底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第六章 絶望編

亡国の奴隷①

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 俺は無力だ。

 元の世界でも。
 この世界でも。

 その事実は変わらない。

 元の世界で、俺は長い間、誰かを好きになったことなどなかった。
 生きるのに精一杯で、誰かを好きになる余裕などなかった。
 周りの同年代の人間たちが恋愛にうつつを抜かしている間に、俺は将来に向け、自分を磨くことだけを考えていた。

 だが、この世界へ来る直前、俺は素晴らしい女性と仲良くなり、生まれて初めて恋心のようなものを抱ける相手に出会えた。

 それなのに……

 俺は、その相手の手を掴めなかった。
 魔物がはびこり、魔族に人間が食される世界で、彼女が今、生きているのかどうかすら分からない。




 こちらの世界へ来てすぐ、俺は母親を失った。
 俺と母親と一緒に暮らしていた魔族を討伐に来た人間レナに殺された。
 俺に誰かを守る力がなかったばかりに殺されてしまった。




 それからしばらくして俺は、これまでの人生で、最愛の人を失った。
 奴隷契約によって俺の手で彼女を殺さざるを得なくなったため、殺すよりはせめてもと、俺に関する記憶を忘れさせ、俺の元から離れさせた。
 彼女もまた、今、どこで何をしているのか、生きているのかどうかさえ分からない。




 そして今回、俺は自分に居場所を与えてくれた恩人を失った。
 見ず知らずの奴隷に過ぎない俺を引き取り、優れた師のもとで学ばせてくれた。
 それだけに留まらず、自分の後継者にしたいとまで言ってくれた恩人。
 そんな恩人を目の前で殺され、そしてその要因を作った一人である魔族に対して、復讐するどころか、土下座し、足を舐めさせられるという始末だった。




 それだけには止まらない。

 俺なんかの奴隷になってくれた二人の女性を守ることができなかった。
 一人は忠誠を誓い、一人は信頼を預けてくれた。
 忠誠を誓ってくれた獣人のヒナは、一人は王国を離れていった。
 信頼を預けてくれたローザは、魔族の食事になるために捕まったと聞いている。

 二人とも最高の仲間だった。
 強くなるために努力するその姿は、尊敬に値した。
 だが、そんな二人とも、今どこにいるのかさえ分からない。

 獣人のヒナはどこに行っても迫害されるだろうし、ローザに至ってはすでに魔族に食べられているかもしれない。
 二人とも、俺が見殺しにしたも同然だ。




 俺はどうしようもなく無力だった。

 無力で。

 役立たずで。

 存在価値のない人間だ。

 元の世界でも、こちらの世界に来てからも、誰よりも努力したつもりだった。
 剣も魔法も、自分にできる限界まで鍛えたはずだった。

 ……だが、その努力の末に身に付けた力は、自分の大事な人すら守れない程度のものだった。

 悪いのは無力な自分だ。

 それは分かっている。

 レナだって、俺が四魔貴族スサを倒せるくらいの実力を持っていれば、きっとあのような仕打ちはしなかっただろう。

 だが、分かってはいても、感情が付いてこない。

 母親を殺した。
 最愛の人を殺そうとし、結果的に追放させた。
 恩人の遺体を足蹴にし、唾を吐きかけた。
 大事な仲間を一人は見放し、一人は魔族の食事にした。

 俺はそんなレナが許せなかった。

 自分の弱さを棚に上げて、人を憎むのは違うとは分かっている。

 ……それでもレナが憎い。

 自分の醜い感情に反吐が出そうになる。

 ……それでも恨む気持ちが止められない。

 四魔貴族スサも憎い。
 アレスを罠に嵌めた十二貴族たちも憎い。

 でも、何より、一番身近にいるレナが憎かった。

 カレンと離れ離れにさせられた時、レナのことはいつか必ず殺そうと思った。
 だが、アレス奪還のため一緒に鍛えているうちに、その気持ちは知らずの内に薄れていた。
 元の世界では中学生の歳にもかかわらず、血反吐を吐きながら、それでも文句言わず己を追い込むレナを見て、尊敬に近い気持ちも抱いていた。

 だが、そんな気持ちを抱いてしまった自分を蔑みたくなるほどに、今の俺は心底レナが憎かった。

 奴隷契約の隙を見つけ、今すぐにでもレナを殺してしまいたかった。
 そうすると俺も、十二貴族か魔族かに殺されてしまうだろうが、愛する人も信頼できる仲間も側にいなくなってしまったこの世に未練はなかった。

 だが、俺が死んでしまうと一つだけ困ることがある。

 リン先生の存在だ。

 リン先生は俺の子供を作らせるために生かされている。
 俺が死んでしまうと、用無しとなったリン先生も魔族の餌となってしまうだろう。

 リン先生は今側にいる唯一の大事な人だ。
 行方の知れないダイン師匠も大事な人ではある。
 だが、おそらく反抗勢力の筆頭として監禁されていたであろうダイン師匠は、真っ先に魔族の食事にされるだろう。
 だから、きっともうこの世にはいないに違いない。
 仮に生きていたとしても俺なんかの助けなど必要としないだろうが。

 俺はせめてもの願いとして、リン先生には無事生き延びて欲しかった。

 ただ、そのために好きでもない俺みたいな男に抱かれるのは嫌だろうから、俺はリン先生に指一本触れていなかった。

 元の世界の俺と同い年くらいの美少女。
 正直、触れたい気持ちがないといえば嘘になるが、最後に残った大事な人を、刹那の欲望で傷つけるわけにはいかない。
 何より、生死が不明とはいえ、心の中に愛する人のいる俺は、他の女性に手を出すわけにはいかない。

 だが、このまま何もしなければ、そのうちリン先生は殺されてしまうかもしれない。
 そうでなくても、レナが子供を産める体になれば、リン先生は処分されてしまう可能性があった。

 四魔貴族スサの支配下に置かれ、レナの奴隷契約に縛られているため、俺は、カレンやヒナを探しに行くことはできない。
 俺のことを忘れているだろうカレンは、自分からは俺を探しに来れないだろうし、ヒナも、自分が生きていくのに精一杯で、仮に生きていても王国に戻ってくる余裕はないだろう。

 俺の側に残された大事な人はリン先生だけ。

 今はとりあえずリン先生のために俺は生きる。

 リン先生が無事生きていける方法を見つけられたら、レナを殺した上で、魔族に戦いを挑もう。
 スサには敵わないかもしれないが、殺せるだけ配下を殺そう。

 そんな誓いを俺が立て、しばらく経ったある日、部屋の扉が開く。

「エディ、入るわよ」

 扉の向こうから現れたのはレナだった。

 その姿を見るだけで殺意が湧くが、俺は何とか抑える。

「部屋に入るのを許可した覚えはない。さっさと出て行け」

 俺の言葉に対し、レナは表情を崩さないまま答える。

「主人が奴隷の部屋に入るのに許可が必要だなんて知らなかったわ」

 そう言いながら、俺の側までずんずん歩いてくるレナ。
 俺のすぐ前まで来たところで立ち止まり、椅子に座っていた俺の顔へ、腰を曲げてぐっと顔を寄せる。

 すぐに殺してやりたい憎い相手ではあるが、芸術品のように整った顔がすぐそばに来たため、思わずドキッとしてしまう。
 そんな自分を嫌悪しながら、俺はレナを睨みつける。

 だが、そんな俺の態度を意に介さず、レナは話を続ける。

「部屋にこもってばかりいるから顔色が悪いわ。今から出かけるから、あなたも付いて来なさい」

 殺したい相手と二人で出かけるだなんて御免被りたいが、奴隷契約がある以上、俺はレナの言葉に逆らえない。
 仮に断ったところで、強制されればついていかざるを得ないからだ。

「……分かった」

 レナに誘われるまま、俺は椅子から立ち上がる。

 アレスが殺されて以来、俺は部屋にこもったままだった。
 レナの顔など見たくなかったし、魔族に降伏したことになっている手前、表立って己を鍛えることもできない。
 何より、絶望を見せつけられたせいで、何かをしようという気力が起きなかった。

 時間が経ったことで、ようやく先のことを考えられたのがつい先ほどのことだ。

 元の世界において、人生を諦め努力しない人間を見るたびに虫酸が走っていたが、今ならなんとなくその気持ちがわかる。
 どれだけ努力しても届かないほど圧倒的な力の差を見せつけられた時、人の心は折れてしまうらしい。

 レナとともに部屋を出た俺は、閉ざされたままの隣の部屋の扉を見る。
 隣の部屋はリン先生の部屋だった。

 リン先生もまた、アレスが殺されて以来、部屋にこもったままだった。
 リン先生はアレスのことを慕っているようだったし、もしかしたら恋心のようなものを抱いていたのかもしれない。
 そんな相手が殺され、自分の生徒とはいえ、好きでもなんでもない男の子供を産めと言われたら、引きこもりたくもなるだろう。

 そんなリン先生に顔を見せることもできないまま、俺はレナの後に続いて屋敷を出る。
 



 久しぶりに出た屋敷の外は、酷く暗かった。

 空は晴れて青空がのぞいていたから、視覚的には明るいはずだった。
 だが、街に漂う空気が陰惨な気配をはらんでいた。

 多くの人が行き交っていた道に。
 王都中心部であるはずの道に。

 人がげがほとんどない。

 様々な店がひしめき合っていた通りも、ほとんどの店が閉まっていた。

 そんな街を、俺とレナは無言で歩く。

 アレスが殺されて以来、レナは大人びた気がする。
 十三歳か十四歳に過ぎないレナは、今や次期十二貴族が約束された身だ。
 立場が人を大人にさせるというのはよく聞くことだが、実際目の当たりにすると、眼を見張るものがある。

 しばらく道を歩いていると、やけに禍々しい魔力を垂れ流しにした者たちが歩いて来た。
 緑色の眼をした大柄な男と、水色の眼をした小柄な男だった。

「おっ。うまそうな飯が歩いてくるぜ」

 緑色の眼をした男がそう言うと、水色の眼をした男が否定する。

「バーカ。こいつは、スサ様に喧嘩を売った馬鹿の娘だ。うまい飯を産むまで殺すなって命令だ」

 その言葉を聞いた緑色の眼の男は、不服そうな顔をする。

「あー。せっかく人間の国に来たってのに、食ったらダメなものが多過ぎて嫌になるぜ」

 緑色の眼の男の言葉に、水色の眼の男はニヤッと笑いながら道の向こうを指差す。

「そんなこともないさ。あっちにいるやつは、自由に食っていいやつなはずだ。勝手に食えるのは一週間に一匹だけが、今週はまだ食ってないし、朝のおやつにでも食うとしようぜ」

 指の先にいたのは、ボロボロの服を着た親子だった。

 今の王国では、人間は大きく四つに分類される。

 一つは、十二貴族たちのように、人間を管理するための者たち。
 特権階級を与えられ、魔族と同様の権利を要する。

 二つ目は、俺やレナのように、繁殖用に生かされている者たち。
 特権階級と言うほどではないが、元気な子供を産ませるため、生活レベルは魔族の支配前とさほど変わらなかった。

 三つ目は、魔族の餌となる者たち。
 こちらも、魔族たちが栄養状態の良い人間を美味しく食べるため、死ぬのは確定しているものの、生活レベルは変わらなかった。

 悲惨なのは、それ以外の者たちだ。
 彼らに待っていたのは過酷な現実だった。

 魔族に気づいた親子は、顔色を変えてすぐに逃げ出す。

 だが、緑色の眼をした男が放った風の刃によって、足の腱を切り裂かれ、前のめりに倒れた。

ーーズシャッーー

「俺は子供の方にするから、お前は親な」

 緑色の眼をした男が、水色の眼の男に告げる。

「しょうがねえな。子供の方が肉が柔らかくて美味いんだけどな」

 二人の魔族たちは、舌なめずりをしながら親子に近づく。

 親子は、特権階級でも、繁殖用でも、食事用でもないただの人間だ。
 彼らには生活が……命が保障されていない。

 家はもともと住んでいたものがあるが、衣食については食事用の人間が優先されるため、その日の食べ物を得るのも困難だ。

 そして何より、気まぐれに魔族に殺されてしまう。
 できるだけ殺さないように、と言う指示が魔族の間で出てはいるようだが、はっきり言ってその指示の効力は薄いと言わざるを得ない。

 毎日のように、至る所で、魔族によって人間が殺される。

 親子を殺そうとしている魔族たちは、雑魚ではなさそうなものの、俺よりは弱そうだった。
 魔族に逆らう意思がないことを示すため、ダイン師匠から譲り受けた刀は屋敷において来ているが、魔法だけでも十分戦えるだろう。

 恐怖に震え、狂乱状態にある親子を助けるべく、俺は魔力を練り始める。

「……ダメよ」

 そんな俺に対し、レナが告げた。
 その一言だけで奴隷契約の魔法が発動し、練り上げた魔力が霧散する。

 俺はレナを睨みつける。

「何がダメなんだ? このままでは、あの親子はそこの魔族の食事になるしかない。助けに行くのは当然だろ」

 俺の言葉に対し、レナは首を横に振る。

「いいえ。あの親子を助ければ、あとで貴方も殺されるし、私もリン先生も殺される。それに、この国では人間が魔族によって、戯れに殺されるのなんて日常よ。度を越せば罰せられるらしいけど、今のところ罰さられた魔族がいるなんて話、聞いたことがないわ」

 それでも俺は納得できない。

 例え殆どの命が救えないのだとしても。
 俺自身の命が奪われるのだとしても。
 罪のない人々が目の前で殺されるのを黙って見てなどいられない。

 俺はレナの言葉を無視し、頭の中で魔法の式を構築する。
 致命傷は与えられなくていい。
 相手に怒りを与え、こちらを向かせるだけの攻撃を加えられれば。

 俺は無詠唱で上級魔法を放とうと、手を二人の魔族へ伸ばす。

 だが……

「やめなさい。そして一切の戦闘攻撃を禁じるわ」

 自分では見えないが、額が光るのを感じ、俺の頭の中にあった式が霧散する。

 そして……






 二人の魔族が去った場所には、血溜まりと、二人分の服だけが残っていた。
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