知りたくもなかった。

カワウソ

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第五夜

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朝になって、私は久しぶりに店を休んだ。
店長からのLINEには既読だけつけた。
「ちょっと体調悪いので」
その一文すら、嘘じゃなかった。心がずっと、重たかった。

昼すぎ、彼の写真が入ったスマホを見つめていたとき、不意に涙が落ちた。
ようやく泣けた。
彼がいなくなってから、はじめてだった。

泣いたあとの私は、少しだけ前よりも、彼に近づけたような気がした。

秋の雨が降っていた。
彼がいなくなってから、三度目の雨だ。
昼過ぎ、LINEが入った。彼の中学時代の友達だった。

「あいつは、ずっと“ちゃんと愛してた”と思うよ。
ただ、それを“ちゃんと伝える方法”を、最後まで見つけられなかっただけだ。

みさきさんが悪いなんて、誰も思ってない。
でも、あいつが壊れていったことには、ちゃんと向き合ってあげてほしい。
それが、たぶん俺らにできる最後の供養だから。」

手紙の端が濡れて、インクがにじんでいた。
私はそっと、折りたたんでポケットに入れた。



その夜、私は店に出た。
いつも通り、ドレスに袖を通し、巻いた髪にスプレーをかけた。

「久しぶりだね、元気だった?」

店長の声に、私は曖昧に笑った。
でも、あの日までの自分とは少し違う笑い方をしていたと思う。

私は、嘘をつくのがうまい。
でも、本音を隠すのは、もう少しだけやめてみようと思った。



ひとりの常連客が、カウンターでグラスを揺らしていた。
彼と少し雰囲気が似ていたから、ふと近づいて話しかけた。

「なんか、最近疲れてるように見えますけど、大丈夫ですか?」

「……ああ、まあね。誰かにそう言われると、ちょっと楽になるね。」

彼は笑った。
私は、不思議と安心した。
人と心を少しだけ交わせた感覚が、今の私には救いだった。



閉店後、いつものように更衣室でメイクを落としていると、
後輩の女の子が、ぽつりと言った。

「みさきさんって、なんか最近…変わりましたよね。
 前より、ちゃんと目見て話してくれるようになった気がして。」

私は一瞬、言葉に詰まった。
でも、うれしかった。
変わっていくことは、彼を忘れることじゃない。
ちゃんと、彼がいたことを受け入れていくことなんだと思った。



帰り道、彼と歩いたことのある並木道を通った。
何度も手を繋いで、笑った場所。
でも今日は、ひとりで歩いた。

彼の言葉はもう聞こえない。
でも、あの手紙の最後にあった「ありがとう」が、ずっと胸に残っていた。

私はスマホのカメラを空に向けて、写真を一枚だけ撮った。
花の咲き始めた桜の枝と、夜の街灯。

「大丈夫。まだ生きてるよ」
小さく呟いた自分の声が、やけに大人びて聞こえた。
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