136 / 210
第3章
8 憂鬱な雨
しおりを挟む-----------------------------------------------
朝、目を覚ましてから雨の音を聞くと、「ああ」と自然にこぼしてしまう。
希望と落胆が同時に出る。暑かった日々の小休止ととるか、仕事に行くのがより一層面倒ととるか。
どちらにせよ、ため息が出ても家は出なくてはならない。肌寒いと少し気が楽になる。ベッド脇の椅子に掛けてあった薄手のカーディガンに腕を通す。
ケトルに水を入れて沸騰するまでの間に、顔を洗って髪を梳かす。沸いたお湯をマグカップに移して、時間が許す限り、ゆっくりと飲むのが日課だ。
鏡に写る疲れた顔と毛先のうねりに、「ハア」とため息をついてしまうのは仕方がない。
何にも付けないで焼いたトーストとツナが入ったミニロールパンをお皿に乗せて食卓につく。トーストは流行りのちょっとお高い店のやつだ。軽く焼くとバターの香りが引き立つ。
朝のニュース番組をちらり。音声だけを拾ってツナパンを齧る。ツナの塩味とパンの甘さがちょうどいい。マグカップのお湯をひとくち。うん。まだ熱い。
昨日の出来事を復習して、今日の予定を予習する。ニュースも仕事も同じだ。
空いた食器を片付けて、お気に入りのアーティストの曲をかける。アタマとカラダを起こす。
嫌だ嫌だと世間を非難して、自分を蹴落として、悩んで泣いて、悩んで。自分はひとりじゃないと、光がさして、仲間が助けてくれる。今日の私はどうなるだろう。歌みたいに誰かに助けられたらいいね。私も誰かを助けてあげられたらいいね。
ストッキングを履いて、ブラウスとスカートを着て歯磨き。顔を洗って軽くメイク。ジャケット。腕時計。ハンカチとティッシュ。いつものバッグ。口紅とファンデーションとマスカラしか入ってないポーチ。A4のファイルと手帳。小さな石のネックレス。
「これは今日はいいや」
雨だからいつもと違うことをしたくなった。
どうせブラウスの中に隠れて見えやしないのだ。
貰った人にも会うわけじゃない。
綺麗に着飾りたいと願う反面、めんどくささが表に出てしまう。
今日が雨だから。寒いから。自分には似合わないとか。タイプじゃないとか。それっぽい理由をつけて諦めてしまう。願うばかりで何もしなければ綺麗になれるわけないのにね。
マグカップに残ったお湯を飲み干す。ちょうどいい温度になってお腹の辺りがぽかぽかと温まる。ここでワンクッションして、手足の先まで染み渡って行くのがわかる。
「はああ」
温かいため息はいいよね。カラダがぽかぽかする。
でも、マグカップの縁についた口紅を見つけて急下降。
ほら、そういうところだって。詰めの甘さ。違う意味のため息が出るよ。
ふっと目を開いた。窓の外からしんしんと降る雨音に呼び起こされた。連日の急務に体がついていけなくて、夜はぐっすり眠ってしまう。
朝も起きるのは辛いのに、今日はすぐに目を覚ますことができた。しかもいつも起きる時間より早い。
キアはゆっくりと寝台から体を起こして、カーテンを開けた。
「雨だ…」
それも結構な本降りだ。雨粒が窓にいくつも体当たりしていた。水量がすごい。地面に大きな水溜りができていた。
今日は花祭りの最終日だというのに、こんな雨なら中止だろうか。宿屋の周りの木々や花々が、たっぷりと雨露を含んで重そうに頭を垂れていた。
それに新月の儀式もある。人がいなければ、ゆっくりとキハラに会えるだろうか。接近禁止令が出てから三日目。ずっと我慢してきたのだ。
「早く会いたいな」
好きな人を待つそれと良く似ている。恋焦がれている。
キハラを想うと気持ちが上向きなる。ギュッと張り詰めていた気持ちがほろっと解けて行くのだ。
たまに、「重い」だの「うっとおしい」だのといった辛辣な御言葉も貰うのだが、それでさえも嬉しいのだ。
「早く会いたい」
今日は雨が続けばいいと思った。
キアは、寝間着から平服に着替えた。髪の毛を一つに結ぶ。長いから輪に通すまでがやりにくい。キハラの湖と同じ色をした髪の毛はもう、腰の辺りまで伸びていた。
そろそろ切りたいなと思っていた。落ち着いたらナノハに頼もうかと考えている。
「おはようございます」
厨房に声をかける。ナユタが朝食の準備をしていた。
「おはよう。早いじゃないか」
ナユタは普段から早起きだ。ナノハよりも一時間は早く起きて料理の仕込みを始めていた。
「雨音で目が覚めてしまって」
私も手伝いますと言い、手を洗って芋の皮むきを始めた。
「ああ。今日はよく降ってるな」
「今日は花祭りの最終日ですよね。こういう日でもやるんですか?」
「もちろん。今日まで祭りをやると宣伝もしてるからね。雨だから中止というのも不誠実だろ」
雨露に濡れた花が好きだと言う人もいるんだよと教えてくれた。
「そうですね」
普段とは違う表情が見えるのも楽しみの一つだという。
「じゃあ。お客様が帰った後に儀式を始めるんですね」
「…ん?…ああ!そうか!今日は新月か!!」
「…忘れてました?」
「ああ。すっかり」
ナユタは皮を剥いていた芋を床に落とした。
「ここのところ忙しかったから、すっかり忘れてたよ」
儀式を覗こうとする家族のことで、村中騒動が起きていても、根底の儀式を執り行う方を忘れてしまっていた。
「ああ。そうだね。儀式儀式」
ナユタは落とした芋を洗い、ザルに置いた。流れのまま窓の外を見る。先ほどより強い雨足になっていた。
「こういう日ほどアイツは機嫌が悪いから気をつけなね」
「えっ」
「こんなにもたくさん雨が降ると土が泥濘むだろう。足跡がくっきり付くし、ぐちゃぐちゃで見た目も悪い。自分が飛び回る時に体に泥が付くのも嫌みたいだし」
「…ああ。それは誰でも嫌ですね」
「まあ。心配していた覗き客も今のところ動きはないし、心配しないでいいんじゃないか」
「…そうだといいんですけどね」
一度聞いてしまった不穏な言葉はそう簡単には拭えないものだ。キアは俯きがちになる。
自分に降りかかるだけのことなら、そう心配もいらないのだけど、対象がキハラだと思うと気が気じゃない。
「キハラを怒らせたくないんです」
負担をかけたくない。負担になりたくない。
「新月の儀式は、ヤツの鬱憤払いみたいなもんだからなぁ」
キハラは、旅人の足跡や感情の良し悪しで森の中をベタベタにされるのが我慢できないのだ。
月明かりがない新月の夜に、住処から抜け出し、森中の跡を消して回るのだ。
「今日の時点でだいぶ怒っているだろうよ」
ナユタはあっけらかんと笑った。
「笑い事じゃないですよ!」
キアは唇を尖らせた。
「ハハハ。大丈夫大丈夫。気にしない気にしない。ゆっくりいこうよ」
ナユタはキアを宥めるように笑い、肩の力を抜くように諭した。
賽の目に切った芋を鍋に移し、他の野菜と炒め合わせた。表面に少し焼き目がついたら水を入れ、スープの素となる香辛料を入れ、塩胡椒。沸騰するまでコトコト煮る。野菜が煮えたらミルクを入れる。
木の実や干した果実を練り込んだパンを焼く。少し厚めに切った肉を塩胡椒をして焼く。
「今日は客足も少なそうだから、ゆっくり食事をとろう。雨のせいで肌寒いだろう。後で足湯を用意してあげるよ」
ナユタはゆっくりと鍋をかき混ぜた。
二階からナノハの声がした。気怠そうな声だ。
雨のせいで寒気がするという。起き上がるのも辛いと言う。連日の疲れも溜まっているせいで無理もない。
「早速足湯の出番かな」
ナユタはキアに鍋の番を代わってもらい、足湯の準備を始めた。
0
あなたにおすすめの小説
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。
もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。
透明色の魔物使い~色がないので冒険者になれませんでした!?~
壬黎ハルキ
ファンタジー
少年マキトは、目が覚めたら異世界に飛ばされていた。
野生の魔物とすぐさま仲良くなり、魔物使いとしての才能を見せる。
しかし職業鑑定の結果は――【色無し】であった。
適性が【色】で判断されるこの世界で、【色無し】は才能なしと見なされる。
冒険者になれないと言われ、周囲から嘲笑されるマキト。
しかし本人を含めて誰も知らなかった。
マキトの中に秘める、類稀なる【色】の正体を――!
※以下、この作品における注意事項。
この作品は、2017年に連載していた「たった一人の魔物使い」のリメイク版です。
キャラや世界観などの各種設定やストーリー構成は、一部を除いて大幅に異なっています。
(旧作に出ていたいくつかの設定、及びキャラの何人かはカットします)
再構成というよりは、全く別物の新しい作品として見ていただければと思います。
全252話、2021年3月9日に完結しました。
またこの作品は、小説家になろうとカクヨムにも同時投稿しています。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
スキル素潜り ~はずれスキルで成りあがる
葉月ゆな
ファンタジー
伯爵家の次男坊ダニエル・エインズワース。この世界では女神様より他人より優れたスキルが1人につき1つ与えられるが、ダニエルが与えられたスキルは「素潜り」。貴族としては、はずれスキルである。家族もバラバラ、仲の悪い長男は伯爵家の恥だと騒ぎたてることに嫌気をさし、伯爵家が保有する無人島へ行くことにした。はずれスキルで活躍していくダニエルの話を聞きつけた、はずれもしくは意味不明なスキルを持つ面々が集まり無人島の開拓生活がはじまる。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる