266 / 548
第2章 氷の王子と消えた託宣
7
しおりを挟む
「あの、エーミール様、一体どちらへ……?」
「さあ? あいにくわたしは貴族街など興味なくてな。エラ、あなたはどこか行きたいところはないのか?」
こういった場所は女性の方が詳しいだろうとエーミールが逆にエラに問いかける。行きたいところならあるにはあるが、そこへエーミールを連れて行ってもいいものだろうかとエラは逡巡した。
「あの、では、あそこの店などはいかがでしょう?」
エラが指し示したのは、馬具の専門店だった。馬に乗るエーミールならば、気もひかれるだろう。そう思って、エラはその店のある方へ足を踏み出した。が、手を取っているエーミールが動かなかったため、結局エラは一歩も進むことはできなかった。
「エラ、あなたは馬に乗れるのか?」
「え? いいえ。わたしは乗馬は嗜んでおりません……」
「ならば行っても仕方がないだろう」
「ですが、エーミール様は……」
困ったように言うエラを見て、エーミールはその意図がようやくわかったらしい。
「ふん。必要なものがあるなら屋敷に商人を来させればいいだけの話だ。わたしはこのような場所に興味はない」
「でしたらどこかで休憩いたしましょうか? エーミール様は道中お辛そうでしたし……」
「辛かったのはエラ、あなたの方なのだろう?」
エーミールにくいと片眉を上げられて、エラははっとした顔になった。
エラには乗るたびに馬車酔いをする弟がいる。いつも背中をさすったり抱きしめたりすると症状が和らぐので、エーミールも気がまぎれるならとあんな行動に出たのだ。さすがにエーミールを抱きしめるわけにはいかなかったのだが。
「そ、そうです! エーミール様のおかげでどんなに心強かったことか」
そうだ、あれは自分のために手を握ってもらっていたのだ。決してエーミールが馬車酔いしていたからではない。
「そうか。ではエラ、あなたはその件でわたしに感謝をしているということだな?」
「ええ、もちろんです!」
「よし。ならばここで手に入る物、何でも好きな物を買ってやろう」
「…………はい?」
疑問形になった返事を肯定ととらえたのか、エーミールはそのままエラの手を引いて歩き出した。
「何がいい? 宝石か? ドレスか? あまり時間はないが選ぶまで付き合ってやろう」
「え? いいえ、それでしたらむしろわたしがエーミール様に感謝のしるしを示さねばならないはず。エーミール様から何か買っていただくなどできません」
おろおろしているエラをエーミールは意外そうに見た。
「何でも買ってやると言っているんだ。何をためらう必要がある?」
「何をとおっしゃられましても……」
馬車での件は、エラのために手を握ってもらっていたことになっているのだ。そうであれば、感謝されるべきエーミールがエラに何かを買うのは筋違いだ。
「感謝しているというのなら、わたしの意向に沿うべきではないのか? それに、わたしは借りを作るのは好きではない。有能な侍女であるエラ、あなたにならこの意味はわかるだろう?」
エラとしてはエーミールのプライドを尊重しての行動だったが、当のエーミールはエラの口止めの保証を望んでいるのだ。それを理解すると、エラは諦めを含んだ笑顔を返した。
「…………本当に何でもよろしいのですね?」
「ああ、もちろんだ」
そう答えたエーミールは内心ほくそ笑んでいた。有能と言ってもエラも女だ。宝石や高価なドレスを前にすれば、目がくらんですぐにその正体が知れるだろう。
エラが行きたい店があると言うので、エーミールはやさしくエスコートしながらそれにおとなしく従った。通りを行く途中、わざと異形が吹きだまっている場所へと誘導する。
驚くべきことに、エラが近づいていくと異形たちは奇妙な行動にでる。先ほどジークヴァルトたちの後ろを歩いていた時から、それが気になって仕方がなかった。
ジークヴァルトは基本、異形たちに狙われている。異形の者は憎しみの感情を彼に向け、しかしその強大な力に近づくことはできずに、常に遠巻きに睨んでくるだけだ。しかし、そのジークヴァルトの隣にリーゼロッテがいると、これまた不思議なことが起きる。
リーゼロッテから溢れる力に惹かれるのか、異形たちは引き寄せられるようにリーゼロッテへと近づいてくる。その隣にジークヴァルトがいるというのにだ。
結局はジークヴァルトの力に弾き飛ばされては消しとんでいくのだが、それでも我慢がきかない子供のように、その穢れた手を伸ばしてくる異形の者は後を絶たない。
ジークヴァルトが強固な結界をはっているからだろう。それにリーゼロッテは何も気づいていない様子だ。
その後ろを静かに歩くエラは、その光景に全く動じない。禍々しい異形が近づこうとも、目の前で醜い異形が消し飛ぼうとも、エラは微笑ましそうにリーゼロッテを見つめているだけだ。彼女には異形は視えないのだからそれは至極当たり前のことなのだが、エーミールにしてみればそれは異様な光景だった。
エーミールはエラの手を引き、さりげなく異形のいる吹き溜まりへとエラの足を踏み込ませる。すると異形は身を縮こませるようにエラから距離を取ろうとした。
(……やはりな)
エーミールが観察した結果、エラに対して異形がとる行動は三パターンあることがわかった。
弱い異形はエラの存在を認めると、一目散に逃げ去っていく。今のような大きいが悪意のない異形は、エラとの接触を極端に嫌がる様子を見せる。
そして、強烈な悪意を持つ異形にいたっては、エラに手を伸ばすも、エラはその手を何ごともなくすり抜けてしまう。肩透かしを食らった異形は何度もエラにくってかかるのだが、その腕が空を切るばかりだ。その様子は、言い寄る女性にまるで相手にされない哀れな男のようで、見ていてとても滑稽だった。
(無知なる者とは一体何なのだ……?)
異形の姿を視ることができない只人だとしても、その影響を免れることはできない。憑かれれば大小の差はあれ何かしらの障りが起こる。だが、無知なる者はそもそも異形が近づけないのだ。
これは、使いようによってはジークヴァルトのいい手駒になり得るかもしれない。そう思うと、エーミールはエラに対して強烈に興味を抱いた。馬車での件はいいきっかけだ。己の醜態を逆手にとって、エラを囲い込んでしまおう。
「さあ? あいにくわたしは貴族街など興味なくてな。エラ、あなたはどこか行きたいところはないのか?」
こういった場所は女性の方が詳しいだろうとエーミールが逆にエラに問いかける。行きたいところならあるにはあるが、そこへエーミールを連れて行ってもいいものだろうかとエラは逡巡した。
「あの、では、あそこの店などはいかがでしょう?」
エラが指し示したのは、馬具の専門店だった。馬に乗るエーミールならば、気もひかれるだろう。そう思って、エラはその店のある方へ足を踏み出した。が、手を取っているエーミールが動かなかったため、結局エラは一歩も進むことはできなかった。
「エラ、あなたは馬に乗れるのか?」
「え? いいえ。わたしは乗馬は嗜んでおりません……」
「ならば行っても仕方がないだろう」
「ですが、エーミール様は……」
困ったように言うエラを見て、エーミールはその意図がようやくわかったらしい。
「ふん。必要なものがあるなら屋敷に商人を来させればいいだけの話だ。わたしはこのような場所に興味はない」
「でしたらどこかで休憩いたしましょうか? エーミール様は道中お辛そうでしたし……」
「辛かったのはエラ、あなたの方なのだろう?」
エーミールにくいと片眉を上げられて、エラははっとした顔になった。
エラには乗るたびに馬車酔いをする弟がいる。いつも背中をさすったり抱きしめたりすると症状が和らぐので、エーミールも気がまぎれるならとあんな行動に出たのだ。さすがにエーミールを抱きしめるわけにはいかなかったのだが。
「そ、そうです! エーミール様のおかげでどんなに心強かったことか」
そうだ、あれは自分のために手を握ってもらっていたのだ。決してエーミールが馬車酔いしていたからではない。
「そうか。ではエラ、あなたはその件でわたしに感謝をしているということだな?」
「ええ、もちろんです!」
「よし。ならばここで手に入る物、何でも好きな物を買ってやろう」
「…………はい?」
疑問形になった返事を肯定ととらえたのか、エーミールはそのままエラの手を引いて歩き出した。
「何がいい? 宝石か? ドレスか? あまり時間はないが選ぶまで付き合ってやろう」
「え? いいえ、それでしたらむしろわたしがエーミール様に感謝のしるしを示さねばならないはず。エーミール様から何か買っていただくなどできません」
おろおろしているエラをエーミールは意外そうに見た。
「何でも買ってやると言っているんだ。何をためらう必要がある?」
「何をとおっしゃられましても……」
馬車での件は、エラのために手を握ってもらっていたことになっているのだ。そうであれば、感謝されるべきエーミールがエラに何かを買うのは筋違いだ。
「感謝しているというのなら、わたしの意向に沿うべきではないのか? それに、わたしは借りを作るのは好きではない。有能な侍女であるエラ、あなたにならこの意味はわかるだろう?」
エラとしてはエーミールのプライドを尊重しての行動だったが、当のエーミールはエラの口止めの保証を望んでいるのだ。それを理解すると、エラは諦めを含んだ笑顔を返した。
「…………本当に何でもよろしいのですね?」
「ああ、もちろんだ」
そう答えたエーミールは内心ほくそ笑んでいた。有能と言ってもエラも女だ。宝石や高価なドレスを前にすれば、目がくらんですぐにその正体が知れるだろう。
エラが行きたい店があると言うので、エーミールはやさしくエスコートしながらそれにおとなしく従った。通りを行く途中、わざと異形が吹きだまっている場所へと誘導する。
驚くべきことに、エラが近づいていくと異形たちは奇妙な行動にでる。先ほどジークヴァルトたちの後ろを歩いていた時から、それが気になって仕方がなかった。
ジークヴァルトは基本、異形たちに狙われている。異形の者は憎しみの感情を彼に向け、しかしその強大な力に近づくことはできずに、常に遠巻きに睨んでくるだけだ。しかし、そのジークヴァルトの隣にリーゼロッテがいると、これまた不思議なことが起きる。
リーゼロッテから溢れる力に惹かれるのか、異形たちは引き寄せられるようにリーゼロッテへと近づいてくる。その隣にジークヴァルトがいるというのにだ。
結局はジークヴァルトの力に弾き飛ばされては消しとんでいくのだが、それでも我慢がきかない子供のように、その穢れた手を伸ばしてくる異形の者は後を絶たない。
ジークヴァルトが強固な結界をはっているからだろう。それにリーゼロッテは何も気づいていない様子だ。
その後ろを静かに歩くエラは、その光景に全く動じない。禍々しい異形が近づこうとも、目の前で醜い異形が消し飛ぼうとも、エラは微笑ましそうにリーゼロッテを見つめているだけだ。彼女には異形は視えないのだからそれは至極当たり前のことなのだが、エーミールにしてみればそれは異様な光景だった。
エーミールはエラの手を引き、さりげなく異形のいる吹き溜まりへとエラの足を踏み込ませる。すると異形は身を縮こませるようにエラから距離を取ろうとした。
(……やはりな)
エーミールが観察した結果、エラに対して異形がとる行動は三パターンあることがわかった。
弱い異形はエラの存在を認めると、一目散に逃げ去っていく。今のような大きいが悪意のない異形は、エラとの接触を極端に嫌がる様子を見せる。
そして、強烈な悪意を持つ異形にいたっては、エラに手を伸ばすも、エラはその手を何ごともなくすり抜けてしまう。肩透かしを食らった異形は何度もエラにくってかかるのだが、その腕が空を切るばかりだ。その様子は、言い寄る女性にまるで相手にされない哀れな男のようで、見ていてとても滑稽だった。
(無知なる者とは一体何なのだ……?)
異形の姿を視ることができない只人だとしても、その影響を免れることはできない。憑かれれば大小の差はあれ何かしらの障りが起こる。だが、無知なる者はそもそも異形が近づけないのだ。
これは、使いようによってはジークヴァルトのいい手駒になり得るかもしれない。そう思うと、エーミールはエラに対して強烈に興味を抱いた。馬車での件はいいきっかけだ。己の醜態を逆手にとって、エラを囲い込んでしまおう。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
【完結】遅いのですなにもかも
砂礫レキ
恋愛
昔森の奥でやさしい魔女は一人の王子さまを助けました。
王子さまは魔女に恋をして自分の城につれかえりました。
数年後、王子さまは隣国のお姫さまを好きになってしまいました。
もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~
岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。
「これからは自由に生きます」
そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、
「勝手にしろ」
と突き放した。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。
佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。
結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。
アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。
アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。
たろ
恋愛
幼馴染のロード。
学校を卒業してロードは村から街へ。
街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。
ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。
なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。
ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。
それも女避けのための(仮)の恋人に。
そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。
ダリアは、静かに身を引く決意をして………
★ 短編から長編に変更させていただきます。
すみません。いつものように話が長くなってしまいました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる