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第3章
17 あいたくて
しおりを挟む「猫の姿におなりよ。その方が楽だろう」
赤毛猫のククルは忙しなく部屋中を走り回っていた。
右にレアシス。左にナイトメア。
満身創痍のやつれた中年二人の看病は気が滅入る。
レアシスから返事はない。目は開いているがどこにも焦点が合わない。萎んだ表情に血の気のない体。皮と骨だけの貧相な体をベッドに横たわらせていた。
「肉もあるわい」
ナイトメアが不服な声を出す。
「はあ?こんなシワシワの皮を肉だなんてよく言えますね」
ククルはナイトメアの腹にがぶっと歯を立てた。
噛みついても弾力がないから噛みごたえがまるでない。歯形も残りゃしない。
「痛え!」
と、大袈裟なリアクションにククルはげんなりだ。
「かぶりついたら血が滴るくらいの厚みになってから言い直してもらえますか」
痛がることさえ許さない。ククルはシャーッと殺気立つ。
「儂らを食う気だぞ。この毛玉は」
ナイトメアはククルの視線から逃げ出すように、レアシスに視線を向けた。
レアシスは一点を見つめたまま微動だにしなかった。ククルの睨みもナイトメアの焦りも気がついていてもいいはずなのに。眉ひとつ動かなかった。
「おいおい、生きているのか?コイツは」
今にもボロボロと崩れて朽ちてしまいそうだ。
「生きてますよ!」
ククルはがなる。背中を逆毛にして唸った。
「しっかりおし!意識をこちらに持って来て!」
レアシスの上に乗り、べちべちと前足でレアシスの頬を叩く。
叩いても引っ掻いても声も漏らさない。まだ逝くのはダメだ。
「もう!!」
ククルはニャー!!と甲高い声を上げた。
レアシスを助けるには猫だけでは力が足りない。隣のナイトメアもてんで役に立たない。
「助けて!!」「助けて!!」
ククルは窓の隙間からするりと抜け出し、力一杯泣いた。道行く人がちらちらとククルを見る。
特に何をするわけでもなく、一瞬だけ視線を向けて立ち去っていく。子ども達が集まれば頭や体をもしゃもしゃに撫でくりまわす。行商人が荷台から小魚を投げてきた。ククルは咄嗟に飛びついて咥えた。
「ハッ!ちがう!!そうじゃない!!」
とツッコミを入れつつも小魚をムシャムシャと食む。食べられる時に食べておかないと体がもたない。これはククルも同じだ。与えられたものは感謝して残さず食べる。
「でもちがうのよ、アタシじゃないの!中にいる人の面倒を見て欲しいのよ!!」
用があるのは自分ではなくあの人だ。このままでは死んでしまう。
人の手を借りないとあの人は生きられない。猫の手では足りない。何でアタシは猫なんだ!
ただ泣き喚くだけしかできない。
「ニャーーーッ」
悲鳴ともとれる泣き声に、人々は一斉にククルに振り返る。なんだなんだと垣根ができた。何人とも目が合うが、歩み寄る者は一人もいない。
「なんで?なんでなの?」
声は届いているはずなのに誰もこちらを気にしてくれない。
いい子ねと頭を撫でてくれるけど、それだけ。
腹が減ってるのかとパンをちぎってくれるけど、それだけ。
仲間が瀕死でいるのに、手が足りないのに、どうして誰も助けてくれないの?
ククルは低くか細い声を出した。威嚇じゃない。でも声にならない。
甲高い声だと逆に聞き辛い時もある。そういうことか?ならもっと小さく、小さく泣こう。
気づいて。誰か。お願い。
「ニャーア」「ニャーア」「ニャア」
ククルは先ほどよりは小さく、声量を絞って泣いた。
行き交う人の足元にくっ付いたり、馬車の荷台に飛び乗ったりした。だが、少しでも二人と距離ができてしまうと焦って走って帰った。
「…喉が枯れてるじゃないか。無理をするな」
ナイトメアはよっこらしょと上体を起こし、ヘッドボードに寄りかかった。
ククルを抱き上げて腹に乗せ、首の下に指先を入れて撫でた。
「無理してでも気づいてもらわなきゃ」
「なんで誰も気づいてくれないんでしょうか」
ナイトメアの親指の付け根あたりをガブガブと噛み付いた。よくやる甘噛みだ。
「みんな自分のことで手一杯なんだろ」
ぼろ雑巾のような二人に構っていられない。
ぼろ雑巾のような二人を見放すほど忙しいの?
「得体の知れないのに関わりたくないんだろう」
それが本音か。確かに納得はいく。一理あると思う。
ただ、
「世知辛い世の中ですね」
「猫が世知辛いなんて言うなよ」
猫が何を言っているんだとナイトメアは力無く笑った。
「ご主人のは管理不足にしたって、こっちのは」
するりとナイトメアの腕の中から抜け出し、レアシスのベッドに上った。
「この人は今にも死にそうじゃないですか!死にそうな人を見捨てるなんてひどいです」
「…そういう時もある」
「もうぅ!何でアタシは猫なんだ!ただ泣き喚くだけの猫じゃ何の役にも立たないじゃないか!もっと、もっと、役に立つ獣人になったらよかったのに!!」
ニャーンニャーンとククルは泣いた。寂しくて、悲しくて、冷たい涙の声だ。
獣人には個体差がある。ただ人語を話すだけのククルは、人間になったりはできない。ただ喚くだけなら赤子と同じだ。
悲痛な声はボロボロの屋敷を通り越し、辺りに響いた。
「……赤毛の」
ククルの涙にレアシスは反応した。かすかに指先が動いた。
ククルの長い毛を指先で優しく触れた。パサついて自慢の毛皮も埃っぽい。ククルもすぐに反応し、ぐりぐりと頭を擦り付けた。
「生きてるかい!」
「……生きてるよ。…悲しいほどにね」
意識はずっとあった。だけど聞き入れてなかった。生きている事実を認めたくなかった。
「…赤毛の声が、泣いてる声がしていた。…悲しくなることは言わないでくれ…」
どんな獣人でも生きていていいはずだ。ヴァリウスから解放された今こそ、自由に生きるべきだ。
「どんな獣人でも、生きていていいんだよ」
「どんななら、あなたにも生きてもらわなきゃ困るよ」
「…生きていて欲しかった人は私じゃない…」
「それでもさ!あなたはあの人と縁があるだろう!アタシはそれをなくしたくない!」
「…あの人?」
「影付きだよ!アタシはあの人にもう一度会いたい!アタシの頭を撫でて、もう一度抱きしめてもらいたいんだ!!」
たくさん話をして、笑い合いたい。ククルの体には微かに最後に会った感覚が残っていた。
「あなただって生きて影付きに会いたいだろう?」
「…雪様」
「そうだ!雪だ!一度だってその名前を呼べなかった!アタシは呼びたいんだ。アタシの名前も呼んでほしいんだよ!」
ククルはニャアアァァァと喚いた。
その為には雪と縁があるレアシスには生きていてもらわなければならない。レアシスの協力を得て雪を探し出したい。
「本音そっちかよ」
ナイトメアは突っ込む。
「そうさ!」
当然だとククルは鼻を鳴らす。
だから生きろと。目的はそれかと。自分の心配よりも、おのれの欲望を堂々と晒して来る姿に、レアシスとナイトメアは声を上げて笑った。
「ヒヒヒ…ひぃ~、わ、笑うと傷が痛い…」
「なんて正直者だ。…ヤバい…腹筋が攣る」
「なんだい二人して」
気味悪いわとククルはレアシスから離れて、泣き腫らした目を前足で器用にグルーミングを始めた。
「…そうか。そうだな…」
ひとしきり笑った後に、レアシスは呼吸を整えながら今後のことを考えた。
ククルと同じく、泣き喚いてばかりでは何も始まらないのだ。
雪を危険に晒したことの懺悔は、雪を探し出すことで償おう。ひいてはこのククルの為にもなるだろう。未だ正体が知れない二人だが、ヴァリウス討伐に力を貸してくれたのも事実だ。
きっと今後の自分の為にもなる。
そう確信した。
また、疲労による眠気が迫ってきた時に、外から人の声がした。近所に住む人達がわらわらと入ってきた。
「猫が騒いでいると聞いてな。気になって来たんだ」
うちにも猫がいるからわかるんだと髭を生やした中年の男が、レアシスの顔を覗き込んだ。どうやら医者っぽい。
「なんだなんだ。すごい傷じゃないか!」
「こっちの人もよ!」
男の妻は、ナイトメアを見て同じことを発した。
「そうかそうか。お前はこの人達のことが心配で他の奴らに気づいて欲しかったんだな。えらいな」
男はククルの頭と体を撫でる。
「お前もずいぶんと痩せてるじゃないか。餌を食べてないんだな」
「あなた、この二人を家に運びましょう。猫ちゃんもおいで」
妻はククルを抱き上げて胸に抱いた。
レアシスとナイトメアも村人に担がれていった。
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