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元婚約者↓とご主人様↑
しおりを挟む「なんてところだ……!」
そう吐き捨てながら馬車から現れたのは、フロックコートを着た金髪の色男だ。
彼は、素晴らしく可愛い猫である私を見て、目を見張った。
(げっ……、ブランだ。何でこいつが、ここにいるのよ)
人間の美醜なんてどうでもいいけど。見目の良い男を見て気分が下がったのは、ブランが前世の私の婚約者だからだ。家同士の取引で結ばれた私がいながら、平民出の女に現を抜かした間抜けなやつ。
まぁね、あの子はおっとりして、私とは真逆の可愛い子だったけどね。
でも猫ならば、ツンとしてても可愛いもん!
(今の私は可愛いでしょ?美しいでしょう?)
ボケッとした顔で足を止め、私を見つめるブランに、猫の私を自慢してやる。
けれど――彼の後ろに人影を認めた瞬間、私の視界にブランの姿はもう映らなくなった。
「エミリー……!」
遠くにいても、私の名を呼ぶ彼の声なら、はっきりと聞こえる。
息を切らして走ってくるのは、まだ少年の面影を残した、グレーのチェスターコートをまとった黒髪の青年だった。
(ニャ~、ご主人様だ!ご主人様!一昨日ぶり~っ)
昨日は顔を見られなかったから、寂しくて泣いた。
だからこそ、嬉しさのあまり、ブランの隣をすり抜けた彼の胸めがけて、正面から跳びつく。
「あぁ、慌てなくていいよ。ただいま、エミリー。今日も楽しかった?」
愛猫の突然の跳びつきに慣れているご主人様は、きゅっと私を抱き止めて、背中をやさしく撫でてくれた。
(うん、楽しかったわ。でも寂しかった。ローマンがいないんだもの)
ローマン・ノックスは、今の私のご主人様。
前世では、私の弟だった。
私が女で家を継げないからと、よく憤慨していたお父様。私は頭が悪かったから、お母様との子どもはもういらないみたいで、家督を継げない知人の三男を引き取った。
ローマンは賢かったけど、暗くて真面目で。つまんないから、前世ではよくいじめた。
でも今は、ご主人様だもんね~。
綺麗なお部屋に、美味しい食事。優しいメイドまで用意して、可愛がってくれる相手には、愛らしく振る舞う以外あるまい!
(大好きだよ~)
愛情をたっぷり込めて、ぷっくり膨らんだお口を彼の頬にすり寄せる。
可愛いと思ってくれたらいいな~
とワクワクしていたのに、耳に飛び込んできたのは、荒れた誰かの声だった。
「ローマン、君は……っ」
ご主人様の背中に隠れて見えないけれど、ブランはまだ小路にいるみたい。
猫と飼い主の温かな再会を邪魔するなんて無粋なやつ~。
でもそういえば……私の婚約者だったブランは、ローマンとも知り合いだった。
ローマンが家に呼んだのかな?それなら良い飼い猫の私は、大人しく黙っていなくちゃね。
――なんて考えていたら、首だけ後ろに向けたローマンが、ブランへ辛辣な言葉を返した。
「帰ってください。あなたを好いて付きまとっていた姉は、もういません。あなたはあなたで、幸せになるといい」
不機嫌さを隠そうともせず、ローマンがブランを睨みつける。
ローマンは誰にでも礼儀正しい子だったから、ちょっと違和感。
けれど、彼の言葉は、何の間違いもなかった。
私は前世で、ブランのことが好きだった。なにせ、お父様が選んでくれた婚約者だったし、見目麗しい男性といれば、箔がつくから。
でも、それは昔のこと。私は、お父様やお母様とは血縁のない猫になった。私を一瞬たりとも愛さなかった両親は、もう親じゃない。猫には権威なんていらないし。だからブランは、もう記憶の彼方よ!
(お幸せに~)
どうでもいいから、ローマンの胸から顔を出して、祝福してあげた。
猫は可愛い生き物だからねっ!私以外の猫も愛してほしいから、にゃーんと甘えた声で鳴いて、ぷにっとした自慢の肉球を見せてやる。
(庶民の少女と幸せになるがいい。でも猫も愛すのよ、ブラン!)
猫好きを増やそう。私なら、それができるはず。
だってこんなに美猫なんだもの~。
「……っ、エミリーッ!」
げっ……!
愛嬌を振りまきすぎたせいで、感極まったブランが足を踏み込んで近づいてくる。
――あれ?でも、どうして私の名前をこんなふうに呼ぶの?エミリーって……誰のことだったかしら?
そんな疑問がふと胸に浮かんだ瞬間、ローマンが私の身体を背後に庇い、正面からブランと向き合った。
「それ以上近づかないで。帰ってください。ここは私の家で、あなたには何の関係もない場所です」
おぉ……、すごんでる……。
こんな顔をするんだ、と横目でローマンを見ながら思った。
前世では、いじわるをする私を、彼は無言で非難してきた。
でも、あれは穏やかな態度だったんだなと、今になって気づかされる。
昔の私のことだけど、ちょっと、嬉しいよ。
そんなふうにしんみりしていたら、ブランがまた私の感動を邪魔してきた。
「確かに私と君には、もう何の関係もない。君はメザード家から籍を抜いたのだから」
意地悪そうな顔をしたブランが告げた言葉に、目が冴える。
えっ、そうなんだ……。じゃあもう、ローマンは前世の私の弟じゃないのね。
お墓が違うのだと思うと、微妙に寂しくなる。
でも、私の家に子どもがいなくなったのは、良いことだと思った。私を勝手に産み落としておいて、一度も愛さなかった両親なんて、今となれば嫌いだ。
(ざまーみろよ、ほほほっ!あ……っ、今のは悪役令嬢みたいだったかも。私は今でも、可愛い猫かしら?)
急に不安が胸をよぎり、ローマンを振り向かせたくて、にゃ~んと鳴く。
「ああ。大丈夫。いつも可愛いよ」
さすが飼い主。私の不安を感じ取ったらしいローマンは、肩口に寄せていた私の顔に、そっとキスを落とした。
(ええっ!?)
私は可愛い猫だもん、チューくらいするよねっ。
でも口にされたのは初めてで、その深い愛情の証に、私は力いっぱいときめいた。
(キャーッ!嬉しい~!いや、ニャーよねっ?嬉しいニャ~!)
「ローマン……っ!!」
えッ!
喜びから地面の上で跳びはねていたら、ブランがローマンの襟につかみかかった。
いくら温厚な猫でも、ご主人様にそんなことをされたら、堪忍袋の緒が切れる!
シャーッと威嚇し、むき出しのブランの顔目がけて、思いきり爪を立ててやった。
「――、エミリーッ!!」
顔に傷を負ったブランが、ローマンから手を離し、怒りに満ちた目で私を睨みつける。
そんなふうに見られるのは前世ではいつものことで。怖くもなんともないから、私は激しく彼に対抗した。
(ローマンをいじめないでっ!それとも、私みたいに葬るつもりなの!?この極悪人!とっとと消えてよ!)
「――、エミリー…………」
毛を逆立てた猫の威嚇が効いたのか、ブランが顔を真っ青にする。
それでもローマンに乱暴を働いた彼への私の怒りは、まったくおさまらなかった。
(悪いことを重ねてきたから、私は階段から突き落とされたことを大人しく受け入れたわ。死んで忘れてやった!でも、ローマンを傷つけたら、許さないわよ!)
ニャニャーッと、喉が痛くなるほど鳴き続ける。
そんな私に、ローマンとニーナが同時に声をあげた。
「エミリー!!」
「エミリーさま……っ!手が……!」
え?手……?
わけが分からず、ブランを引っ掻いた前足を見下ろす。
すると、私の可愛らしい肉球が真っ赤に染まっていた。
それはどう見ても、ブランではなく、私の血で。
(えっ、手が……、私の可愛い小さなお手々が~っ!!)
突如やってきた痛みと、怪我をしたショックで、私はそのまま気を失った。
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