幼なじみ公爵の伝わらない溺愛

柴田

文字の大きさ
76 / 113

22ー1.あてのない旅路


 ダリアは馬車に乗って街へ向かうと、少し手前で降りた。イングリッド公爵家の紋章が入った馬車は目立つのだ。御者には邸宅へ戻るよう告げて、ダリアは馬車道を歩いていく。今日はたくさん歩くことを想定して、ヒールの低い靴を選んだ。

 少し離れた後ろから、ベンジャミンと護衛騎士が5名ついてきている。ベンジャミンは普通の執事服だが、護衛騎士たちはイングリッド公爵家の騎士服では目を引いてしまうため、帯剣はしているものの平民のようなラフな格好をしていた。

 馬車道を歩いていくと、貴族街が見えてくる。
 ダリアはつばの広い帽子を目深にかぶった。
 行く当てがあるわけでもなく、メインストリートを通り抜けていく。どちらかといえば、この先にある平民街のほうを見てみたかった。ダリアは孤児院とその地下と、あとは貴族街にしか行ったことがない。イングリッド公爵邸を出て一人で暮らすには、あまりにも世間知らずだった。

 貴族街だけあって、たまに見知った顔に出会う。そんなときには殊更に帽子のつばを下げ、そそくさと通り過ぎた。ニーナ・ハイデルとして知られた顔は、貴族街を歩くには不都合が多い。

「――……聞きまして? イングリッド公爵様とクレマンティーヌ皇女殿下の結婚の噂」

 貴婦人たちの姦しい声が耳に入り、ダリアは肩を揺らした。
 今朝ヘンリーのもとに求婚状が届いたばかりだというのに、もう噂になっていることに驚く。やはりもっと前から二人の結婚の話が出ていたに違いない。そうでなければ、噂になるのが早すぎる。まるで外堀から埋めていくかのように。――そう感じてしまうだけで、ただダリアが社交の場に出ていないから知らなかっただけなのだろう。

「お似合いのお二人だわ」
「以前から親しくされていたようですし、邪魔者がいなくなってやっと、という感じよね」
「ああ、あの狂犬――……」

 ダリアは自身を指すあだ名を聞いて、貴婦人たちの前を足早に通り過ぎた。

 邪魔者。やっぱり、誰がどう見ても邪魔者なのだ。
 確かにクレマンティーヌ皇女は、以前からヘンリーと親しくしたがっていた。パーティーでどこへ行くにもついてこようとするヘンリーをダリアが追い払うと、しばらくしてクレマンティーヌのところへ向かう姿を何度も見たことがある。ヘンリーとクレマンティーヌが二人で親密そうに話をしている場面を見てもなんとも感じたことはなかったが、ほかの貴族からはお似合いに見えるらしい。
 クレマンティーヌは皇女なだけあって、気高く美しい。ダリアはあまりクレマンティーヌと親しくないため人となりまではわからないが、ヘンリーと並んでも遜色のない人物だろう。

 幼なじみで、ほかに誰もパートナーに誘ってくれるような男性もいないダリアのことを気にかけて、いつもパーティーではパートナーに誘ってくれていたが、ヘンリーが本当にパートナーになりたかったのはクレマンティーヌだったのかもしれない。

 ――腹の底から妙な感覚が上がってきて、ダリアは鳩尾のあたりを押さえた。しかしそれは、正しくは胸のあたりで渦巻いている。手足は冷え切っているのに、身体の内側、臓腑だけがぐらぐらと煮え立つよう熱かった。沸騰したそれはやがてドロドロとこぼれだし、ダリアの中を汚いもので埋め尽くす。それは汚泥のように心の底へ溜まっていった。
 これはなんだ。この感情はなんだというのか。
 こんなもの、ダリアは知らない。
 いいや、本当は知っている。けれどこれほど苛烈ではなかった。
 この感情は、嫉妬だ。

 ――けれど、ヘンリーはダリアを「愛している」と言っていたではないか。
 クレマンティーヌとのことは、すべてダリアの穿った妄想だ。そうに違いない。

(でも、本当にそうかしら? 愛しているなんて言葉、愛していなくとも簡単に言えるもの)

 デイヴィッドの件で思い知ったのだ。人は容易に嘘をついて、人を騙すということを。ヘンリーがあのクズ男と同じとは思いたくないけれど、嘘にはいくつも種類がある。あのときの言葉は、愛に裏切られたダリアを慰めるために囁いた、ヘンリーの優しい嘘だったんだろう、と今なら理解できた。
 優しさは、時には残酷だ。優しさにつけ入っていたダリアもまたひどい女であった。

感想 1

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

<完結>金貨5000枚で売られた王太子妃

ぜらちん黒糖
恋愛
​「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」 ​甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。 旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。 「それは本当に私の子供なのか?」

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! *全28話完結 *辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 *他誌にも掲載中です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。