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12_姫君の答え
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凛乃がふたりのもとへ戻ったあとも、翼はソファに座ったまま待っていた。
それから数分ほどして、ようやく3人が揃って戻ってくる。
心桜は見れば手ぶらだったので、どうやら何かを買ったわけではなさそうだ。
とはいえ、トータルで考えればそこそこ長い時間待っていたことになる。
女性の買い物というのは、やっぱり時間がかかるものなんだなと、翼はぽけっと考えていた。
するとアリアが、凛乃の腕にふいに抱きついて軽く片手を上げた。
「じゃ!また後で!」
翼に合流するや否や、そうカジュアルに敬礼ポーズをとってニヤッと笑い、凛乃を引っ張っていくアリア。
言葉を失ってただその動きを見ていることしかできなかった翼は、今自分がどういう状況なのかすら掴めていない。
「あ、あの!」
「は、はい!」
そこへすさまじい気迫のこもった声で呼びかけられ、思わず翼は背筋を伸ばす。
声の主に目を向けると、心桜が強い眼差しで翼を射すくめながら、一歩前に詰め寄ってくる。
「お礼がしたい、です!!」
力強く放たれたその一言に、翼の頭は殴られたような衝撃を受けた。
したいです──です──です──と翼の脳内で、やまびこのように響き渡っているが、思考は完全に停止している。
しばし固まってからハッと我に返った翼は、純粋な疑問をそのまま口にした。
「なんのですか?」
彼女からお礼と言われても、翼には身に覚えがない。なので反射的にそんな言葉が勝手に出た。
そうやって翼が問いかければ、心桜は怯んだようにもごもごしながら答える。
「その、襲撃に告白にといろいろご迷惑をおかけして……」
「ああ、気にしてま」
「す、少しずつでも返していけたらなと!」
「せんよぉ……」
罪悪感を抱く必要はないと翼が否定しようにも、心桜は食い気味に言葉を被せて来た。
さすがに何度か見てきたので、翼にもだんだん分かってきた。
心桜は他人のこととなると驚くほど押しが強くなる。
翼の傷の治療然り、先輩を庇ったのも然り、自分が抱えているトラウマさえも無視して他人のために動ける人間だ。
今もそうやって全身全霊で突っ走っているんだろうと腑に落ちた。
そうなると、このまま『いらない』と言い続けても押し問答になる。
なんとも間抜けな未来が容易に想像できたので、翼が次の言葉を迷っていると、心桜がおずおずと尋ねてくる。
「こ、心が疲れるとかないですか?」
「……心ですか?」
「その、癒されたい、みたいな。気疲れされてたり、とか?」
まるで狙いすましたかのように、ピンポイントでこんな悩みはないかと聞いてくる心桜。
なぜそれを聞いてくるのだろうか?と翼は首を傾げる。
精神的な疲労や癒しについて問われても、翼には心当たりが──とそこまで考えて、ふと先ほどの質問が脳裏をよぎった。
(もしかして、鷹野さんに言ったメンタルの話か?)
その時は強くなりたいと言ったのだが、見方を変えればそれは精神的に弱いのが悩みと言っているようなものなので、そこを気遣われているのかもしれないと翼は考えを巡らせた。
それが正しければ、凛乃と話した内容が心桜に伝わっていると考えていいだろう。
というか先ほどの凛乃の言動にはらしくない不審な点が多かったので、その目的がこれだったとすれば合点がいく。
(となると、結井さんもか?)
個別であるにも関わらず、同じような質問をしたアリアと凛乃に関連性を見出し、そして今の心桜の様子を見てなんとなく成り行きを理解した。
そういうことであれば、心桜の話題に乗ってみるのもいいかと思い、相づちを打つように応じる。
「お嬢様はどうされているのですか?」
そう何気なしに尋ねてみたところ、翼の考えが正しく当たりを引いたのか、先ほどまでいっぱいいっぱいそうだった心桜の表情がぱぁっと一気に明るくなる。
「わたしはそういう時、入浴剤とかアロマを使ってますね」
「そうなんですか」
「はい。香りで気分が紛れるというか。……子どもの頃にお母様に教えてもらってからずっとやってます」
母親を思い浮かべて、柔らかく微笑む心桜を見た翼は、どこか気まずいような気持ちを覚えた。
彼女の子どものころといえば、襲撃で狙われ続け、男性にトラウマを植え付けられるほどのストレスがあった時期であり、非常に繊細なところだ。
そんな彼女の柔らかい部分まで聞いてもよかったのだろうかと翼は申し訳なく思った。
ただそんな大事な思い出話を聞かせてもらった以上、乗りかかった船に最後まで付き合いたいと心桜にお願いしてみる。
「なるほど。私はやってみたことがなくて……良ければ教えてもらえませんか?」
「わかりました!!」
翼のちょっとしたお願いに即答して、胸の前で手を握りしめて張り切っている心桜を見て、自然と笑みがこぼれた。
そんな翼を見てか心桜は頬を少し色づかせながらも、「い、行きましょう」と翼の前を歩きだす。
どうやらすでにまわったショップの中で、店の目星をつけていたらしい。
心桜は迷いなく、アロマがずらりと並ぶ店へと翼を案内した。
「こんなに種類があるんですね……」
「初めてでしたら迷いますよね。わたしがいつも使っているのはこの香りで、寝る前はこれを使っています」
「これは……リラックスできそうないい香りですね」
「はい。香りで気分って結構変わるものですよ。ちょっとした自分へのご褒美とか、疲れた時にオススメです」
にこっと笑う心桜は、自分の好きなものを他人に共有できて嬉しそうに見える。
こういったことに関して無知な翼へ、親身になってあれこれと教えてくれ、翼も新鮮な気持ちでいろいろと試してみる。
そうやって2人でゆっくり時間をかけてアロマを見て回った。
その結果、心桜が説明したものの中で効能も含めて香りも気に入ったものがあったので、翼はそれを手にしてレジへ向かおうとする。
「ではこれを買ってみます。少々お待ちください」
そう心桜に告げれば、彼女は手で翼を静止する。
自分のチョイスは間違っていたのかと翼が慌てると、心桜は至って真剣な顔つきでそっと手を伸ばしてきた。
「わたしに買わせてください」
彼女の一縷の迷いもない真っ直ぐな瞳にたじろぐ翼だが、さすがに立場上そこまでしてもらうのは気が引ける。
ただでさえ長々と付き合わせてしまった上に買ってもらうなんてと、翼が首を横に振って申し出をやんわりと断ろうとする。
「お嬢様に払ってもらうわけにはいきません」
「これは日頃の感謝の形として、受け取ってくださればありがたいです」
「感謝など私には」
「あ、これでは全然足りないので、これからもあなたに返していきますから。なので早くそれをいただけないでしょうか?」
強い眼差しで一歩も引かないと覚悟を決めた表情の心桜を前に、翼は「はい」としか言えなかった。
主人にそこまで言われたら引き下がるしかない。そうやって大人しく商品を心桜に手渡せば、彼女ははにかみながらレジへ向かった。
ここまでやってもらうつもりはなかったのに、まんまと押し切られてしまい、翼はこれでよかったのだろうかと思い返す。
ただそう恐縮する反面、ああやって笑顔を浮かべてくれる心桜を見れば、ずっと笑っていて欲しいと思う自分もいる。
「香りか……そういえば」
心桜が買っている間に、少し前に仕事関係で翼が気になっていたことを思い出す。
ショッピングモールであれば都合がいいので、先々のことを考えてお願いしてみようと心桜が帰ってくるのを待つ。
会計を終えた心桜を出迎え、彼女が手に提げていた小袋を受け取り、素直な気持ちで感謝を告げる。
「ありがとうございます。使うのが楽しみです」
「そういってもらえるなら嬉しいです」
感謝すべきなのはこちらのほうなのに、心桜はにこやかに笑って返してくれる。
至れり尽くせりにも関わらず嬉しそうにしてくれている彼女を見て、翼は先ほど思いついたことを心桜に打ち明ける。
「あの、お嬢様にお願いがありまして」
「なんですか!?」
そう翼が窺えば、心桜は顔をズイッと近づけてくる。
鬼気迫る勢いで言葉の続きを待つ心桜だが、翼は彼女の香りを身近に強く感じて内心大焦りだ。
ここまで詰め寄られたらもう逸らすことはできそうもないので、言葉に詰まりながらも一歩下がってお願いしてみる。
「こ、香水を選んでいただけないかと」
「ええっ!?」
翼の頼み事が衝撃的だったのか、心桜は自ら詰めた距離の倍以上引き下がりながら口を押さえる。
そんな彼女の様子を見て、翼が慌てながら事情を説明する。
「護衛としてお傍にいる際に、好ましくないものだと不快だと思いますので!公的な場ですとどうしても必要になると言いますか……」
「た、確かにそうですね……こ、香水、かぁ」
あくまで仕事のためと至極真っ当な理由で言ったつもりだが、それでも心桜が何かを迷っている様子なので、さすがに迷惑だったかと翼が口を開く。
「……やっぱりやめ」
「いえ行きましょう!!」
こちらが否定するそぶりを見せた瞬間、心桜に遮られる。
その身代わりの速さに「へ?」と翼が呆気に取られている間に、心桜は翼を背にしてがんがん進みだした。
急いで彼女のあとを追うと、彼女はアロマと同じく香水店の場所も把握していたらしく、速足ながらも道のりに迷いがない。
そうやってそそくさと歩いていけば、すぐに目的の店に辿りついた。
そのままメンズコーナーへ行くも、彼女は何かの意識を逸らすように、真剣そのものといった手つきで次々香水を手に取っている。
そうやって香水選びに没頭しながら一通り見た結果、心桜が困った表情を浮かべた。
「男性の香水って難しいですね……」
「かなりキツいものが多いので……相談した方が無難だと思ったのですが」
「なるほど、相談してくれてありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
2人で感謝し合っていることがおかしかったのか、心桜がくすっと表情を綻ばせる。
翼はそんな彼女の自然な笑みに見とれてしまい、心境を悟られまいと誤魔化すように商品を手に取った。
「こ、これなどユニセックスなので私がつけても悪くないと思うのですが……どうでしょうか?」
「わたしはいいのですが、これはちょっと女性向けすぎる気もしますね」
「なるほど、ではこれは?」
「サボンが爽やかでいいですね。わたしは好きですよ」
穏やかに微笑みを浮かべる彼女を見て、翼はまたもや気恥ずかしい感情にのまれそうになる。
心桜にとっても好みのものを見つけられたので、一刻も早く買ってしまおうと心に決めて彼女に確認する。
「で、ではこれでいいでしょうか?」
「は、はい」
「ありがとうございます。か、買ってきます」
「待ってください。それも買わせてください」
またしても心桜に会計を止められる翼。
ついさっき押し切られたばかりなので、こうなった彼女は止められないと理解しつつ、申し訳なさそうに尋ねる。
「……いいのですか?」
「わ、わたしの好みに合わせたものなら、いいでしょう?」
先ほどとは違って妙にそわそわしている感じではあるが、おそらく下手に言い返してもまた覚悟を固められてしまう。
これ以上場の雰囲気に当てられるのはまずいので、ここは素直に好意を受け取っておこうとお礼を言う。
「ありがとうございます」
そうやって笑いかければ、心桜は忙しない様子で「で、では買ってきます」と言いながらパタパタと小走りでレジへ向かった。
心桜が帰ってくれば、そろそろ合流しようとアリアから連絡がきたということなので、待ち合わせ場所へ向かう。
2人が座って待っている所に着いたやいなや、アリアがすんすんと鼻を鳴らした。
「なんだか……おふたりさんからあまーい香りがするねぇ」
「お嬢様に香水を選んでもらったので、その時にいろいろ香水をつけたからだと思います」
「じゃあ小宮くんは心桜ちゃん好みの匂いになっちゃったんだ~」
「アリアさん!?」
「?香水はそうですね。あ、あとアロマも選んでもらって使うのが楽しみです」
「それは、よ、よかったです」
心桜が俯きがちに気恥ずかしそうにしていると、なんだか翼も照れくさくなってくる。
自分の表情が変になっていないかと周りを見れば、アリアが口元に手を添え愉快そうに目を細めていた。
「うふふふふふ」
「気味の悪い笑い方をするな」
翼と心桜を見てアリアが不気味な笑みを浮かべていたところ、いつものように凛乃がアリアの頭をはたく。
「あたっ!?」と頭をさすりながらも、アリアは満足げに歩み始めた。
「んじゃ、用は済んだし帰りますかぁ~」
「そうですね。楽しかったです」
「心桜ちゃんが楽しいなら何よりだね~。ね、小宮くん?」
「はい」
心桜の微笑みにアリアが楽しげに声をかけ、それに笑顔で応じる翼。
その様子を見た凛乃もどこか優しく微笑んだように思えた。
穏やかな笑顔が重なり合う中、4人の影は静かに伸びていき、やがて夕暮れの色に溶けていった。
それから数分ほどして、ようやく3人が揃って戻ってくる。
心桜は見れば手ぶらだったので、どうやら何かを買ったわけではなさそうだ。
とはいえ、トータルで考えればそこそこ長い時間待っていたことになる。
女性の買い物というのは、やっぱり時間がかかるものなんだなと、翼はぽけっと考えていた。
するとアリアが、凛乃の腕にふいに抱きついて軽く片手を上げた。
「じゃ!また後で!」
翼に合流するや否や、そうカジュアルに敬礼ポーズをとってニヤッと笑い、凛乃を引っ張っていくアリア。
言葉を失ってただその動きを見ていることしかできなかった翼は、今自分がどういう状況なのかすら掴めていない。
「あ、あの!」
「は、はい!」
そこへすさまじい気迫のこもった声で呼びかけられ、思わず翼は背筋を伸ばす。
声の主に目を向けると、心桜が強い眼差しで翼を射すくめながら、一歩前に詰め寄ってくる。
「お礼がしたい、です!!」
力強く放たれたその一言に、翼の頭は殴られたような衝撃を受けた。
したいです──です──です──と翼の脳内で、やまびこのように響き渡っているが、思考は完全に停止している。
しばし固まってからハッと我に返った翼は、純粋な疑問をそのまま口にした。
「なんのですか?」
彼女からお礼と言われても、翼には身に覚えがない。なので反射的にそんな言葉が勝手に出た。
そうやって翼が問いかければ、心桜は怯んだようにもごもごしながら答える。
「その、襲撃に告白にといろいろご迷惑をおかけして……」
「ああ、気にしてま」
「す、少しずつでも返していけたらなと!」
「せんよぉ……」
罪悪感を抱く必要はないと翼が否定しようにも、心桜は食い気味に言葉を被せて来た。
さすがに何度か見てきたので、翼にもだんだん分かってきた。
心桜は他人のこととなると驚くほど押しが強くなる。
翼の傷の治療然り、先輩を庇ったのも然り、自分が抱えているトラウマさえも無視して他人のために動ける人間だ。
今もそうやって全身全霊で突っ走っているんだろうと腑に落ちた。
そうなると、このまま『いらない』と言い続けても押し問答になる。
なんとも間抜けな未来が容易に想像できたので、翼が次の言葉を迷っていると、心桜がおずおずと尋ねてくる。
「こ、心が疲れるとかないですか?」
「……心ですか?」
「その、癒されたい、みたいな。気疲れされてたり、とか?」
まるで狙いすましたかのように、ピンポイントでこんな悩みはないかと聞いてくる心桜。
なぜそれを聞いてくるのだろうか?と翼は首を傾げる。
精神的な疲労や癒しについて問われても、翼には心当たりが──とそこまで考えて、ふと先ほどの質問が脳裏をよぎった。
(もしかして、鷹野さんに言ったメンタルの話か?)
その時は強くなりたいと言ったのだが、見方を変えればそれは精神的に弱いのが悩みと言っているようなものなので、そこを気遣われているのかもしれないと翼は考えを巡らせた。
それが正しければ、凛乃と話した内容が心桜に伝わっていると考えていいだろう。
というか先ほどの凛乃の言動にはらしくない不審な点が多かったので、その目的がこれだったとすれば合点がいく。
(となると、結井さんもか?)
個別であるにも関わらず、同じような質問をしたアリアと凛乃に関連性を見出し、そして今の心桜の様子を見てなんとなく成り行きを理解した。
そういうことであれば、心桜の話題に乗ってみるのもいいかと思い、相づちを打つように応じる。
「お嬢様はどうされているのですか?」
そう何気なしに尋ねてみたところ、翼の考えが正しく当たりを引いたのか、先ほどまでいっぱいいっぱいそうだった心桜の表情がぱぁっと一気に明るくなる。
「わたしはそういう時、入浴剤とかアロマを使ってますね」
「そうなんですか」
「はい。香りで気分が紛れるというか。……子どもの頃にお母様に教えてもらってからずっとやってます」
母親を思い浮かべて、柔らかく微笑む心桜を見た翼は、どこか気まずいような気持ちを覚えた。
彼女の子どものころといえば、襲撃で狙われ続け、男性にトラウマを植え付けられるほどのストレスがあった時期であり、非常に繊細なところだ。
そんな彼女の柔らかい部分まで聞いてもよかったのだろうかと翼は申し訳なく思った。
ただそんな大事な思い出話を聞かせてもらった以上、乗りかかった船に最後まで付き合いたいと心桜にお願いしてみる。
「なるほど。私はやってみたことがなくて……良ければ教えてもらえませんか?」
「わかりました!!」
翼のちょっとしたお願いに即答して、胸の前で手を握りしめて張り切っている心桜を見て、自然と笑みがこぼれた。
そんな翼を見てか心桜は頬を少し色づかせながらも、「い、行きましょう」と翼の前を歩きだす。
どうやらすでにまわったショップの中で、店の目星をつけていたらしい。
心桜は迷いなく、アロマがずらりと並ぶ店へと翼を案内した。
「こんなに種類があるんですね……」
「初めてでしたら迷いますよね。わたしがいつも使っているのはこの香りで、寝る前はこれを使っています」
「これは……リラックスできそうないい香りですね」
「はい。香りで気分って結構変わるものですよ。ちょっとした自分へのご褒美とか、疲れた時にオススメです」
にこっと笑う心桜は、自分の好きなものを他人に共有できて嬉しそうに見える。
こういったことに関して無知な翼へ、親身になってあれこれと教えてくれ、翼も新鮮な気持ちでいろいろと試してみる。
そうやって2人でゆっくり時間をかけてアロマを見て回った。
その結果、心桜が説明したものの中で効能も含めて香りも気に入ったものがあったので、翼はそれを手にしてレジへ向かおうとする。
「ではこれを買ってみます。少々お待ちください」
そう心桜に告げれば、彼女は手で翼を静止する。
自分のチョイスは間違っていたのかと翼が慌てると、心桜は至って真剣な顔つきでそっと手を伸ばしてきた。
「わたしに買わせてください」
彼女の一縷の迷いもない真っ直ぐな瞳にたじろぐ翼だが、さすがに立場上そこまでしてもらうのは気が引ける。
ただでさえ長々と付き合わせてしまった上に買ってもらうなんてと、翼が首を横に振って申し出をやんわりと断ろうとする。
「お嬢様に払ってもらうわけにはいきません」
「これは日頃の感謝の形として、受け取ってくださればありがたいです」
「感謝など私には」
「あ、これでは全然足りないので、これからもあなたに返していきますから。なので早くそれをいただけないでしょうか?」
強い眼差しで一歩も引かないと覚悟を決めた表情の心桜を前に、翼は「はい」としか言えなかった。
主人にそこまで言われたら引き下がるしかない。そうやって大人しく商品を心桜に手渡せば、彼女ははにかみながらレジへ向かった。
ここまでやってもらうつもりはなかったのに、まんまと押し切られてしまい、翼はこれでよかったのだろうかと思い返す。
ただそう恐縮する反面、ああやって笑顔を浮かべてくれる心桜を見れば、ずっと笑っていて欲しいと思う自分もいる。
「香りか……そういえば」
心桜が買っている間に、少し前に仕事関係で翼が気になっていたことを思い出す。
ショッピングモールであれば都合がいいので、先々のことを考えてお願いしてみようと心桜が帰ってくるのを待つ。
会計を終えた心桜を出迎え、彼女が手に提げていた小袋を受け取り、素直な気持ちで感謝を告げる。
「ありがとうございます。使うのが楽しみです」
「そういってもらえるなら嬉しいです」
感謝すべきなのはこちらのほうなのに、心桜はにこやかに笑って返してくれる。
至れり尽くせりにも関わらず嬉しそうにしてくれている彼女を見て、翼は先ほど思いついたことを心桜に打ち明ける。
「あの、お嬢様にお願いがありまして」
「なんですか!?」
そう翼が窺えば、心桜は顔をズイッと近づけてくる。
鬼気迫る勢いで言葉の続きを待つ心桜だが、翼は彼女の香りを身近に強く感じて内心大焦りだ。
ここまで詰め寄られたらもう逸らすことはできそうもないので、言葉に詰まりながらも一歩下がってお願いしてみる。
「こ、香水を選んでいただけないかと」
「ええっ!?」
翼の頼み事が衝撃的だったのか、心桜は自ら詰めた距離の倍以上引き下がりながら口を押さえる。
そんな彼女の様子を見て、翼が慌てながら事情を説明する。
「護衛としてお傍にいる際に、好ましくないものだと不快だと思いますので!公的な場ですとどうしても必要になると言いますか……」
「た、確かにそうですね……こ、香水、かぁ」
あくまで仕事のためと至極真っ当な理由で言ったつもりだが、それでも心桜が何かを迷っている様子なので、さすがに迷惑だったかと翼が口を開く。
「……やっぱりやめ」
「いえ行きましょう!!」
こちらが否定するそぶりを見せた瞬間、心桜に遮られる。
その身代わりの速さに「へ?」と翼が呆気に取られている間に、心桜は翼を背にしてがんがん進みだした。
急いで彼女のあとを追うと、彼女はアロマと同じく香水店の場所も把握していたらしく、速足ながらも道のりに迷いがない。
そうやってそそくさと歩いていけば、すぐに目的の店に辿りついた。
そのままメンズコーナーへ行くも、彼女は何かの意識を逸らすように、真剣そのものといった手つきで次々香水を手に取っている。
そうやって香水選びに没頭しながら一通り見た結果、心桜が困った表情を浮かべた。
「男性の香水って難しいですね……」
「かなりキツいものが多いので……相談した方が無難だと思ったのですが」
「なるほど、相談してくれてありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
2人で感謝し合っていることがおかしかったのか、心桜がくすっと表情を綻ばせる。
翼はそんな彼女の自然な笑みに見とれてしまい、心境を悟られまいと誤魔化すように商品を手に取った。
「こ、これなどユニセックスなので私がつけても悪くないと思うのですが……どうでしょうか?」
「わたしはいいのですが、これはちょっと女性向けすぎる気もしますね」
「なるほど、ではこれは?」
「サボンが爽やかでいいですね。わたしは好きですよ」
穏やかに微笑みを浮かべる彼女を見て、翼はまたもや気恥ずかしい感情にのまれそうになる。
心桜にとっても好みのものを見つけられたので、一刻も早く買ってしまおうと心に決めて彼女に確認する。
「で、ではこれでいいでしょうか?」
「は、はい」
「ありがとうございます。か、買ってきます」
「待ってください。それも買わせてください」
またしても心桜に会計を止められる翼。
ついさっき押し切られたばかりなので、こうなった彼女は止められないと理解しつつ、申し訳なさそうに尋ねる。
「……いいのですか?」
「わ、わたしの好みに合わせたものなら、いいでしょう?」
先ほどとは違って妙にそわそわしている感じではあるが、おそらく下手に言い返してもまた覚悟を固められてしまう。
これ以上場の雰囲気に当てられるのはまずいので、ここは素直に好意を受け取っておこうとお礼を言う。
「ありがとうございます」
そうやって笑いかければ、心桜は忙しない様子で「で、では買ってきます」と言いながらパタパタと小走りでレジへ向かった。
心桜が帰ってくれば、そろそろ合流しようとアリアから連絡がきたということなので、待ち合わせ場所へ向かう。
2人が座って待っている所に着いたやいなや、アリアがすんすんと鼻を鳴らした。
「なんだか……おふたりさんからあまーい香りがするねぇ」
「お嬢様に香水を選んでもらったので、その時にいろいろ香水をつけたからだと思います」
「じゃあ小宮くんは心桜ちゃん好みの匂いになっちゃったんだ~」
「アリアさん!?」
「?香水はそうですね。あ、あとアロマも選んでもらって使うのが楽しみです」
「それは、よ、よかったです」
心桜が俯きがちに気恥ずかしそうにしていると、なんだか翼も照れくさくなってくる。
自分の表情が変になっていないかと周りを見れば、アリアが口元に手を添え愉快そうに目を細めていた。
「うふふふふふ」
「気味の悪い笑い方をするな」
翼と心桜を見てアリアが不気味な笑みを浮かべていたところ、いつものように凛乃がアリアの頭をはたく。
「あたっ!?」と頭をさすりながらも、アリアは満足げに歩み始めた。
「んじゃ、用は済んだし帰りますかぁ~」
「そうですね。楽しかったです」
「心桜ちゃんが楽しいなら何よりだね~。ね、小宮くん?」
「はい」
心桜の微笑みにアリアが楽しげに声をかけ、それに笑顔で応じる翼。
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