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第3章
15 王子
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暗転から明転。瞬きよりも早く舞台が変わった。
人々の奇声もまもなく消えた。立ちはだかる水の壁はまぼろしかのごとく飛散した。
ミストシャワー並みの細かい粒子となって、混乱していた森の中で、立ち往生していた人々にふりかかった。
優しく。恐れなどなく。記憶を塗り替えていった。村のことも、主神のことも、綺麗さっぱり消していく。
上空に吹き上がった風が遥か彼方の山の頂にある雪をも運んできた。
白い雪と森に咲く美しい花々と交わりながら、踊りながら、ゆっくりと地上に落ちてきた。
その中にイミュキュの花もあった。その風景に人々は歓喜の声を上げた。
「見て!お花のシャワーよ!素敵ねえ!」
「お祭り楽しかったねー」
「お料理おいしかったわ!」
「お花素敵ね。うちの花壇にも植えましょうよ」
「そうしようか」
仲睦まじく語り合う家族の会話があちこちから流れてきた。きっとあの親子もいるだろう。
もう大丈夫だろうとキハラとキアも花を隠れ蓑にしてそっと水の中に入った。水音は限りなく小さくして。
水中は雨で濁った水面部分とは異なり、碧く澄んでいた。上空にいた時の圧が解き放たれ、キアは縮こまっていた手足を広げた。結んでいた髪の毛も解いた。ゆるりと水を含んで膨らんで広がっていく。
「んああぁぁぁ」と大きく伸びをした。ゆっくりと沈んでいく体は、キハラが寄り添うように支えてくれた。
水の中だけどキハラのそばにいるため呼吸ができ、会話も普通にできた。村の混乱はもう大丈夫だと期待をしよう。
「じきに上も直る」
キアの心情を読み取ったかのようにキハラは呟いた。
「…大丈夫?」
「何がだ」
「無理してない?」
キアはキハラの口元に手を当てた。
「…このまま夜を待っていても状況は変わらん。だったらさっさと終わらせるに限る」
「そうだけど…」
「どちらにしても昼間動き回るのは好かん。こんな暗転目眩しに過ぎん。オレの姿を見た者もいただろう。クソ!疲れた!眠い!余計な体力を使わせやがって!!」
イレギュラーな行動に腹を立てる。言動が荒く、駄々をこねる子どもっぽくなった。
「笑えねえぞ」
キアの口元が緩むのを見て、キハラは悪態をつく。
「ごめん」
キアは慌てて、口元を隠して身振り手振りで謝罪をした。
「…お前はもう少し」
オレといると気を抜きがちだと言わんばかりだ。
だがキハラは口を閉じた。
「まあいい。とにかくオレはしばらく寝る」
「しばらくってどのくらい?」
「体力を戻すのに時間がかかる。祭も終わったから人の出入りも減るだろう」
「そうかもしれないけど、会えないのは辛いよ」
「うぜえ」
ここははっきりと。
「…う。ごめん…」
こう発言すると鬱陶しがられてしまうのはキアも承知済みだ。承知済みでも、つい口に出してしまう。もう毎日キハラのそばにいるのが癖のようになっている。かなりの依存型だ。
「…お前の世話はウルでもロイでも使え」
「そうじゃないよ」
キハラではないと意味がない。そうではないとキアは頬を膨らませた。
「外のあれはお前に用がありそうだ。話でも聞いてやれ」
「誰の話?」
頬の膨らみがぷすんと萎んでいく。
「あの白い毛のチビ。挨拶に来ないのは気に食わねえが、オレの姿を見ても逃げ帰らなかったのは褒めてやる」
キハラは首をしゃくり上げ、地上に行けと合図を見せた。
キハラはキアの腹の下に潜り込み、持ち上げるように泳いだ。水面近くなるとポイッとキアを持ち上げて地面に放った。バシャバシャと大きな水音を出し、バンッと草地にお尻を打ちつけた。
「キハラ!痛い!もうちょっと優しくしてよ!」
キアは打ちつけた箇所をさすりながら涙目でキハラを睨んだ。
「うるせえ。いい加減慣れろ」
キハラは悪びれもせず吐き捨てた。相変わらずだなぁとロイが出てきた。人と神の種族の隔りを微塵も感じさせない二人がとても微笑ましく感じていた。羨ましさを通り越して、今はもう風物詩というか。なくてはならないものになっていた。
キハラは、首をしゃくり向かい側の木の根元に視線を送った。
「ウー、グルルルルルル…!!」
そこには牙を剥きこちらを睨んでいる動物がいた。低い唸り声を上げ、背中を丸めて毛が逆立っていた。今にも飛びかかってきそうだった。
「あっ!あなた!」
キアはあの時の犬だと確信した。大雨の中で見失ってから気がかりではあったが、それどころではなかった。
「なんだ。もう面通しは済んでるのか」
「キハラ知ってたの?…多分私の夢に出てきた子だよ」
キアは表情を変えた。緊張感がふつふつと現れた。
「そうか。お前か。毎晩キアを脅していたのは」
ロイはキアの前に出る。
「…脅してはねえよ」
「喋る…!やっぱり獣人なんだ」
「うるさいな!いちいち獣人だとか言うな!」
キアは怒鳴られて体を縮こませた。
「そう固くなるな。お前も。キアも落ち着け。身元がわかればそう警戒することもない」
「…ロイさん。知ってるの?」
ロイの言葉にキアは恐る恐る尋ねた。キハラも横目だけ視線を向けた。
「ああ。オレも会うのは初めてだが、お前はニルクーバの王子だろう。貴族の王子が獣人に転化したと風の噂で聞いたことがある」
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