幼なじみ公爵の伝わらない溺愛

柴田

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 ――ひとまず会計業務を手伝ってもらうことにしたが、ダリアは少しやり方を教えただけであとはほとんど躓くこともなく淡々とこなしていった。

 執務室に他人の存在があることを普段は嫌うヘンリーだが、ダリアの立てる音は心地よくすら感じる。応接用のソファとテーブルで領収証や請求書、前年度の帳簿を並べて難しい顔をしているダリアは、一生懸命で微笑ましかった。ダリア用に執務室を新しく設けるか、ヘンリーの執務室にデスクを増やしてもいいかもしれない。どうせ近い将来必要になるのだから。

 ダリアがぐーっと伸びをしたのを目にして、ヘンリーは時計を見やった。仕事を始めてから二時間は過ぎている。ダリアの体力を考えると、そろそろ休ませたほうがいいだろう。初日にいきなり根を詰めすぎるのはよくない。

「少し休憩をしようか。庭園でも見て回るのはどうかな?」
「ええ、そうしましょう」

 邸宅の敷地内とはいえ、昼間に外へ出るのも久しい。嫌がるだろうかとも心配したが、ヘンリーの手をとったダリアの足取りは軽かった。

 イングリッド公爵邸の庭園は、邸宅を訪れた者が皆そろって賞賛するほど美しい。ヘンリーが花を趣味としており、庭師の厳選にこだわったためだ。ヘンリーが執務室の窓から庭園を眺める時間が多いため、近くで見たときにも、邸宅から見たときにも美しく見えるよう計算されている。
 種類としては薔薇が最も多い。ヘンリーが最も好きな花だからだ。庭園に敷かれた道なりにはいつでも色とりどりの薔薇が咲き誇っている。特大の薔薇のアーチで作られた長いトンネルは、見る者が思わず感嘆の溜息をついてしまうほどの美しさだった。貴重な品種も含め薔薇が何百種類と植えられているイングリッド公爵邸の庭園を、訪れた貴族たちはしばしば薔薇の庭園と呼んだ。

 ダリアも例にたがわず感嘆する――ということもなく、通い慣れた庭園をヘンリーとともにゆっくり歩いて見て回る。ダリアは花に対して興味が薄かった。薔薇の種類が以前歩いたときと変わっていても気づかない。
 それにイングリッド公爵邸の庭園は、10歳の頃から数えきれないほど見ているのだ。立派な庭園だと思いこそすれ、それ以上の感想は特段浮かんでこない。

 とはいえ、庭園を歩くのは気分転換にはぴったりだった。とても久しぶりに太陽の光にあたる気がする。つばの広い帽子をかぶらされて、さらにはヘンリーが日傘をさしてくれているけれど、太陽の温かみはじんわりと伝わってきた。ダリアの口から、ほう、と息がこぼれる。

「疲れてしまったかな?」
「いいえ。大丈夫よ。ヘンリーこそ、一人であの量の仕事をしていて大変ではない? こんなにも早く爵位を譲るだなんて、もしかしておじさまはどこか悪いの?」
「僕が爵位を譲ってほしいと父上にお願いしたんだ。父上はピンピンしているよ。今頃母上と領地でのんびり過ごしてるはずだ」

 ヘンリーの父親は爵位を継承することを躊躇いはしたが、最終的に息子の望みに応える選択をした。ヘンリーの優秀さは幼い頃から抜きんでていたため、年齢による未熟さや業務に関する心配はほとんどしていない。懸念していたのは、公爵という立場を使って相手の意思もかまわず無理やりニーナ・ハイデルを娶ろうとしないか、という点のみだ。
 公爵となったヘンリーは元の業務を楽々とこなし、さらに別の事業を手がける余裕さえ見せた。ヘンリーの代になってから、イングリッド公爵家はより栄華を誇っていると言ってもいい。ヘンリーが公爵位を欲した理由は、ニーナ・ハイデルを無理やりに娶ろうというわけではなく、やりたい事業を円滑に進めるためだったのか、と父親は後々納得したという。

 ――当然そんなわけはないのだが。
 ハイデル公爵と渡り合うためには、同じ公爵の位を持っていたほうが都合がいいと考えたのだ。ヘンリーのすることはどれもこれも、ダリアを手に入れるための下準備だった。

「仕事は大変じゃないよ。僕が稼いだら稼いだ分だけ、ダリアが好きに使えるだろう?」
「どうしてあんたの稼いだお金を私が使うこと前提なのかしら」
「それはもちろん僕がダリアに使ってほしいから。ダリアのためって考えるとどんな仕事でも望外のやりがいを感じられるんだ。僕がせっせと働かずとも、執務室のデスクに座ってるだけでお金は入ってくるんだけどね」
「……女に現を抜かしているだなんて、悪い領主ね」
「そういうのは、もっと僕のお金を湯水のように使ってから言ってよ」

 庭園の端のほうまでくると、ヘンリーは立ち止まった。ここは普段、訪問客などの立ち入りは禁止している場所だ。そう広くはない簡素な花壇があり、何かの植物が植えられているようだが、まだ花はおろか蕾もついていない状態だった。

「ここの一角は僕が趣味で花を育てていてね、いつもは自分で品種改良した薔薇を植えたりしているんだけれど、今年はダリアにしたんだ」
「その花なら私も知っているわ。私の名前といっしょの花……何色の花が咲くの?」
「ひみつ。花が咲いたらまたいっしょに見ようね」
「なによそれ。教えてくれてもいいじゃない」

 拗ねた口調で言ってみても、ヘンリーは笑ってはぐらかす。
 ダリアは別に花になんて興味はなかったはずなのに、このダリアが咲く日がくるのを、ほんの少しだけ待ち遠しく思うのだった。

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