矢倉さんは守りが固い

香澄 翔

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第十五局 いちご先輩と一緒に旅館のお風呂

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矢倉やぐらちゃんって、着やせしてみえるタイプだね」

 いちご先輩が私を見ながらにこやかに笑う。いまはいちご先輩と二人で旅館の温泉につかりにきていた。

「そ、そうですか? 私、太ってますか?」
「ううん。ぜんぜん。でもほんとでるところでてるんだなぁって」

 そのあといちご先輩は自分の胸に手をあてたあと、みるからに沈み込んでいた。
 まぁ確かにいちご先輩は少しばかり小さいかもしれない。でも個人的にはいちご先輩のスレンダー体型の方が憧れる。私はどちらかといえばいわゆる安産型体型だと思う。もう少しほっそりして生まれたかった。

「ちょっとボクにも分けて欲しい」
「え、えーっと。わけられるのなら」

「天はなぜ彼女に二物を与えもうたのか。こんなに綺麗でプロポーションもよくて将棋も強いだなんて、最強じゃん。もう女流棋士じょりゅうきしに待ったなし」

 いちご先輩はなぜか私を女流棋士にしたいらしく、ことあるごとに推薦してくる。

 アマチュア四から五段で奨励会しょうれいかい6級と言われているから、四段の私ももしかしたらぎりぎり奨励会に入れるかもしれないくらいの実力はあるということ。

 一方女流棋士になるには、研修会でB1クラスに上がれれば女流2級に編入する事が出来る。最低ランクのFランクがだいたいアマチュア二段。そして十八歳以下で研修会でSクラスに上がれれば奨励会6級に編入出来るという事を考えれば、今の私でも研修会B1クラスなら十分に上がるチャンスはあるとは言えるだろう。

 ただそれは単純な棋力だけでいえばという話だ。

 実際には実力だけではないのが勝負の世界だ。メンタル面だって影響していくし、運や勢いだってある。私は勝負の世界でやっていけるかどうかは自信がない。

 興味が無いとはいわない。興味がなければこんな事を調べたりはしない。
 だけどいわゆるコミュ障の私でもやっていける世界なのかには疑問がある。弱気な私が勝っていける世界ではないようにも思う。

 女流棋士のみなさんのやっている将棋の動画なんかもときどきみているけど、みんなしっかり話していて、私もこれが出来ないといけないのかななんて思う。

 もちろん全ての女流棋士が動画活動をしている訳でも無いけれど、大盤解説の聞き手などの活動もある。そういった事が私に出来るだろうか。

 それが怖くて研修会には入らなかった。入れなかった。
 幸いといっていいのか、地元の将棋クラブにはプロを含むかなり腕の立つ大人達もいて、その人達にはかわいがってもらえて将棋の腕自体はかなり上がった。でも先生には「もっと早く研修会に入っていたら、もっともっと強くなれた可能性があった」とはよく言われる。

 私はそうするべきだったのだろうか。今もわからない。

 でもいま将棋部に入って、先輩や美濃くんと将棋を指すようになって、前よりもずっと将棋が楽しくなった。
 だから前に進んでみようという気持ちも浮かんできた。
 だからこの将棋部で大会にでて、そして地区大会で優勝するんだ。美濃くんと一緒に優勝したら。

「おーい矢倉ちゃん?」

 きっと前に進めるようになる。そうしたら私は。
 私は目指してもいいのかもしれない。

「矢倉ちゃんってば。おーい」

 女流棋士になることを。先を目指してもいいのかもしれない。

「聞こえてないのかな。あー……。えいっ」

 突如、私の胸部に強い刺激が走る。

「わ、わ、わーーーーっ。わーーーーっ。いちご先輩、何してるんですか、何してるんですか!?」

 いちご先輩が背中から私の胸をわしづかみしていた。胸からじんじんとしたしびれのような刺激を感じる。

「あ。正気にもどった。呼んでも、顔の前で手をひらひらしても反応なかったからさー。ちょっと荒療治を」
「で、できればもう少し普通の方法で」

 荒い息を吐き出しつつ、胸元を隠す。

「ふふふ。いいではないかいいではないか。こうしていたらボクもご利益あって大きくなるかもしれないし」
「ないですないです。そんなのないですから」
「えーい。矢倉ちゃんばっかりずるいぞー! ボクにもわけろー!」

 ばしゃばしゃと水をかき分けながら、いちご先輩が迫ってくる。
 私は慌てて逃げるようにしてお湯の中をかき分けていく。
 他にはお客の姿はない。こうして少しばかりはしゃいでいても、迷惑をかける事はないだろう。

「わ、わけられるならわけてますー」
「さっきの感触だとE65ってところかな」
「何でわかるんですかっ」
「ふふ。ボクには何でもお見通しってことさ」

 そんなことを話しながら、とうとういちご先輩に捕まってしまう。

「えーい。矢倉ちゃん、つかまえたー! さぁご利益をよこせー」

 それからいちご先輩につかまって、そのまま後ろから抱きしめられる。とはいえいちご先輩の方が背が低いから、私の肩のあたりにいちご先輩の頭があたっていた。

「矢倉ちゃん。ボクもさ、なれるなら女流棋士になってみたいよ。でもボクには無理だから。ボクの力じゃ研修会にすら入れない。だから矢倉ちゃんにその気があるのなら、ボクの分の夢も背負っていってほしい」
「いちご先輩……」

 何といっていいのかわからなかった。
 いちご先輩も有段者だけあって、それなりにしっかりとした将棋を指す。でも女流棋士を目指すには、力が足りないと先輩は自覚しているのだろう。これだけ強いのに将棋部専任でなくて、軽音学部に入っているのもそれゆえなのかもしれない。

 私には力がある。プロ棋士への道は、かなり茨の道で若いうちに奨励会に入っていなければかなり厳しい。しかし幸い私が目指す女流棋士であれば、私くらいの歳から始める人も少なくはない。
 だからもしも私も夢を目指してみてもいいのなら。その時はいちご先輩の夢も一緒に背負ってもいいかもしれない。

「だから、がんばってね。矢倉ちゃん」
「はい。がんばります」

 私は決意を胸に抱き、そして。
 胸元から変な刺激を感じていた。

「いちご先輩。何やっているんですか?」
「ご利益ご利益」
「ありませんから!」

 いちご先輩の手を振り払って、私はお湯の中に身体を沈める。
 大会を優勝できたなら、私は前に進んでみようと思う。
 女流棋士を目指すことも、そしてこの胸の中にある想いのことも。




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※女流棋士へ上がる条件は執筆現在の規約です。研修会や奨励会の実力は年々高くなってきており、これらは変わる可能性があります。
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