底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第七章 逆襲の狼煙

奴隷のパートナー⑤

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「カレ……ン?」

 その言葉を聞いた瞬間、頭が割れるように痛くなる。

『グレン様。カレンという名前はどうでしょうか?』

 誰かの声がする。
 大切な誰かの声が。

『確か、可愛らしくて守ってあげたい、というような意味だったと思いますよ』

 そう告げる『刀神』の声。

 私はその意味を知った時、新たな名前を得たことを、表には出さずに喜んだ。

 紅蓮の炎だからグレン。

 そう名付けられていた私に新しく与えられた、可愛らしい名前。

 嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのを思い出す。

 カレン。

 なんて素敵な名前なんだろう。

 カレン。

 なんでこの名を思い出すだけで、こんなに泣けてくるんだろう。

 目から溢れ出す透明な液体を止めることができない。

 そんな私の手から、人間の女がゆっくりと剣を抜く。

 未だ感情が整理できない私に、剣についた血を拭って鞘に収めながら、人間の女は話しかける。

「君がカレンなら、私と君が今ここで戦う理由はなくなった。私とお前は仲間だからな」

 仲間という言葉に反応し、私は人間の女を見る。
 私には仲間と呼べる者はいない。
 百年を超える人生の中で一人もいない。

 いるのは、生涯ともに過ごそうと誓ったパートナー一人のみ。

 私は涙を拭い、人間の女を見る。
 そして、尋ねた。

「お前は誰だ? なぜ俺とお前が仲間なんだ?」

 人間の女は考えるそぶりを見せる。
 その表情は、私を騙そうというのではなく、何かを真剣に悩んでいるように見えた。

 しばらくして、人間の女は覚悟を決めたように口を開く。

「君がエディの……私の主人の愛する人だからだ」

 エディ。

 その名を聞いた瞬間、私の頭の中に、膨大な記憶が押し寄せる。

 記憶の量は多くないはずだった。

 その人と過ごしたのは二ヶ月にも満たない期間だ。

 にもかかわらず、私の頭の中はその記憶に大半を支配されていた。

 もともとは私の食事用の奴隷で。
 生き延びるために私の配下になり。
 私を守るために私の主人となり。
 生涯共に過ごそうと誓いあった人。

 思い出そうとしても。
 思い出そうとしても。
 どれだけ頑張って思い出そうとしても。

 全く思い出せなかった記憶。

 その名前も。
 その顔も。
 その温かさも。
 その唇の味も。
 その想いも。

 全てが私の頭の中へ蘇る。

 エディ。
 私の主人。

 エディ。
 私のパートナー。

 エディ。
 私の生涯の伴侶。

 エディ。
 私の愛する人。

 エディ。
 私の生きる意味。

 誰よりも自分に厳しく。
 誰よりも私に温もりをくれた。

 胸の真ん中にぽっかり空いていた穴が塞がった。
 私の心が戻ってきた。

 エディ。
 やっと思い出せた。

 エディ。
 今すぐ会いたい。

 エディ。
 愛してる。





 エディのことを思い出し、感傷に浸る私を、人間の女が現実へ引き戻す。

「これで、私が敵ではないことは分かっただろう? 今すぐ共にこの地を離れ、エディのもとへ行こう」

 私は改めて人間の女の顔を見る。

 整った顔立ちは人間とは思えないくらい美しく、その少しきつめの目には、意志と力が籠もっていた。

 私は、改めて問う。

「その前にもう一度聞く。お前は誰だ? なぜお前の服からエディの匂いがする?」

 私の問いに、驚きの表情を見せ、そして私の問いに答える人間の女。

「私はローザ。もともとはアレス様の騎士で、アレス様亡き今、エディの騎士となった。エディの匂いが私の服からするのは……」

 アレスが亡くなったと言う事実に驚くが、今はその話を聞くタイミングではないだろう。
 私はローザの言葉に耳を傾け続ける。

 ローザと名乗った人間の女は、少しだけ言い淀み、そして口を開く。

「……私がエディに惚れてしまったからだ。騎士の習慣に関する常識のないエディに嘘をつき、最後の別れになるかもしれないタイミングで、偽りの儀式をでっちあげ、抱擁してもらったからだ」

 ローザはそう言うと、腰から鞘ごと剣を抜き、地面に置く。

「エディには、貴女という想い人がいるのを知ってはいた。それでも、気持ちを抑えきれず卑怯な真似をした。私を許せないと言うのなら、今ここで私を殺し、食べてくれて構わない。その代わり、絶対にエディを助けてくれ」

 真剣な眼でそう告げるローザを見て、思わず笑みを浮かべてしまう。

「エディはいい男だ。百年以上生きた俺が初めて恋愛感情を持った男だ。強さが全ての魔族の本能を超えて惚れた男だ」

 私はローザへ、今度は意思を込めて笑みを送る。

「そんなエディに、他の女も惚れてしまうのは無理はない。本気で惚れたのなら、つい卑怯な振る舞いをしてしまうこともあるだろう」

 私は剣を拾い、ローザへ渡す。

「お前のように真っ直ぐな女がエディに惚れてくれて、俺は誇らしい。俺の目に狂いはなかったと言うことだからな」

 ローザは私が差し出した剣を受け取る。

「ただ、エディは誰にも渡さない。エディと結ばれるのは俺だ。ここでお前を殺したりせずとも、女としての魅力でエディはちゃんと自分のパートナーにする。正々堂々と戦おう。俺は絶対に負けないがな」

 私の言葉に目を丸くし、そして微笑むローザ。

「そう言ってくれて救われた。礼を言う。私も正々堂々と戦わせてもらおう。今は貴女に大きく負けているが、このまま引き下がるには、私はエディに惚れすぎている」

 ローザの言葉を聞き、私は再度笑みを浮かべる。

「礼を言うのは俺の方だ。お前のおかげで、俺は自分の名前も、エディのことも思い出すことができた。俺にとって何よりも大事な記憶を取り戻すことができた。ありがとう。ここに来てくれて本当にありがとう」

 私の言葉にローザは頷き、そして表情を真面目なものに変える。

「それでは早速だが、今すぐエディのもとへ向かいたい。今、エディのいる王国は四魔貴族スサの支配下にある。しばらくは生かしてもらえることになっているが、いつスサの気分が変わるとも知れない」

 四魔貴族という名に、私は驚くが、ローザの真剣な眼差しを見て、状況が良くないことは理解した。

「分かった。すぐに向かおう。向かいながらで構わないから、詳しい状況を教えてくれ」

「承知した」

 私の言葉にローザが頷き、傍にいた人間の男と共に三人でこの場を後にしようとした時だった。

「ま、待ってください! 私は貴女たちを行かせる訳にはいきません! たとえ一人でも貴女を倒します」

 そう言って身構える魔族の女を見た私たちは、顔を見合わせる。

「おいおい巨乳のねーちゃん。俺たち三人がかりでもこの美人のねーちゃんには敵わなそうだったんだぜ? 巨乳のねーちゃん一人でどうにかなる相手じゃねえだろ」

 人間の男の言葉に、魔族の女は目に涙を浮かべながら答える。

「そんなこと分かってます! でも、この人を倒さないと、シャクネちゃんが凍ったままにされちゃうんです。そんなこと……絶対にダメなんです。シャクネちゃんがいない人生なんて……シャクネちゃんを助けられないなら、私なんて生きてる意味がないんです」

 そう言って右手を私へ向ける魔族の女。

 次の瞬間、カクンと重くなる私の体。
 ただ、ギリギリの戦いの中でならともかく、実力差が明確な中で、それを覆すほどの影響はない。

 私の体が僅かに沈んだのを見た魔族の女は、今度は拳に魔力を込め、落下するように飛んでくる。
 そして、その勢いそのままに、私へ殴りかかってきた。

 勢いもあるし、重みもある攻撃。
 ただしそれには、あくまで魔力量の割には、と言う枕詞がつく。

 私はその攻撃を、魔法障壁も張らずに、魔力を込めただけの右腕で受けた。

ーードフッーー

 多少の衝撃はあったが、大した痛みすら感じない攻撃。

 私はそんな攻撃を仕掛けてきた魔族の女を軽く蹴飛ばす。

ーーバキャッーー

 加減したつもりだったが、加減がうまくできていなかったようで、何本か骨が折れるような音を残しながら吹き飛ばされ、地面を転がりながら私から離れていく魔族の女。
 攻撃に全ての魔力を費やしていたのか、魔力を流して皮膚を守ることもせず、全身擦り傷だらけとなる魔族の女。

 それでも土と血塗れのまま立ち上がると、再び私の方へ落下するように飛んでくる。

ーードフッーー

 今度は腕での防御すらしなかった。
 魔族の女の拳が、私の頬を直撃する。

 ……でも、私の頬にはアザ一つできない。

 私は女の手首を掴み、ゆっくりと自分の頬から離す。

 魔族の女は、振り絞るように声を出す。

「……殺してください。シャクネちゃんを苦しめたまま、私だけ生きる訳にはいきません。シャクネちゃんがいない世界で生きてなどいけません」

 この魔族の女もまた、大切な人のために戦っているのだろう。
 明確な実力差があると分かりながら、それでもその人のために命を投げ打って戦っているのだろう。

 もし私が逆の立場だったなら、やはり同じように戦うに違いない。

「ローザ。少し寄り道をしてもいいか?」

 私の質問に、私が言いたいことを察したローザが、首を横に振る。

「ダメだ。その間にエディに何かあったら悔やんでも悔みきれない。フワには悪いが、フワの大切な人より、私にとってはエディの方が大事だ」

 ローザの言葉を聞いて俯く、フワと呼ばれた魔族の女。

 私はローザの目を見る。

「俺にとってもエディが一番大事だ。エディ以上に優先すべきものなどない。……だが。ここでこの女とこの女の大事な人を見捨てた俺は、きっともうエディの前で堂々とエディのパートナーだとは名乗れない」

 私は今度はフワと呼ばれた魔族の女に視線を向けながら話す。

「エディならきっとこの女を助ける。エディにふさわしいパートナーになるため、俺もこの女を助けようと思う」

 そんな私を涙目で見上げるフワと、厳しい視線で見つめるローザ。

「その結果間に合わず、エディが魔族に食べられていたら?」

 私は返事をする。

「俺はエディを誰よりも信じている。しばらく会わなかったエディは、別れた頃よりさらに強くなっているはずだ。エディなら大丈夫。信じることも私の愛だ。ただ、もし万が一エディがスサやその配下に殺されていたら……」

 私は真っ直ぐにローザを見据える。

「エディを殺した奴を殺し、俺も死のう」

 私の返事を聞いたローザは、しばらく私を見据えた後、観念したようにため息をつく。

「……何を言っても無駄なようだな。私にはカレン、君を止めることはできない。そして君を残して帰れば、それこそ私もエディに顔向けできなくなる。仕方がないから私も同行する。さっさと助けに行こう。フワ。君の大切な人の居場所まで案内してくれ」

 ローザの言葉に、涙でうるうるとした眼を丸くするフワ。

「私を……シャクネちゃんを助けてくれるんですか?」

 フワの言葉に、私は頷く。

「そうだ」

 素っ気ないと思われても仕方のない私の返事に、フワは再び目を潤ませる。

「貴女と会うのは初めてですし、何より私は、自分の目的のために貴女を殺そうとしました。それなのに助けてくれるんですか」

 私は再度頷く。

「そうだ。大切な人を命を賭けてでも助けたい気持ちは分かるからな」

 フワは涙を堪えながら、言葉を続ける。

「相手はリッカ様。将軍です。いくら貴女が強くても将軍には及ばないと思います。それでも助けてくれるのですか?」

 私は少しだけ考えて答える。

「まあ、何とかなるだろ。これから四魔貴族に喧嘩を売りにいくんだ。それより弱い将軍に負けるなら、俺はそれまでだったということだ」

 私の言葉を聞き、目から涙を溢れさせるフワ。

「あ、ありがとうございます……」

 私の言葉を聞いて泣きじゃくる、フワを見ながら私は自分の発言を省みる。

 ようやく思い出すことができた愛する人の顔と名前。

 本当なら今すぐ会いに行きたいし、会いに行くべきなのだろう。

 格好つけてはいるけど、心の中は複雑だ。
 やっぱりこの子を助けるのはやめて、エディに会いに行きたいという気持ちに負けそうになる。

 エディは私の全て。

 それは変わらない。
 それでも私は、目の前にいる会ったばかりのよく知らない者のために、貴重な時間を割こうと考えている。
 格上の将軍相手に、無謀な戦いを挑もうと考えている。

 お人好し。
 自己満足。

 そう罵られても構わない。

 でも私は、私が考える、なりたい自分になれるように生きると決めた。

 エディと共に生きると決めた時に。
 エディと生涯を共にすると誓った時に。

 その時に決めた。

 ここでこの子を見捨てるのは私のなりたい自分ではない。
 最高の男性であるエディの横に立つには、私も、私が考える最高の女性にならなければならない。

 私はチラリとローザに目を向ける。

 ローザという女性のことも、一目見ただけで分かった。
 外見の美しさだけでなく、気高い魂は外見以上に美しく、心の強さも並ではないことが。

 リンもそうだった。
 もし私が死んだのなら、彼女にエディを任せてもいいと思えるくらいに。

 きっとこれからも、エディの周りには魅力的な女性が多く現れ、そしてその多くがエディに惹かれるのだろう。
 もしかすると、私がいない間に、誰か別の女性を好きになっているかもしれなかった。

 エディの隣にいられない人生なんて、今はもう考えられない。
 それは死んでいるのと同じ……いや。
 死よりも避けるべきことだ。

 エディの隣にいるため。
 エディにふさわしいパートナーであり続けるため。

 私は己を磨き続けなければならない。

 強く。
 気高く。
 美しい。

 魔王様のような女性になるために。

 まずは手始めに、将軍リッカを倒す。
 人質を取り、純朴な少女を使い捨ての刺客にする忌むべき相手を。
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