矢倉さんは守りが固い

香澄 翔

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第十四局 合宿でも矢倉さんの守りは固い?

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「はーるばるきたぜー。温泉地ー」

 木村きむら先輩が楽しそうに叫んでいた。

「まぁそんなに遠くでもないですけどね。片道一時間ですし」
「美濃くん、それは無粋ってものだよー。旅行は気分が大事なんだよー」

 僕のつっこみに菊水きくすい先輩がたしなめるように告げる。
 確かに今は無粋だったかもしれない。木村先輩の言う事には思わずつっこみを入れてしまうようになっているので、少しだけ反省する。

 そんな僕の様子を他に矢倉やぐらさんが楽しそうに口をはさむ。

「でも本当に良かったんですか。ほとんど交通費だけでこんないい場所に泊めていただいて」

 矢倉さんが目の前に広がる旅館を前にして、にこやかにしている。
 確かに思っていたよりもずっと立派な旅館だった。建物もかなり趣があり、とても綺麗なだけでなく、お風呂も温泉で露天風呂もあるらしい。

「ここは僕の親戚が経営しているところだからねー。話してみたら、ちょうどキャンセルがでたらしくってね。ほとんどただで貸してくれたんだよー。ちょうどよかったよね。でも格安な分、食事は出ないから近くの炊事場を借りて自炊だよー」

 菊水先輩も楽しそうに言う。こういうみんなで何かをするのは菊水先輩の好むところだ。だからこうして旅行にこられて人数が沢山で嬉しいのだと思われる。

「おー。これというのも菊水くんのおかげだよ。ありがとね!」

 木村先輩はばんばんと菊水先輩の肩を叩いていたが、菊水先輩は気にした様子もなくにこにこと微笑んでいる。

香奈かなちゃんはいつも楽しそうだよね」
「もちろん。私の座右の銘は、人生いつでも楽しむだからね!」

 木村先輩は確かにいつも楽しそうだ。その点は僕も見習いたいと思う。

「なんでもいいけど、ボクはお風呂はいりたい……」

 いちご先輩がだるそうにため息を漏らしていた。確かに今日は日差しが強くてだいぶん暑い。

「いちごの気持ちもわかるけど。でもまぁ炊事したらまた汗かくから、食事の後にしたらいいんじゃない?」

 木村先輩はどちらかというと早く食事にしたいようだ。
 確かに今回食事に関してはほとんどキャンプみたいなものなので、火をおこしたりするのも汗をかく事にはなるとは思う。

「でも食事をするには少し早いですから、いったん荷物をおいて、少し自由行動にするというのはどうでしょうか」

 矢倉さんが建設的な意見を出していた。
 確かに今はまだ三時すぎで、少し時間がある。初日は将棋を指すのは夜の予定だから、それぞれ好きにしてもらうのがよいのかもしれない。

「そうだねー。じゃあ部屋に入って自由行動、四時半にロビーに集合しよう」

 菊水先輩が部長らしく取り仕切っていた。
 それから旅館にチェックインして、男女でわかれる。もちろん部屋は男女別だ。

「ふー。菊水先輩。落ち着きましたね」

 旅館の部屋はいかにも趣があって、お茶菓子がテーブルにおかれていた。
 僕はさっそくお茶をいれると、お茶菓子をつまむ。

「あ、これ美味しいですね。先輩もどうですか?」

「美濃くん、ありがとうー。しかし将棋部のみんなでこんな合宿が出来るとは思わなかったよ。これも美濃くんが入ってきてくれたおかげかなー」

「え、僕がですか?」

「そうだよー。先輩達が卒業して、香奈ちゃんに里見さん、新入生は矢倉さんって女性陣ばかりになっちゃうからさ、さすがに僕一人だけで部屋をとるってなったら、なかなかね」

「ああ。なるほど。なんか女性多いですもんね」

 将棋部なんて男子ばかりでもおかしくなさそうなのに、うちの将棋部は女性の方が多い。まぁそもそも人数が少ない訳だけど。

「でもそう考えると、矢倉さんのおかげというべきなのかな」

 菊水先輩が少しいじわるそうに笑う。

「美濃くんは、矢倉さんのおかげでうちの部に入ってきたんだもんねぇ」
「え、いや。僕が入ったのは、菊水先輩に誘われたからで」

「隠さなくてもいいんだよー。君、部室に入っていく矢倉さんのことじっとみてたじゃない。だからうちの部に入る気になったんでしょ。矢倉さんと指してる時の顔もぜんぜん違うしねー。ま、その辺は主に香奈ちゃんのせいかもしれないけど」

 菊水先輩は部屋の外の方へと視線を向ける。そちらは女性陣の部屋がある方だ。

「そういえば菊水先輩は木村先輩だけ名前で呼んでますよね」

 ふと気になった事を聴いてみる。この間、矢倉さんに木村先輩が菊水先輩と同じ学校にいくために勉強しているときいて、少し気になっていた。

 あの木村先輩がそんな乙女なことを、というのも本当なのかはかなり気になる。

「ああ、香奈ちゃんと僕は幼なじみでなんだよー。幼稚園の時からずーっと一緒でさ。もうその方が慣れちゃっていてねー。でも中学まではともかく、高校も一緒になるなんて思わなかったし、大学も同じ学校を目指しているみたいでねー。部活も同じところに入るとは思わなかったし、なんか偶然も続くものだよねー」

 菊水先輩はどうやら木村先輩が一緒の学校にいるのは偶然だと思っているらしい。
 今の話をきくとたぶん部活も高校も大学も、菊水先輩のそばにいるためなんだろうなぁとは思う。生徒会にはさすがに入らなかったみたいだけれど、そちらまではさすがに手が回らなかったのかもしれない。

「菊水先輩は木村先輩の事をどう思っているんですか?」

 二人だけなのをいいことに気になっている事を訊いてみる。もしかしたら菊水先輩も方も悪からずだったり、などと想像してしまう。

「どうって今いった通り、幼なじみの友達だよー。ずっと一緒にいるから妹みたいな感じもするけどね」

 しかし菊水先輩は少し考えてから告げる。確かに菊水先輩はいろいろ問題を起こす木村先輩の保護者のようでもある気がする。

 木村先輩。どうやら菊水先輩は妹としか見ていないようです。
 いつも木村先輩には困らせられてしまうけれど、ここは応援したいような気もする。

「で、でも木村先輩ってちょっと困ったところはあるけど、綺麗な人ですよね。それに案外面倒見は良くて、優しいところもあって」

 いちおう本心である。だいぶん困ったことを言う人でもあるけど。

「ああ、そうだね。いい子だとは思うよー。そうでなければこんなに一緒にはいないと思うしね」

 にこにこと微笑みながらいう菊水先輩。
 菊水先輩が木村先輩の事をどう思っているのかははっきりとはいえないけれど、どうも木村先輩の気持ちには気がついていないようだし、特別に気にしている訳でもなさそうだ。

 だけど少なくとも嫌われている事はなさそうだし、脈が全くないという訳でもなさそうだ。

 何で木村先輩の事をこんなに応援しようと思っているのかはわからないけれど、木村先輩にはいろいろ困らされはするものの、本当に嫌な事はされていない事に気がつく。

 僕が本気で嫌になるところまでは踏み込んでこない。基本僕にしかああいうことは言っていないみたいなので、たぶん僕のことをわかっていてからかっているのだろう。
 そういうところを除けば、たぶんいい人だとは思う。

 もっとも除いちゃだめなラインにも達している気もするけど。まぁ、疲れるけれど、木村先輩のことは決して嫌いではない。

 矢倉さんはその事に気がついていたのだろう。僕は苦手だ苦手だといいつつも、なんだかんだ木村先輩と絡んでしまっていたことに。確かに最近指導対局を良くうけているいちご先輩をのぞけば、菊水先輩よりも木村先輩の方とよく話していた。

 それは木村先輩がからんでくるからということもあるけれど、僕もそれが本当に嫌だという訳ではなかったかもしれない。

 せっかくだからこの合宿で全員ともっと仲良くなろうとは思う。
 そして出来れば木村先輩と菊水先輩の間もうまくいってもらいたいとは思う。
 なにはともあれ、そうして楽しい合宿が始まったのだった。

「だけど。この時はまだ僕は知らなかった。この合宿が惨劇の幕開けだと言う事に」

 どこからかナレーションの声が聞こえる。
 いつの間にか木村先輩が後ろに隠れていた。

「うわぁ!? 木村先輩!? いつの間に」

「いまきた。いやいちごがお風呂いっちゃって矢倉っちもそれについていっちゃったからさー。女子部屋には誰もいなくなっちゃったんだよね」

「木村先輩はお風呂いかないんですか?」

「いや、だってこのあとすぐに汗かくのわかっててるのに、何回も入るのも時間の無駄じゃない。仕方ないのでこっちにきた。菊水くんと美濃っちは部屋にいるかなと思って」

 それから僕の方へと視線を合わせてにやりと口元を緩ませる。

「あと矢倉っちがお風呂入るって美濃っちにお知らせしておこうと思って」
「なんでですかっ!?」

「それを私に言わせちゃう? 言わせちゃうの? しょうがないなぁ。そんなに美濃っちがいうなら教えてあげるね」

「この展開前にもやりましたけど、きいてません」

「のぞきにいくなら今がチャンスだって教えてあげようと思って」
「のぞきませんし、それ犯罪です」

「男ならやらねばならぬ時がある」
「それ、絶対いまじゃないです」

「ま、それはそれとして。ほんとのところはちょっと菊水くんに用事があってね」

 急に話題を転換したかと思うと、木村先輩が菊水先輩の方へと向き直る。

「この後の行程を相談しておこうと思って。いちおう料理に使うものは私の方で一式用意しておいたし、材料もそろえてあるからあとは作るだけで大丈夫」

「香奈ちゃん、気が利くね。ありがとう」

「食事が終えたら、少し一服してから特訓開始でいいかな。今日は使う予定がないから小さい宴会場を貸してくれるって。脚付きの将棋盤も備え付けがあるみたいだから、もってきた将棋盤じゃなくて、そちらを使わせてもらおう」

 木村先輩がいつもと違う感じではきはきと話を進めていた。

「それは助かるね。脚付きなんて贅沢なものはうちの部にはないからなぁ」
「旅行の予定は菊水くんが全部整えてくれたからね。これくらいの手配なら任せておいて」

 木村先輩はウインクをしてみせると、それから部屋の中に座って自分でお茶をいれていた。

「あ、木村先輩。お茶くらいなら僕が入れますよ」
「いいのいいの。ここはほんとは男子部屋だもん。勝手にきた私が自分でやるよ」

 意外と殊勝な事をいっていた。たぶんあんなことを言いながらも、本当は副部長として、自分の役割を果たすために菊水先輩と打ち合わせにきたのだろう。やっぱりこういうところは先輩で、しっかりしているなって思う。

「ところで美濃っち」
「はい。何でしょう先輩」

「さっき矢倉っちがお風呂ときいて、裸の矢倉っちを想像したかね」
「してませんっ」

「いちごもいるぞよ。そして二人はお風呂場であらいっこをしながら、気がつくと二人の肌がふれあって。きゃーーー。どうしましょう」

「自分が想像しているんじゃないですか!?」

 ああ、でもいちご先輩と矢倉さんの二人がからみあうところはちょっと見てみたい気がする。
 って、いかんいかん。木村先輩に毒され始めている。
 せっかく見直したのに台無しだ。ため息をもらす。

「ま、もう少ししたら約束の時間だし、僕達三人はこのあとロビーに向かうことにしようー」

 菊水先輩が苦笑いをもらしながら、ふわふわとしたしゃべり方で告げる。
 合宿はまだ始まったばかりだ。

 合宿中も矢倉さんの守りは固いだろうか。
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