? あなた、どうしたの!?」

 今にも倒れそうなリーゼロッテに気がついたアンネマリーが、慌ててその体を支える。リーゼロッテは真っ青な顔で、小さな唇を震わせていた。

「いや、こないで」
 どこか焦点のあわない目をして、譫言うわごとのようにつぶやいた。

「リーゼ?」

 弱々しく頭をふっているリーゼロッテの様子を見て、アンネマリーはただ事ではないと感じた。
 その時、令嬢たちから歓喜交じりのざわめきが上がった。

 アンネマリーがそちらの方向を見やると、白い手袋をはめた手を行って来いとばかりにひらひらさせている王子と、それにはじかれたように壇上を降りて、大股でこちらへ向かってくるジークヴァルトが目に入った。

 ジークヴァルトの勢いに押されて、令嬢たちがひとりまたひとりと道を開いていく。ためらうことなくまっすぐ向かってくるジークヴァルトに、それ以外の人間は誰一人として動くことができないでいた。
 ひゅっとリーゼロッテが息をのむ音を聞いて、アンネマリーは彼女が何を恐れているのかをはじめて悟った。

 リーゼロッテは動けなかった。
 ヘビに睨まれたカエルもきっとこんな気分なのだろうか。黒い霧をまとい、猛然とした勢いでこちらに向かってくるジークヴァルトに為すすべもなく、どこか他人事のようにリーゼロッテはそんなことを思った。

(ああ、おとうさま。おかあさま。かわいいルカ。そしてエラ。おやしきのみんなも、ほんとうに、いままでたくさんありがとう)

 暗黒のモヤに包まれたジークヴァルトが目の前まで迫ったとき、リーゼロッテは覚悟を決めてぎゅっと目をつぶった。
 彼の手がリーゼロッテの二の腕を乱暴につかんだその瞬間、リーゼロッテの中で何か大きな塊が、バチンとはじけ飛んだ。

「お前が、なぜ、ここにいる!?」

 リーゼロッテの腕をつかみながら黒髪の騎士は、低い声で問う。なぜ、と言われても王妃に招待されたからなのだが。

 ぽかんと口を開けたまま、リーゼロッテはジークヴァルトの顔を見上げていた。

 リーゼロッテは、さっきまであれほど感じていた、おぞましいほどの恐怖をきれいさっぱりなくしていた。青の瞳に射抜かれて、その代わり、胸の真ん中あたりがじわりと熱くなる。

 いつの間にか、ジークヴァルトを覆っていた黒いモヤは霧散していた。その無表情の整った顔がリーゼロッテの緑の瞳に、はっきりと映った。

 ジークヴァルトと見つめ合ったまま、動けないでいたリーゼロッテは、吸い込まれそうな、その深く青い瞳が、この世のものとは思えないほど、美しく、綺麗だと、ただただ、そう思った。



【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ・ダーミッシュ。異世界で伯爵令嬢やってまーす! 特技は脳内突っ込み。ドジっ娘属性だけど、まじめに質素に、深窓の令嬢業にいそしむ毎日を送っているの。そんな平和を乱すのは、魔王のような婚約者! わたしの運命、どうなっちゃうの~!?

 次回、第2話「深窓の妖精姫」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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