30 / 42
シリーズ盤外戦術
盤外戦術その2 敬語とか
しおりを挟む
「ところで君たちさ、付き合いだしたというのにどうして二人とも敬語のままなの?」
いちご先輩がとても痛いところをついてくる。
矢倉さんとは今までずっと敬語で話していたので、急に変わるのも難しい。それに一度敬語をやめてため口にしましょうといったこともあるのだけれど、その時は矢倉さんの機嫌が悪くなって、ずっと敬語で話すと言われたのだった。
「え、えーっと。その。昨日の今日なので、なかなか急には」
しどろもどろに話すけれど、いちご先輩はにやにやとした顔をこちらに向けてくる。
あ、これはからかってくる流れだ。
そう思った瞬間。ばんっと音を立てて扉が開く。
「話は聴かせてもらった!」
声と共に入ってきたのは木村先輩だった。
「き、木村先輩。こんにちは」
木村先輩に挨拶を交わす。
木村先輩はどこまで話をきいていたのだろう。というか、わざわざタイミングを見計らって入ってきたのだろうか。
「うむ。くるしゅうない。ちこうよれ」
「寄りません。木村先輩に寄ったら何されるかわかりませんし」
「なんだとー。私が可愛い後輩にいたずらをすると思っているのか」
「はい。思ってます!」
「にゃにおー。そんな美濃っちには、いたずらしてやるー!」
「やっぱりするんじゃないですか!?」
「ふははは。それが宇宙の真理というものだよ、明智くん」
「美濃です」
「お前にはそんな名前はもったいない。今日からお前は明智小五郎だ」
「なら木村先輩は怪盗二十面相なんですか?」
「人を怪盗呼ばわりするとは失礼な。ワトソンくん」
「いつの間にか探偵から助手になってますけど」
「まぁ、そんなことより。美濃っちと矢倉っちはつきあいはじめたんだって!?」
自分が話をふっておいて、なかったように話し始める。
いろいろアドバイスしてもらったおかげで勝てたけれど、やっぱり木村先輩は苦手だ。うん。それに話はしっかりきいていたようだ。
「え、ええ。まぁ、はい。そうです」
「ほほーほほーほほー。いやぁ、まさか美濃っちと矢倉っちが付き合うなんて思ってもみなかったよ。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「そんな訳で、君たちにはお祝いにこれをあげよう」
木村先輩がいいながら取り出してきたのは、一つの紙袋だった。
まさかこれって。
「……たいやきですか?」
「いやぁ。ははは。いちごとまるかぶりになるとは思わなかったよ。矢倉ちゃんが好きっていってたからさー。ほら、学校のすぐ近くにたいやき屋さんあるから、ちょうどいいなーって」
木村先輩は照れくさそうに笑っていた。これは狙ってやったわけではないようだ。木村先輩が狙って重ねてきたなら、むしろもっとアピールするはずだ。
「たいやきばっかりで悪いけど、これも食べてくれるかな?」
「はい! いただきます! たいやきならいくつでも食べられます!」
矢倉さんが目を輝かしていた。
そ、そこまでたいやきが好きなんだ。たいやきに何か思い入れがあるのだろうか。子供の頃に母を亡くした直後に出会った少年に、たいやきをおごってもらった想い出があるとか。
矢倉さんがたいやきを食べているのをよそに、木村先輩は僕の方へと向き直る。
「そしてそれはそれとして。君たち二人はそろそろ普通に話してもいいんじゃないかい?」
「そ、そうですね。でもまぁ何となく染みついてしまっているというか」
少しためらいを見せる。矢倉さんにはずっと敬語で話しますと言われているのもあって、敬語をやめるのは戸惑いもある。
「じゃあまずは呼び方を変えてみるとかどうかね?」
「呼び方……ですか?」
「そう。例えば名前で呼んでみるとか」
「名前……名前ですか……!」
矢倉さんの名前。名前を呼ぶ。そ、それはだいぶんハードルが高い。
矢倉さんも少し目を白黒とさせていた。急にふって湧いた話に驚いているのだろう。
もちろん矢倉さんの名前は知っている。でもそのたった三文字の言葉が、僕の胸を激しく揺らしていた。
でも確かにつきあい始めたのだから、名前で呼んでみるのはありかもしれない。
意を決して矢倉さんの名前を呼ぶ。
「さ……さく……」
「そ。そうだ! 教室に忘れ物してましたっ。とりにいってきます!」
矢倉さんは急に立ち上がると、部室を出て行ってしまった。
「うーん。これは矢倉ちゃんにはまだ刺激が強かったかー」
木村先輩が少し困ったようにうつむいていた。どうやらこの結果を予想していた訳ではないようだ。
「名前よべなくて残念だったね。美濃くん」
その隣ではいちご先輩がにやにやとした顔で僕を見つめている。どうやらいちご先輩は展開が見えていたのだろう。
「けどボクの事は普通に名前で呼んでるのにねぇ」
確かに言われてみるといちご先輩のことは名前で呼んでいる。まぁもちろん本人がそう呼んでといってきたからではあるのだけど、先輩を名前で呼んで彼女の事を名前で呼ばないのは変なような気がする。
でも本人の許可をとらずに勝手に呼ぼうとしてのは良くなかったかもしれない。とりあえずその事は謝ろうと思う。
「ちょっと矢倉さんの様子みてきます」
「はーい。いってらっしゃーい」
いちご先輩のにやけ顔をよそ目に、ボクは部室を出る。
矢倉さんを探そうとは思ったのだけど、その必要は無かった。部室のすぐ外で立っていたからだ。でも顔が真っ赤に染まっている。
「あ。み、美濃くん」
「あ、矢倉さん。そ、その。勝手に名前で呼ぼうとしてすみませんでした」
僕は矢倉さんに頭を下げる。
矢倉さんはうつむいたまま何も言わない。いや、何も言わないのかと思った。
「……嫌だった訳じゃ無いんです……でも、その。…………恥ずかしくて」
顔を紅に染めたまま、少しだけ僕の方へと顔を上げる。
「名前で呼んでくれてもいいです。……でも……その。出来れば……二人だけの時だけで……」
可愛い。めちゃくちゃ可愛いんですけど、僕の彼女。
なんだ。これ。
「わかりました。二人きりのときだけにします。だから戻りましょうか。――――さくらさん」
「はい……。あの……その。……いきましょう…………歩くん……」
ほとんど掠れるような声で僕の名前を呼ぶ。
ああ。僕は本当に矢倉さんの彼氏になったんだ。
幸せって、こういうことを言うのかな。そんな風に思った。
いちご先輩がとても痛いところをついてくる。
矢倉さんとは今までずっと敬語で話していたので、急に変わるのも難しい。それに一度敬語をやめてため口にしましょうといったこともあるのだけれど、その時は矢倉さんの機嫌が悪くなって、ずっと敬語で話すと言われたのだった。
「え、えーっと。その。昨日の今日なので、なかなか急には」
しどろもどろに話すけれど、いちご先輩はにやにやとした顔をこちらに向けてくる。
あ、これはからかってくる流れだ。
そう思った瞬間。ばんっと音を立てて扉が開く。
「話は聴かせてもらった!」
声と共に入ってきたのは木村先輩だった。
「き、木村先輩。こんにちは」
木村先輩に挨拶を交わす。
木村先輩はどこまで話をきいていたのだろう。というか、わざわざタイミングを見計らって入ってきたのだろうか。
「うむ。くるしゅうない。ちこうよれ」
「寄りません。木村先輩に寄ったら何されるかわかりませんし」
「なんだとー。私が可愛い後輩にいたずらをすると思っているのか」
「はい。思ってます!」
「にゃにおー。そんな美濃っちには、いたずらしてやるー!」
「やっぱりするんじゃないですか!?」
「ふははは。それが宇宙の真理というものだよ、明智くん」
「美濃です」
「お前にはそんな名前はもったいない。今日からお前は明智小五郎だ」
「なら木村先輩は怪盗二十面相なんですか?」
「人を怪盗呼ばわりするとは失礼な。ワトソンくん」
「いつの間にか探偵から助手になってますけど」
「まぁ、そんなことより。美濃っちと矢倉っちはつきあいはじめたんだって!?」
自分が話をふっておいて、なかったように話し始める。
いろいろアドバイスしてもらったおかげで勝てたけれど、やっぱり木村先輩は苦手だ。うん。それに話はしっかりきいていたようだ。
「え、ええ。まぁ、はい。そうです」
「ほほーほほーほほー。いやぁ、まさか美濃っちと矢倉っちが付き合うなんて思ってもみなかったよ。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「そんな訳で、君たちにはお祝いにこれをあげよう」
木村先輩がいいながら取り出してきたのは、一つの紙袋だった。
まさかこれって。
「……たいやきですか?」
「いやぁ。ははは。いちごとまるかぶりになるとは思わなかったよ。矢倉ちゃんが好きっていってたからさー。ほら、学校のすぐ近くにたいやき屋さんあるから、ちょうどいいなーって」
木村先輩は照れくさそうに笑っていた。これは狙ってやったわけではないようだ。木村先輩が狙って重ねてきたなら、むしろもっとアピールするはずだ。
「たいやきばっかりで悪いけど、これも食べてくれるかな?」
「はい! いただきます! たいやきならいくつでも食べられます!」
矢倉さんが目を輝かしていた。
そ、そこまでたいやきが好きなんだ。たいやきに何か思い入れがあるのだろうか。子供の頃に母を亡くした直後に出会った少年に、たいやきをおごってもらった想い出があるとか。
矢倉さんがたいやきを食べているのをよそに、木村先輩は僕の方へと向き直る。
「そしてそれはそれとして。君たち二人はそろそろ普通に話してもいいんじゃないかい?」
「そ、そうですね。でもまぁ何となく染みついてしまっているというか」
少しためらいを見せる。矢倉さんにはずっと敬語で話しますと言われているのもあって、敬語をやめるのは戸惑いもある。
「じゃあまずは呼び方を変えてみるとかどうかね?」
「呼び方……ですか?」
「そう。例えば名前で呼んでみるとか」
「名前……名前ですか……!」
矢倉さんの名前。名前を呼ぶ。そ、それはだいぶんハードルが高い。
矢倉さんも少し目を白黒とさせていた。急にふって湧いた話に驚いているのだろう。
もちろん矢倉さんの名前は知っている。でもそのたった三文字の言葉が、僕の胸を激しく揺らしていた。
でも確かにつきあい始めたのだから、名前で呼んでみるのはありかもしれない。
意を決して矢倉さんの名前を呼ぶ。
「さ……さく……」
「そ。そうだ! 教室に忘れ物してましたっ。とりにいってきます!」
矢倉さんは急に立ち上がると、部室を出て行ってしまった。
「うーん。これは矢倉ちゃんにはまだ刺激が強かったかー」
木村先輩が少し困ったようにうつむいていた。どうやらこの結果を予想していた訳ではないようだ。
「名前よべなくて残念だったね。美濃くん」
その隣ではいちご先輩がにやにやとした顔で僕を見つめている。どうやらいちご先輩は展開が見えていたのだろう。
「けどボクの事は普通に名前で呼んでるのにねぇ」
確かに言われてみるといちご先輩のことは名前で呼んでいる。まぁもちろん本人がそう呼んでといってきたからではあるのだけど、先輩を名前で呼んで彼女の事を名前で呼ばないのは変なような気がする。
でも本人の許可をとらずに勝手に呼ぼうとしてのは良くなかったかもしれない。とりあえずその事は謝ろうと思う。
「ちょっと矢倉さんの様子みてきます」
「はーい。いってらっしゃーい」
いちご先輩のにやけ顔をよそ目に、ボクは部室を出る。
矢倉さんを探そうとは思ったのだけど、その必要は無かった。部室のすぐ外で立っていたからだ。でも顔が真っ赤に染まっている。
「あ。み、美濃くん」
「あ、矢倉さん。そ、その。勝手に名前で呼ぼうとしてすみませんでした」
僕は矢倉さんに頭を下げる。
矢倉さんはうつむいたまま何も言わない。いや、何も言わないのかと思った。
「……嫌だった訳じゃ無いんです……でも、その。…………恥ずかしくて」
顔を紅に染めたまま、少しだけ僕の方へと顔を上げる。
「名前で呼んでくれてもいいです。……でも……その。出来れば……二人だけの時だけで……」
可愛い。めちゃくちゃ可愛いんですけど、僕の彼女。
なんだ。これ。
「わかりました。二人きりのときだけにします。だから戻りましょうか。――――さくらさん」
「はい……。あの……その。……いきましょう…………歩くん……」
ほとんど掠れるような声で僕の名前を呼ぶ。
ああ。僕は本当に矢倉さんの彼氏になったんだ。
幸せって、こういうことを言うのかな。そんな風に思った。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる