知りたくもなかった。

カワウソ

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第四夜

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葬儀のあと、彼の実家を訪ねた。
母親は、私のことを知っていた。
「…あなたが、みさきちゃんね。よく話してたわよ」
泣くでもなく、怒るでもなく、ただ淡々と、アルバムをめくりながらそう言った。

「本当に、優しい子だったの。……自分にだけ、厳しすぎたけどね」

テーブルの上に置かれた湯呑みに、湯気が揺れていた。
私にはもう、何を言っていいのかわからなかった。



帰り道、彼とよく歩いた河川敷に立ち寄った。
夕焼けが静かに街を照らしていた。
彼とここで話した最後のことを、私は思い出す。

「俺さ、もっと強くなりたいんだ」
「え、いきなりどうしたの?」
「ううん、なんでもない。…ただ、そう思っただけ」

きっとあのとき、彼はもう気づいていたんだ。
自分の限界に。



私は今でも、彼が本当に何を思っていたのか、全部はわからない。
でも、あのときの彼の苦しみが、私のせいじゃなかったなんて、もう思えない。

だから、せめて忘れないようにしようと思う。
彼の優しさも、怒りも、弱さも。
そして、私が“見ようとしなかった”事実も。



私はスマホを取り出し、彼のLINEを開いた。

「ありがとう」
私はただそれだけを打って送信した。

やっぱり既読はつかなかった。

数日後、彼の部屋を整理していたとき、古びた封筒を見つけた。
クローゼットの奥、埃をかぶった冬服のポケットに入っていた。
封筒の裏には、私の名前が書かれていた。漢字で、丁寧に。
筆跡は、彼のものだった。

躊躇いながら開けると、折りたたまれた便箋が出てきた。
一枚だけの、手紙。



みさきへ

本当は、こんな手紙を書きたくなかった。
書いてる時点で、もう僕は限界なんだと思う。

君を責めたいわけじゃない。
でも、君と一緒にいながら、僕はずっと孤独だった。

誕生日の夜、君がドレスを着て、客に囲まれて笑っている姿を想像して、それがずっと頭から離れなかった。
君にとっては“仕事”でも、僕にはそれが“現実”だった。

たくさん考えた。
何がいけなかったのか。
どうすればよかったのか。

君を好きなままでいるために、
僕は自分を殺さなきゃいけなかった。

僕は、君のすべてを理解できるほど大人じゃなかった。
だから、君が悪いわけじゃない。
でも、僕も、悪くないと思いたかった。

本当は、もっと一緒にいたかった。
笑って、話して、ケンカして、
それでもちゃんと、明日を一緒に迎えたかった。

だけど、僕の中の“好き”が、いつのまにか“苦しい”に変わってしまっていた。
君にそれを言えなかったのが、最後まで僕だった。

ごめんね。
ありがとう。

みさきのこと、
本当に、大切でした。



私はその手紙を、何度も読み返した。
途中で涙が出るかと思ったけど、ただ、無表情のままだった。

“僕も、悪くないと思いたかった。”

その一行が、ずっと胸の奥で引っかかった。

私は、悪かったのだろうか。
それとも、彼が弱すぎただけなのか。

…違う。
どちらかのせいにしても、もう意味はない。

ただ、彼はずっと“言えなかった”のだ。
私に「苦しい」と言えなかった。
だから、笑っていた。

あの笑顔は、最後まで“私を傷つけないため”のものだった。
彼の優しさは、彼自身を壊した。



夜、ふと目が覚めた。
ベッドの上で、天井を見つめながら思った。
もし、彼が最後まで笑ってくれていなかったら――
もし、「もう無理だ」と、怒ってくれていたら――

私は、今より少しだけ、彼のそばにいられたかもしれない。
けれど、その“もし”を願うには、私はあまりにも、彼を放っておきすぎた。
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