底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第五章 周辺国家編

商人の国の獣人①

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 王国の南に位置する商業の盛んな国、通称『商国』。

 良くも悪くも、この国では金が全てだった。

 金さえあれば、何でもできる。
 金さえあれば、何をしても許される。

 この国では、身分はないも同然だった。
 貴族も平民もない。

 金を持つものが偉く、金を持たないものは搾取されるのみ。

 この国では、他の国では虐げられる人間以外の種族ですら、金さえ持っていれば差別されない。

 鍛冶で生計を立てるドワーフも。
 漁業で生計を立てる人魚や魚人も。
 薬草や動物の肉など森の恵みで生計を立てるエルフも。

 この国では金さえ持っていれば、虐げられることなく生きることができた。

 王国では虐待され、神国では虐殺される亜人たちにとって、商国は天国に近かった。

 ただ、誰もが幸せになれるわけではない。人間以外の種族が商国に入国するには、莫大な金がかかる。
 一生朝から晩まで働いてようやく返せるかどうかといったくらいの金が。

 何も持たない人間以外の種族は、入国する際に莫大な借金を背負うことになる。
 初めから大きな負債を抱えてのスタートだ。
 ほとんどの者が一生タダ働きで終わる。

 だが、それでも他の国よりマシだった。
 商国では、働いている限り、人として扱われる。
 たとえ安価な労働力だとしても、法の上では虐げられないだけ、まだ救いがあるのだ。

 もちろん、法では人と扱われていても、異種族を見下し、酷い扱いをする者はいる。
 王国や神国の出身者は特にそうだ。
 だが、それでも、著しく不当な扱いをすれば、その者が国から罰せられる。

 一生タダで働いてくれる労働力を手に入れられる商国。
 神国や王国とは異なり、命と人としての尊厳を得られる異種族の者たち。
 お互いの利害が一致して商国は栄えていた。
 ある一つの種族を除いては……





「おい、獣。獣が人間様と同じ道を歩くな。歩くなら獣らしく四つん這いで端っこを歩け」

 傭兵風の格好をした大柄な男の言葉に、私は苛立ちながらも、いつも通り丁寧に頭を下げ、道の端へ寄る。

「申し訳ございません、すぐに」

 私はそう言ってすぐに道の端へ寄り、両手と両膝を地面につく。
 そんな私の後ろへ回り、私の下半身を舐めるような目で見た後、傭兵風の男は私に命じる。

「いいケツしてるな。抱いてやるから今夜俺の部屋に来い」

 そんな命令に、私は左腕の服をまくって見せる。

「せっかくのお誘いなのですが、主人の許可を得ないとなりませんので……」

 腕についた紋様を見た傭兵風の男は舌打ちする。

「ちっ、飼い主付きか。とっとと失せろ」

 私は傭兵風の男に命じられた通り、四つん這いでその場を去るが、男はもはや私のことなど、見てすらいなかった。

 人間以外の異種族でも、働いてさえいれば人権が与えられる国、商国。
 その中であってすら、獣人だけは人として扱われなかった。
 
 肉体労働か身体を売るしか能のない、下等な種族。
 それが人間における獣人の認識だった。

 亜人は見つかり次第殺される神国は論外として、獣人蔑視の激しい王国に比べれば、商国は多少はマシだと聞いたことはある。
 だが、商国以外を知らない者にとっては、そんな話は何の足しにもならなかった。

 商国で獣人が生きる道は二つしかない。
 野良として獣のように生きるか、誰かの奴隷となり人の世界で生きるか。

 もちろん、奴隷になるからには、主人の存在が問題となる。
 まともな主人なら、己の所有物である獣人を、それなりに大事にする。
 だが、まともでない主人の場合、身体を刻む実験に使ったり、生殖機能が壊れるまで犯したりと、とても人に対するものとは思えない扱いを行う。

 私は、そんな博打を打って人生を無駄にするような真似はしない。

 人間の奴隷となった獣人は、体の一部にその印を刻む。
 私は、そのダミーを左腕に刻んでいた。
 見るべき人間が見れば、すぐにダミーだと分かるものだが、あえてしっかり見ようとする者はほとんどいない。

 そのおかげで、大概のトラブルは回避できていた。
 他人の奴隷に手を出すことは、この国では強盗を犯した時と同じような裁きを受けるからだ。

 傭兵風の男が去ったことを確認した私は、そっと立ち上がって膝の汚れを払う。

 そんな私を見て、鼻で笑う男がいた。

「ぷっ。密林の王が、人間の前で尻尾振りか。虎はネコ科の肉食獣かと思っていたが、どうやらイヌ科だったようだな。同じイヌ科でも、俺はお前のように無様に尻尾は振らないが」

 人間にへり下る無様を見られた羞恥と、蔑まれ、侮られたことに対する怒りが、同時に湧いてくる。

「野良犬が偉そうに。私には私の考えがある。人間どもなど、いつか駆逐してやる」

 私の言葉を聞いた男は今度は声を上げて笑う。

「カハハッ。子猫ちゃんがよく言うな。人間を駆逐? そんなことができるなら、お前なんかよりはるかに偉大だった先代の王がとっくの昔に実現している。魔力がない獣人には何もできないんだよ。だから、この国の亜人の中でも、獣人だけが蔑まれてる」

 男の言葉は正しい。
 これ以上ないくらいに正しい。

 だが、どれだけ正しくても、私はその言葉に頷くわけにはいかない。

「それでも私は成し遂げる。命を賭けても。命だけで足りないなら、魂を賭けても」

 そこまで話してから、私はあまりにも熱を込めて話しすぎていたことに気付く。
 この男に、そこまで話す必要はない。

「だが、たとえ人間をこの国から駆逐し、私が王になったとしても、お前だけは身分を解放せず、私のペットにしてやる」

 私の言葉を聞いた男は、肩を竦める。

「ペットと来たか。狼らしく、夜のペットにならなってやってもいいがな」

 狼の獣人である男は、ギヒヒッと、下品な笑みを浮かべながら私を見る。

 私はそんな男を手で追い払うそぶりをした。

「不愉快だ。消えろ。私は今、人間とお前、この世で最も嫌いなもの二つに連続で会って気分が悪い」

 私が脚の爪に力を入れ、地面へ食い込ませたことに気づいた男は、すぐに後ろへ跳んで、私から離れる。
 この辺りの危機察知能力と引き際の潔さは、この狼男の優れた点でもあり、憎らしい点でもある。

「おお恐い恐い。恐い虎さんの尻尾を踏む前に、さっさと退散させてもらおうかな」

 そう言うと、男は言葉通り、風のように去っていった。
 狼の脚は虎より速い。
 私は追うのを諦める。

 そしてそんな私をじっと見ている者がいることに、私は気付いていた。

「……ローがごめんね。ローはミーチャのことが好きだから」

 そう言って私の前にそっと姿を見せたのは、今去っていった狼の獣人ローの妹、ルーだった。

「そんなわけあるか。あったとしても私はあいつを受け入れない。……ルーだったら別だけど」

 私はそう言いながら、狼とは思えない愛らしさを持ったルーをぎゅっと抱きしめる。

「ミ、ミーチャ、やめてよ……」

 やめてと言いながらも、大した抵抗を見せないルーを、私は思う存分抱きしめる。
 とてもあのデリカシーのない狼男と同じ血が流れているとは思えない。

 しばらく抱きしめて満足した私は、そっとルーから離れる。

 抱きしめられたルーは子供のように扱われたことに不満そうな顔をした。
 そんな顔も可愛いのだが。

「私、ミーチャがお姉ちゃんになってくれたら嬉しいのに」

 愛らしい表情のルーに対し、思わずローがどんなやつだったかも忘れ、うんと頷きそうになるが、なんとか我慢する。

「私は目的を果たすまで、誰ともつがいにはならない。私が自分のことを考えるのは、この国から人間を駆逐した後だ」

 そんな私の言葉を聞いたルーは悲しそうな顔をする。
 だが、ローと違い、この可愛らしい狼の獣人は決して私の目的をバカにはしない。

「私はミーチャにも幸せになって欲しい。そのために、私にできることなら何でもする。だからミーチャも無理しないで。今のローと私があるのは、ミーチャのおかげだから」

 目に涙を浮かべながら、真剣な顔で懇願するように私を見つめるルー。
 私は、そんなルーに優しく微笑みかける。

「その言葉だけで私は幸せだよ、ルー」

 そしてそれ以上の幸せを、今の私は求めてはいないし、求めてはいけない。

 己の幸せと、野望を両立できるとは思っていない。
 己が抱く野望は、そんな生半可な覚悟で成し遂げられるものではないことは私が一番分かっていた。

 歴史上偉大な獣人の先人たちの多くが目指し、その全てが挫折するか道半ばで命を散らしてきた。

 それはこの商国に限った話ではなく、この大陸に暮らす全ての獣人にとって同じ話だった。

 どれだけ強い獣人でも。
 どれだけ優れた頭脳を持った獣人でも。
 そのどちらも兼ね備え、カリスマ性まで持った獣人も。

 その全てが道半ばで散っていった。

 先代の王と王妃様もそうだ。
 強く賢く、種族を跨ぎ全ての獣人から慕われていた二人。
 そんな二人でさえ、人間に抵抗することすらできず、死んでしまった。

 それほどに魔力の有無というのは大きな壁だ。
 どれだけ優れた身体能力も、魔力の前ではいとも簡単に覆されてしまう。

 獣人たちはもう諦めている。

 人間並みの生活を送ることを。
 尊厳を取り戻すことを。

 でも、私は諦めない。
 誰に馬鹿にされようとも、私は私の野望を貫く。

 この国から人間を駆逐し、獣人の誇りと権利を取り戻すとを。
 そのためには、どうしても目を覚まさなければならない人物がいる。
 ……本来ならば私より王にふさわしいはずのその人を。
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