幼なじみ公爵の伝わらない溺愛

柴田

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5ー1.最悪の結婚相手

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 屋敷の中に入り、ヘンリーという部外者の目がなくなると、ハイデル公爵はニーナを怒りに任せて思い切り突き飛ばした。床に倒れ伏したニーナを見下ろすまなざしは冷え切っている。

「今日出席した夜会で妙な噂を聞いたんだが、どんな噂だと思うかね?」

 ニーナを皇太子妃に、そしていずれは皇后にさせることしか頭になかったハイデル公爵だ。それ以外はこれまでニーナのすることに興味を示さなかったハイデル公爵にも、いつかはデイヴィッドとの仲が知られるとは覚悟していた。そして反対されるだろうことも。どれだけ反対されようと、叱られようと、デイヴィッドへの愛があれば乗り切れると思っていたけれど、現実は甘くない。

「デイヴィッド・シルフストンとかいうしがない男爵家の男にうつつを抜かしている暇が、お前にあると思っているのか!? 皇太子妃になれなかったのならせめて、我が公爵家の得となるような家門の男を誑しこまないか!」
「そんな……! あんまりですお父さまっ」
「まあいい。たまの火遊びくらい許してやろう。遊んでいられるのも今のうちだ」
「……どういうことですか?」
「お前の嫁ぎ先が決まった」

 ハイデル公爵家から皇后を輩出する、という目的のみで身代わりとして迎え入れたのだ。皇太子妃候補から外されたニーナには、もうハイデル公爵家に置いておく価値もない。しかしここまで育てたものをただ捨てるのも惜しかった。
 元奴隷でありながら、ニーナの見目は美しい。単純にニーナを欲しがる者や、ハイデル公爵家と縁故になりたい家門はいくらでもある。ハイデル公爵はニーナを最もいい条件で貰い受けてくれる家門を捜すために、このところ夜会や集まりに足繁く通っていた。

「コリン侯爵がお前を所望だ。デイヴィッド・シルフストンとのお遊びも終いにしろ」
「コリン侯爵……? でもそのお方は、」

 名前が挙がったその人物は、帝国の西部に広大な領地を持つ、資産家の貴族だ。皇太子妃よりは遥かに劣るが、条件としてはまずまず悪くない。しかしコリン侯爵といえば、ニーナより随分と年上だ。祖父と孫ほどに年が離れたニーナを後妻に望むような男が、まともな人物とは思えなかった。

 そんな相手に嫁げと言われても、到底受け入れがたい。
 しかしニーナには、拒否をするという選択が許されるはずがなかった。
 貴族の娘の嫁ぎ先は、家長が決めるものだ。そのうえニーナは本物の娘でもないのだから、意見を言う権利はない。

 絶句するしかないニーナに対し、ハイデル公爵が向けるのは虫けらを見るようなまなざしだ。ニーナのことを、娘とも人とも思っていない。
 ここで声を上げなければ、望まぬ結婚をさせられる。ニーナは勇気を振り絞って、初めてハイデル公爵に反抗した。

「私は……デイヴィッドと結婚を……」
「シルフストン男爵家などと縁故になって私になんの得がある? そも、あの男には弄ばれているだけだろう? いいか? お前は、コリン侯爵と、結婚するのだ」
「い、嫌です……っ、デイヴィッドと、」
「愛が金になるかね?」

 ハイデル公爵は有無を言わさなかった。ハイデル公爵の心はそう簡単には変えられそうにない。コリン侯爵との結婚を拒むためには、ニーナがより魅力的な結婚相手を連れて来るでもしないとならないだろう。
 果たしてそんな相手がいるだろうか?
 追い込まれたニーナは、「ハイデル公爵家から逃げる」という選択肢が頭の中に浮かんでいた。

「イングリッド公爵とももう会うな。シルフストン男爵家の子息などどうでもいいが、イングリッド公爵と変な噂が立てばコリン侯爵との縁談が消えてしまいかねん。まったく……以前からあれとは仲良くするなと言っているのに、聞き分けが悪いな」
「……ヘンリー……ヘンリーと結婚するのはどうでしょうか? 公爵家だしっ、お金持ちです!」

 きっとヘンリーなら、ニーナが望めば結婚するふりくらいならしてくれるだろう。そしてヘンリーと結婚するふりをして、時間を稼いで、その間にデイヴィッドといっしょにどこか遠くへ逃げよう。

「ヘンリー・イングリッドはだめだ。あれはハイデル公爵家にとって毒になる」
「…………」

 もうどうすることもできないのだろうか。無力感と絶望がニーナに襲いかかる。

「コリン侯爵にかわいがってもらえるよう、せいぜい外見を磨いておくんだな」

 ハイデル公爵はニーナを残し、その場を離れる。ニーナは立ち上がる気力もわかず、床に伏して声もなく慟哭するのだった。

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