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第1章
第5話
「……はぁ」
不破先輩と橘先輩と出会ってから、俺の日常は少しずつ変わり始めている。心の声が聞こえる能力のことは相変わらず謎のままだけど、二人といる時間は不思議と心地よかった。
「綾瀬、次の時間体育だぞ?」
「…っ!」
思考の渦に沈んでいたせいで、遠くから声をかけられた瞬間、心臓が飛び跳ねた。
振り向けば、長谷川が教室のドアの近くに立って俺の方を見ていた。教室には誰も残っておらず、俺が最後なのだろう。考えすぎて周りが見えていなかった。
「ありがとう、長谷川」
「お、おう」
友達がいないのは辛いが、クラスメイトは事務的な連絡はしてくれる。完全にはぶかれているわけではないのでありがたい。
そして、俺は慌てて更衣室へ向かった。
****
日差しが容赦なく降り注ぎ、グラウンドの白線が陽炎に揺れている。
夏の気配を孕んだ空気はむっとするほど熱く、立っているだけでじんわりと汗がにじんだ。
「それじゃあ、二人組を作って準備体操しろー!」
体育教師の号令に、クラスメイトたちはざわざわと動き出す。
自然に隣同士で組む者、仲のいいグループ同士で集まる者──皆が笑顔で声を掛け合っている。
俺はというと、列の端っこに立ちながら、取り残されるのを待つしかなかった。
案の定、数を数えれば奇数。
あの陽キャ集団が、目配せして小さく輪をつくるのが見えた。
……またか
わざわざ俺と組むかどうかを“決める”ために、彼らはひそひそとじゃんけんを始める。
本人たちはうまく隠しているつもりだろう。
でも、こちらから見れば、まるで俺を避けることを当然のように楽しんでいるようにしか見えない。
嫌われてるんだ。罰ゲームみたいなもんだろ……
胸の奥がじくじくと痛む。
それでも表情には出さないように、黙って立ち尽くした。
「……よっしゃ、俺だな」
手をひらひらと振りながら、長谷川がこちらに歩いてくる。
どうやらじゃんけんの勝者は彼らしい。
勝ったのに、俺と組むはめになる――やっぱり“外れくじ”みたいなもんだ。
「よろしくな」
そう言って差し出された手に、恐る恐る触れる。
その瞬間──頭の中に、鮮明な声が流れ込んできた。
《うわ、綾瀬の肌、柔らか……! しかも細っ! めっちゃ華奢だな……》
……え?
予想だにしなかった言葉に、思わず長谷川の顔を見上げてしまう。
彼は特に変わった様子もなく、むしろ少し照れ隠しのように目を逸らしていた。
……罰ゲームなんかじゃ、なかった……?
ストレッチは淡々と進んでいく。首を回し、肩を伸ばし、背中を反らす。動作一つひとつで、長谷川と軽く手や腕が触れ合うたび、俺は無駄に心拍数が上がっていた。
そしてまた──聞こえてしまう。
《なんか力抜けてるな。壊れそうなくらい細い……ほんと、人形みたい》
《綾瀬って無口だから近寄りにくいと思ってたけど、こうしてみると普通に……いや、むしろ可愛いんじゃ》
…か、可愛い……?
その単語があまりにも自分に似合わなくて、頭が一瞬真っ白になる。
俺はずっと、嫌われ者で、目立たない存在で……せいぜい「暗い」と思われているくらいだと信じていたのに。
視線を泳がせると、長谷川はいつも通り、少し汗ばんだ額を拭いながら真剣に動きを合わせている。俺が彼の心の声を聞いて動揺しているなんて、まるで気づいていない。
いや、そもそもこれは“俺に向けられた好意”じゃなくて、ただの感想みたいなものだろ。アイドルを見て可愛いって言うのと同じ……そうに決まってる
「おい、ちゃんと伸ばせ。ほら」
長谷川が俺の腕を軽く引っ張った。驚いてバランスを崩しかける。
「わっ……」
「おっと、大丈夫か」
慌てて支えてくれた長谷川の掌が、また俺の肩に触れる。
《近っ……思ったより顔整ってんのな。睫毛なが…》
やめろ……!
心の声が生々しすぎて、思わず赤面しそうになる。
俺は慌てて距離をとり、「だ、大丈夫」とだけ言って背を向けた。
周囲では他のクラスメイトたちが笑い合っている。
「お前柔らけーな!」とか「力入りすぎだろ!」なんて、気楽な声が飛び交う。
その輪に入れない自分が情けなくて、けれど今は少しだけ、その孤独が和らいでいる気がした。
嫌われてるんじゃない……少なくとも、長谷川には
****
試合を終えて、クラス全員が水筒を手に一息つく。焼けつく日差しの下で息を整えながら、俺もタオルで汗をぬぐった。
「お前、思ったより走れてんじゃん」
隣に腰を下ろした長谷川が、笑い混じりに声をかけてくる。
「……いや、全然」
俺は肩で息をしながら顔をそむけた。
「お前さ、もっと堂々としてりゃいいのにな」
長谷川はタオルを首にかけながら、当たり前のように言った。
「……俺には無理だよ」
苦笑して返すと、彼は「そうか?」と肩をすくめる。
その仕草が妙に気楽で、力の抜けた笑顔に、心の緊張が少し溶けていくのを感じた。
授業が終わるとまた孤独な日常に戻るだろう。
でも、今この瞬間だけは──。
俺は確かに“普通に”受け入れられている。
それだけで、胸の奥がふっと軽くなった。
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