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瑛士編1. 下準備
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それで要件は済んだはずなのに、目の前の女性は立ち去る気配が無い。
体のラインがきれいに映えるように計算された、ブランド物のスーツ。ゆるく巻いたセミロングの髪の毛。そして自身の存在を知らせるような、フローラルな香水。女性誌から抜け出たようなファッションはなかなかに手の込んだ努力を感じられ、素直に称賛に値する。
「どうしたの? なにか問題が」
そう言いながら二台並んだパソコンのモニターのうち、今まで資料を読んでいた方の画面を消す。
「いえ、大浦さんをランチに誘いたくて。週に一回しか会えないので、課員のみんなでお昼に行こうかって話になったんです。大浦さんも、いかがですか。みんなと交流を深めるためにも」
「ごめんね、今日は先約があって」
もう一台のパソコンのマウスを手に取り、こちらの画面もひとつずつ消してゆく。
「先約?」
「うん。雁野とね。なんか相談あるって言われたんだ」
雁野は三月末までこの部署にいた後輩で、そして本橋さんの同期にあたる。そんな気心の知れているであろう彼の存在に、彼女の眉がピクリと上がった。
「雁野君、今、目黒課長のところですよね」
ああ今、邪魔だと思ったな。
「あっちも色々とあるみたいだね」
「そうですか」
曖昧にぼやかした言い方に業務上の面倒を感じたらしく、渋々といった表情で彼女が諦める。さて、あともう一つ。
俺は彼女の視線を感じながら、また画面を一つ消した。そして次に現れた画面は、人事の変更届。
「あ」
「うん?」
そこで初めて気が付いたように画面を見て、慌てて全ての画面を消してみる。
「さあ、そろそろ行こうか」
何事も無かったようにそう言って、立ち上がった。
「……はい」
ノートパソコンを持つと歩き出す。その後を少し遅れて本橋さんがついてきた。背中に感じる無言の視線。俺は気付かぬ振りで、会議室へと入っていった。
◇◇◇◇◇◇
「悪い。待たせたな」
十二時十五分、会社近くの商業施設ビル最上階のレストラン街、そこの和食屋に俺は入っていった。ランチが少し高めだけれど、個室になっていて話がしやすい。雁野はすでに席について待っていた。
「とんでもないです。ランチ、勝手にA定食二つで頼んじゃったんですが、良いですか?」
「いいよ、ありがとう」
限られた時間は有効に使いたい。雁野はそんな俺の考えをよく理解しているため、事前に言わずともこのように気を利かせてくれる。
「それで、相談ってなに? なにかあった」
雁野からスマホにメッセージが来たのは、木曜日の夜だった。つまり彩乃の誕生日。 ちょうどあの時は彩乃が風呂に入っていて、俺ははやる気持ちを抑えきれずにぐるぐるとリビングを徘徊していた。そんな時の、「相談に乗ってください」メッセージ。「分かった」とだけ返して、その夜は電源を切ってしまった。まあ翌日、きちんと返信し直して、今日の待ち合わせを決めたのだけれども。
雁野が異動した部署の上席はあまり良い噂を聞かないし、仕事に関する悩みなら真摯に聞いてやりたい。そう思っていたけれど、困り果てたような表情の雁野の口から出た言葉は、想定していたものとは違うものだった。
「相談というのは、今、同棲している彼女のことで」
え? そっちの方?
体のラインがきれいに映えるように計算された、ブランド物のスーツ。ゆるく巻いたセミロングの髪の毛。そして自身の存在を知らせるような、フローラルな香水。女性誌から抜け出たようなファッションはなかなかに手の込んだ努力を感じられ、素直に称賛に値する。
「どうしたの? なにか問題が」
そう言いながら二台並んだパソコンのモニターのうち、今まで資料を読んでいた方の画面を消す。
「いえ、大浦さんをランチに誘いたくて。週に一回しか会えないので、課員のみんなでお昼に行こうかって話になったんです。大浦さんも、いかがですか。みんなと交流を深めるためにも」
「ごめんね、今日は先約があって」
もう一台のパソコンのマウスを手に取り、こちらの画面もひとつずつ消してゆく。
「先約?」
「うん。雁野とね。なんか相談あるって言われたんだ」
雁野は三月末までこの部署にいた後輩で、そして本橋さんの同期にあたる。そんな気心の知れているであろう彼の存在に、彼女の眉がピクリと上がった。
「雁野君、今、目黒課長のところですよね」
ああ今、邪魔だと思ったな。
「あっちも色々とあるみたいだね」
「そうですか」
曖昧にぼやかした言い方に業務上の面倒を感じたらしく、渋々といった表情で彼女が諦める。さて、あともう一つ。
俺は彼女の視線を感じながら、また画面を一つ消した。そして次に現れた画面は、人事の変更届。
「あ」
「うん?」
そこで初めて気が付いたように画面を見て、慌てて全ての画面を消してみる。
「さあ、そろそろ行こうか」
何事も無かったようにそう言って、立ち上がった。
「……はい」
ノートパソコンを持つと歩き出す。その後を少し遅れて本橋さんがついてきた。背中に感じる無言の視線。俺は気付かぬ振りで、会議室へと入っていった。
◇◇◇◇◇◇
「悪い。待たせたな」
十二時十五分、会社近くの商業施設ビル最上階のレストラン街、そこの和食屋に俺は入っていった。ランチが少し高めだけれど、個室になっていて話がしやすい。雁野はすでに席について待っていた。
「とんでもないです。ランチ、勝手にA定食二つで頼んじゃったんですが、良いですか?」
「いいよ、ありがとう」
限られた時間は有効に使いたい。雁野はそんな俺の考えをよく理解しているため、事前に言わずともこのように気を利かせてくれる。
「それで、相談ってなに? なにかあった」
雁野からスマホにメッセージが来たのは、木曜日の夜だった。つまり彩乃の誕生日。 ちょうどあの時は彩乃が風呂に入っていて、俺ははやる気持ちを抑えきれずにぐるぐるとリビングを徘徊していた。そんな時の、「相談に乗ってください」メッセージ。「分かった」とだけ返して、その夜は電源を切ってしまった。まあ翌日、きちんと返信し直して、今日の待ち合わせを決めたのだけれども。
雁野が異動した部署の上席はあまり良い噂を聞かないし、仕事に関する悩みなら真摯に聞いてやりたい。そう思っていたけれど、困り果てたような表情の雁野の口から出た言葉は、想定していたものとは違うものだった。
「相談というのは、今、同棲している彼女のことで」
え? そっちの方?
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