矢倉さんは守りが固い

香澄 翔

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第十八局 星狩りでも矢倉さんの守りは固い

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 風が火照った身体を冷ましていく。
 特訓が終わった後に疲れを癒やすためにもういちど温泉を堪能して、いまはオープンテラスで風にあたっていた。

 もう外はかなり暗い。旅館の明かりあたりを照らすだけだ。

 テラスのベンチにこしかけて、空を見上げる。
 澄んだ空気の中にみえる星空がとても綺麗だと思った。
 並んでいる星々を見ていると、それがだんだん将棋の盤面に見えてくる。

「将棋のやりすぎかもしれない。ああ、でもあの星の並びなんて美濃囲みのがこいだよなぁ」

 星空の中から美濃囲いを見つけると、思わず苦笑する。
 いちどそう思うとそれにしか見えなくなってくる。今日一日で何局指したかわからない。

「そう思うとあっちは矢倉やぐらかな。それならこの距離が僕と矢倉さんの距離って訳か」

 近いようで遠い。だけどいつかは必ず届かせてみせる。
 そう決意を固めて、手を握りしめた。その瞬間だった。

「呼びましたか?」

 背中から声が掛けられる。
 思わず振り返ると、そこには浴衣姿の矢倉さんの姿があった。

「や、矢倉さん?」
「はい。矢倉ですよ」

 矢倉さんは長い髪を今日はアップにまとめていた。
 矢倉さんも湯上がりなのか、少し肌が赤いようにも思えた。暗くて良くわからなかったけど。

「隣に座ってもいいですか?」
「あ、はい。もちろんです」

 慌てて答えると、矢倉さんが隣にこしかける。

「星空がすごく綺麗ですね」

 矢倉さんは星空を見に来たのかも知れない。空をじっと見つめていた。
 僕も無言でただ空をみていた。でも半分は矢倉さんの方を横目でみていたかもしれない。

 いつもと違う感じの矢倉さんはとても素敵で、胸がどきどきと高鳴っていた。
 空にすっと星が流れる。

「流れ星ですね。美濃くんは何か願いましたか?」
「突然すぎて何も願えませんでした」
「また流れるかもしれませんから、次の時までに願い事を決めておいた方がいいかもしれませんね」

 矢倉さんがくすくすと笑みを浮かべる。

「じゃあ次は何を願いますか?」
「そうですね。せっかくみなさんがここまでしてくれたのだから、大会で勝ちたいです」

 無難に答えておく。
 でもその先に思う願いは矢倉さんには秘密だ。
 もしも大会でいい成績を残せたら、その時は矢倉さんに告白しようかなと思う。そして出来ればその時に「はい」と答えてほしい。それが僕の今の願い。

「矢倉さんは何か願ったんですか?」
「ふふ。秘密です」
「えー、ずるいなぁ。教えてくださいよ」

 僕の言葉に矢倉さんは僕の方へと顔を向ける。

「もし教えたら、美濃くんが私の願いを叶えてくれますか?」
「え、えっと?」
 矢倉さんの問いかけは思ってもなかったことで、矢倉さんが何を願ったのかなんてわからないから叶えるだなんて軽々しく答える事は出来ない。

 もし矢倉さんが願ったとすれば大会で優勝したいといった願いだろうか。
 それなら僕にも少しは力添えできることかもしれない。そういう事を言っていたのかもしれない。

「僕に何が出来るかわからないですけど、僕に叶えられることなら」

 今の自分に出来る精一杯の答えを返す。
 矢倉さんはそれで満足してくれただろうか。
 しかし矢倉さんはベンチから立ち上がると、くるりとふりかえって僕の方を見つめ直す。

「ふふ。ありがとうございます。でも絶対叶えるって言ってくれないなら教えてあげません」
「え、ええー。ずるいなぁ。じゃあ絶対叶えます」
「もうだめです。時間ぎれでーす」

 矢倉さんは旅行の開放感がそうさせるのか、何だかいつもより明るくはしゃぎながら、そのままテラスの上で再び振り返った。それから背中を向けたまま、空へと手を伸ばす。

「どんなに手を伸ばしても星には届きませんね」

 矢倉さんが当たり前の事をつぶやく。星がものすごく遠い場所にあるなんて事は常識で、誰も本当に星を手にいれられるだなんて思ってもいない。

 だけど何か言いたい事があるのかもしれない。

「私ね。最近まで知らなかったけど、実は案外欲しがりさんなんです。いろんなものを手に入れたいなって、そう思うんです。だからまずは第一歩。あの星は手が届かないけれど、手に届く星を手にいれたいなって思います」

 矢倉さんは何かを決意していたようだった。
 振り返らないまま矢倉さんは告げる。

「こんどの地区大会で優勝したいです。そのために全力でがんばるつもりです。だから」

 少しだけ矢倉さんは言葉を止める。
 静かな風の音だけが辺りに響く。
 そしてゆっくりとまた向き直って、僕へと視線を合わせる。

「だから美濃くんも私の願いを叶えてください」
「絶対に叶えます」

 僕は立ち上がって告げる。
 少しは僕も強くなっているはずだった。だから力を出して、矢倉さんの願いを叶えたいと思う。

「ふふ。信じていますからね。約束ですよ」

 そう告げた矢倉さんの素顔はいつもよりもとても綺麗で、思わず僕は手を伸ばしそうになる。
 でもいまはまだ手にとることはできなくて。

 矢倉さんの願いは大会のことだったのか、それとも本当はそれ以外の事だったのかはわからないけれど、その願いを叶えたいと思った。

「あ、矢倉ちゃん。お風呂あがりから姿がみえないと思ったらこんなところにいたんだ」

 声に振り返ると、いちご先輩がコーヒー牛乳を片手に歩いてきていた。
 いちご先輩も浴衣姿だったけれど、いつものツインテールやサイドテールではなくて、まとめ髪なのが少し色っぽいと思う。

「いちご先輩。こんばんは」
「こんばんはって、あれ。美濃くんもいたんだ。あー、これはこれは。ボク、お邪魔虫だったかなぁ」

 いちご先輩がにやにやした顔で僕につめよってくる。

「い、いえそんなことは」

 慌てて否定するが、いちご先輩は何だか楽しそうに僕へと詰め寄ってくる。

「で、矢倉ちゃんと何話してたのかな」
「いや、その。星が綺麗だなと」
「へー。なるほどねぇ」

 いちご先輩のにやにや顔が止まらない。何かこう完全に見透かされている気がする。
 そしてその後からまた違う声が響く。

「おーい。いちごー。卓球やろうぜー!」

 木村先輩の声だった。向こう側に菊水先輩の姿も見える。
 もうずいぶん時間が遅いというのにみんな元気だなぁ。

「矢倉っちと美濃っちもやろうー。温泉っていったら、卓球でしょー。そして弾ける白球と共に激しく動く女性陣。動きと共にゆるんでいく浴衣の間から見える白肌が。きゃーっ。美濃っち、何想像してるの」

「想像したのは木村先輩です!」

「まぁそんな訳で美濃っち矢倉っち、卓球やろうぜー」
「その流れでやるわけないでしょっ。もう、木村先輩はこれだから苦手なんです!」

 いつものやりとりが始まっていた。
 矢倉さんは少しだけ微笑むと、それからすぐに先輩達の方へ歩み寄っていく。
 矢倉さんの本当の願いは聞けなかったけれど、だけど矢倉さんの願いを叶えてあげたいと思う。

 夜空でも矢倉さんの守りは固い。
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