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第3章
16 ディル
しおりを挟む獣とはいえ、金色の瞳に白金色の毛並みを身につけている姿は「王子」と呼ぶに相応しい。
「…ハア。王子なんて言われたの久しぶりだ。戸籍抹消されてからだいぶ経つのに、世間の認識はまだ貴族のままなんだな」
ディルはなんだかなぁと複雑な表情を見せた。
「あんた誰?なんで僕のこと知ってるの?」
野良?…その割には言葉遣いも所作も整ってるな。成人の野良は珍しいしなあ。…違うかなぁ。そもそも生きてる獣人に会うの久しぶりだ。やっぱり探せばいるものだな。よかった。
ディルはぶつぶつと独り言のように呟いた。
「ロイだ。…見ての通り灰狼の獣人だ。それ以外は言えない」
逃走獣人だ。なんて言えやしない。
「…ふうん。まあ、いいや。獣人なんだから何かしらあるよね」
ディルは深く追及することなく、ロイから目を逸らした。ぺたんと腰を地面に下ろし、後ろ足で首のあたりを掻きむしった。
「はぁーー。何にせよ嬉しいよ。生きてるんだもんな。ケガもないもんな」
ハハハと空笑いをして地面に顔と前足を付けた。伏せの態勢だ。
「…生きてるだけでいいよ」
ディルの消え失せそうな言葉に、ロイは詰め寄る。
「それはどういう意味だ?王子はどこから来たんだ?」
「王子はやめてよ。もう僕はただのディルだよ」
獣人になったことで肩書きは何もない。ニルクーバは名乗れない。ただのディルだ。
「僕は王城から来たんだ」
「王城!?本当か?それで、それで、ヴァリウスはどうなった?獣人は?」
ずっと言葉少なめに大人しくしていたロイだったが、「王城」という単語に飛びついた。必死さと焦りの様子が見て取れる。
「仲間を探しに行ったんだ」
「それで、獣人は、」
「僕が着いた時は、もう誰もいなかった」
「…ヴァリウスは?」
「死んだよ」
「…獣人は?」
「…ヴァリウスに殺された」
「ぜ…ん…いんか?」
「おそらくね」
焦るロイをよそに、ディルは表情を変えずにいた。もう何度も同じ話をしているのだろう。喜怒哀楽が抜け落ちている。感情を乗せる気力も起きないのだろう。淡々と語る姿は、力なく萎んでいきそうだ。ずぶずぶと地面に溶け込んでいきそうなくらいだ。
「死んだ獣人の骸がきれいにまとめられていた。僕の仲間がしてくれたんだなと思っているよ」
血溜まりの凄惨な光景が頭の中をよぎる。目を閉じても顔を伏せてもその場面は消えない。
「そこだけきれいに見えたんだ。助けられなかったけど、きれいにしてくれたんだと思うと救われるよね」
少しでも心が軽くなる。仲間を誇らしく思う。
「…そのディルの仲間は無事なのか?今は、どこに…」
一人でも生きていてほしい。ロイは弱々しく尋ねた。
「…レアシスはどこにもいなかったよ」
城の中にかすかに気配はあった。ただ姿はなかった。匂いも血と肉の腐敗臭が邪魔をしてわからなかった。
「城から出て周辺の森に入った。歩いていくうちになんとなくだけど、知ってる匂いがしたんだ」
「それは誰だったんだ?他にも仲間がいたのか」
「仲間じゃない。むかつくヤツだ」
正式な名前は知らない。人型を成したナイトメアと赤毛の猫。
「ナイトメア?」
「ヴァリウスの夢占い師とか言ってたよ。とにかくむかつくヤツだよ。邪魔ばっかしやがって」
「なんだそれは」
ほんの少し怒気を抑えた語り口だった。邪険にしているように聞こえるが、憎しみとかではなさそうだ。
「そいつが連れてる赤毛猫の、レアシスが猫からの転身だから、猫同士で気持ちが通じたのかも」
赤毛猫とはあんまり面識ないのだけど、なんとなく僕とは気が合わない感じがする。むかつくヤツの使い魔だから性格も似ている気がする。
「…しばらく見て回ったけど、やっぱり匂いは辿れなかった。レアシスと、他の、もしかしたら逃げ延びた獣人がいないかとか思ったんだけどね」
語尾は消え入りそうだった。結果は目に見えている。それでも諦めきれなかった。
「歩いて歩いて。ずっと歩いていた」
人の目を避けながらいたから、ずっと森の中にいた。歩いても歩いても同じ景色で気が狂いそうだった。空の色は日々違えど、見てる景色は大差ない。
ディルはため息混じりに吐き出した。疲労が蓄積されて満身創痍だ。
ロイは甲斐甲斐しくディルの背中を撫でてやった。背中はひどく痩せていて、骨が浮き出ていた。
「ずっと獣の姿でいたから、体が人間に戻らないんだ」
こんなこと初めてでどうしたらいいかわからない。緊急事態にも関わらず、力が出ない。
ディルはなすがまま、なるようになれと諦めかけている。
「そんな!一大事じゃないか!!しっかりしろ!!」
ディルを村に運んでいいかとキハラに尋ねた。焦るロイとは対照的に、キハラは淡々と「好きにしろ」と。
ロイはディルを軽々と担ぎ上げた。
「ははっ、楽ちんだ」
ロイの背中越しにキアの姿を捉えた。考え事をしているのか。うんうんと唸っている。
レアシスというのはディルの仲間の名前だろう。
その前に出てきた名前はヴァリウス。王様の名前。そしてナイトメア。王様の名前はちらほらと旅の人や門所で聞いたことがある。ナイトメアは…聞いたことがある…かな?そうなのかな?どこかはわからないけど。
赤毛の猫も気になるなぁ。
キアは二人の会話を聞きながらぼんやりと考えていた。
「獣人は生き辛いのね…」
少し前の自分と似てると思った。気苦労の差は比べられないほどかけ離れているだろうけど。負担はかなり重そうだ。
キアの言葉にディルは口を次いだ。
「…あんたもさあ、誰?僕の知ってる奴に似てるんだけど、違うかなあ…」
「えっ」
キアは顔を上げた。ディルと目が合う。
姿形は違う。匂いはよくわからない。でも雰囲気が似てる。懐かしく思う。こういう時は何て言うんだろう。
「私はキアです」
「キア…」
「はぁ。…ちがうかぁ」
ディルはアテが外れてまた顔を伏せた。
「そうだよな。…なら、僕が獣人だってこと知ってるはずだしな」
どこにいるんだよ、あいつ。いつ会えんだよ。ばか。
そしてまたぶつぶつと呟いた。
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