大人のためのファンタジア

深水 酉

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第4章

9 悪巧み

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 「呑気な者達よのう。久方の晴れ間に群がるネモグラのようだ」
 ヴァリウスは窓辺に立ち、地上の様子を観察していた。塔からは雪達の行動が手に取るように筒抜けだった。
 「モグラは地上に出たら目が潰れますよ」
 横たわったままチドリは答えた。目には包帯が巻かれたままで、痛々しさが残っていた。
 「何しに来たんですか」
 共も付けずに身一つで来たヴァリウスに悪態をついた。
 チドリは顔も動かさずに淡々としていた。突然現れた訪問者を出迎える気などさらさらないのだ。
 「ご機嫌伺いにね。怪我をしたと聞いて心配したよ」
 チドリの満身創痍な姿を見て、ヴァリウスは皮肉っぽく笑った。ネモグラではないなら何が当てはまるかなと、頭をひねった。
 「…あんな小娘一人に手こずって呆れているんだろう」
 わざとらしい振る舞いに、チドリは苛立っていた。
 「ふふふ。あれはなかなかの頑固者でな。言ってなかったか?ただの若い娘と油断していると返り討ちに遭うぞ。影付きというのは皆そういうものなのかもしれないな。それに手強い用心棒もいることだしな」
 シャドウとディルだ。運が良いのか悪いのかチドリはまだ二人には遭遇していない。
 「…もう遭ったわ。嫌味か!」
 二人では無い別の力で雪は守られた。
 「ふははは!!きみの澄ました顔が歪んでいくのはなかなか見ものだなぁ」
 ヴァリウスはチドリの顎を掴み持ち上げた。
 「いつの世も、勢いよく歯向かってくる者を手折るのは楽しくて堪らんわ。あの娘が散りゆく様はどんな風景になるだろうな」
 ヴァリウスはひっひっひっと老人のように嗄れた声で卑しく笑った。
 リュリュトゥルテが咲き乱れる中で、影付きは処される。白い花びらの中で、空は何色に染まるだろうか。
 やはり、影付きは処される運命なのだ。
 ヴァリウスはチドリの首に手をかけ、締め上げるかのような手つきをした。
 「影付きが手に入れば、きみの愚行もなかったことにしてあげよう。禁呪など影付きに比べれば取るに足らん。このことは誰が知っている?」
 「…あの娘と」
 雪の後ろにサリエの顔が浮かんだ。禁呪を使ったぼくを愚かだと、哀れだと嘆いていた。ぼくにとっては姉であり、母であり、上官であり、時に女だった。…情けが無い訳では無い。
 「影付きだけなら問題ないでは無いか」
 記憶ごと抹消してしまえばいい。
 ヴァリウスは引き続き妖しい笑みを浮かべた。
 「…」
 チドリはサリエのことは言えずに口を噤んだ。
 「しかし、影付きは変わったメンツと一緒にいるな。ディルはともかく。あの女官と子どもは神殿の人間だろう?何故、影付きと共にしているのだ?」
 「…さあ」
 知らん顔をしておこう。余計なことは言わないでおいた方がいい。
 「きみでも知らない事があるのか?」
 おかしな話だとヴァリウスは首を傾げた。ここを統治しているのはきみだろう?
 「ぼくを何だと思っているんだ。いちいち女官一人一人の動向など把握していない」
 子どものことも知らない。余計な詮索をされないようにチドリはヴァリウスの質問にぶっきらぼうに答えた。
 だいたい、なぜサリエとマリーが影付きと行動しているのか理解し難い。サリエとマリーも仲違い中のはずだ。
 マリーは影付きに懐いていたからわからなくも無いが、サリエに至っては影付きを最上階から突き落とし、殺しかけたのだ。あの場ではサリエは半狂乱で手に負えなかった。
 しかし、影付きは無事だったのか。ヴァリウスの口ぶりだと生きていると考えていいだろう。あの高さから落ちたのに信じられないが、悪鬼といい、怪しげな靄といい、あの娘には幾重にも加護が付いていると見ていい。本当に油断ならない。
 チドリは雪に対する考え方を改めた。一筋縄では行かないと。

 「それもそうか。いや何。きみの妻にと手を挙げている者がいると聞いてな。せっかくこちらに来たのだから、紹介して貰おうと思っているのだか。どうかな?」
 「私の妻にですか?女官風情がそんなことを?身のほどを知らぬ者がいるようだ」
 私は部下には興味がありません。そんな話はデマです。私は一度も噂ですら聞いたことがないとチドリは突っぱねた。
 とは言っても、ヴァリウスの追求が止まない。あの女官はサリエだと、チドリの口から言わせようとしているのが見え見えだった。
 「ほう。それは残念だなぁ。きみの妻になる者ならさぞ、美人で博識なのだろう」
 ヴァリウスは自身の顎に手をかけて撫でた。
 「…普通ですよ」
 美人で博識だが、妻に娶る気はさらさらない。ぼくには構わないで欲しい。今でもそう思う。神官にあるまじき行為をしたぼくのことなど忘れて、他の誰かと幸せになって欲しい。出来なければ、ぼくの知らない人がいい。願わくば、マリーと仲直りして神殿を立て直して欲しい。
 姉であり母であり上官であり、時に女であったサリエには感謝と尊敬の念は忘れない。神の妻とやらにはなれないが、出来る限りのことはしてやりたいとチドリは考えていた。
 
 「ほう。そう言い切るのなら噂は本当のようだ。きみにもそういう相手がいるというのだな」
 「…どう捉えても構いませんが、女官ではないことは確かですよ」
 「まぁ、そういうことにしておこうか」
 ヴァリウスはチドリの肩にポンと手を置いた。このひとつの仕草で、こちらの思惑はすべて読み取られていると考えた方がいい。ヴァリウスの表情はつかめないが、抜け目のない男だと再認識させられた。 サリエやマリーに護衛をつけるべきだと思った。

 「さて、」
 ヴァリウスは腰を上げた。
 「きみの元気そうな顔も見られたことだし、そろそろお暇するよ」
 「お帰りですか?」
 来る時も帰る時もマイペースは変わらない。
 「部下に何も告げずに来てしまったからね。そろそろバレて城中パニックだ」
 子どものように笑う顔には、反省の色など皆無だ。そんなもの見なくてもわかる。
 ヴァリウスは懐に手を入れ、銀色のベルを鳴らした。途端に空間が歪み、大きな穴が空いた。穴の奥に、城の執務室のような部屋が出て来た。中で鉛色の肌をした人物が跪き、何やら文言を唱えていた。
 「見たまえ。時空を操る能力を持つ獣人だ。これがいれば馬も船も必要なくなる」
 「…王は獣人がお好きですね」
 もう何人紹介させられたことか。多すぎて把握できずにいる。
 「獣人はいいぞ。潜在能力を生かせば、盾にも鉾にもなる。体も頑丈だし寿命も長い。下手な人間より働き者だ。神殿にも呼んだらどうだ?」
 「遠慮しておきます。神殿には神使がいますから。信心する気持ちがあれば別ですが」
 「獣には心はないと?」
 「そんなことは言ってません」
 「きみは頭が硬すぎる。使えるものは何でも使えばいいのだよ。獣も人も駒になれば同じだ」
 「…で、使えなくなったら粛清ですか」
 何年かに一度、城中の獣人を集めては大量に入れ替えがある。
 王自ら手を下す大量虐殺に異論を唱える者はいないという。粛清に獣も人もないからだ。
 ヴァリウスはチドリの目に巻かれていた包帯を鷲掴みにした。隙間から充血した赤い目が見えた。眼光はヴァリウスを捉えた。
 「…良い目だ。私に忠誠を誓った時と同じ目をしている」
 あの獣人と同じく、この男に跪いた日の光景が頭をよぎった。素質がないのに神官になれたのは、血筋を絶やさぬ為と両親に言われたその日だ。

 体中の血液が沸騰してきそうだった。
 
 可哀想と憐れまれ、頭を撫でられ、膝を床につかされた。

 「影付きの始末はきみに任せるよ」

 出来なければぼくも処される運命だ。
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