僕は君のことを忘れるけれど、ボクはキミのことを忘れない

香澄 翔

文字の大きさ
19 / 38
知らない君を探して

19.大切な記憶だから忘れる

しおりを挟む
「まず確認するけど、たけるくんはサッカーは好きかい」
「え、ええ。好きです」

 どういう意味があるのかはわからなかったけれど、素直に答えてみる。
 先生は深々とうなずくと、それからゆっくりと僕に告げる。

「何よりも一番好きかい」

 先生の言葉にうなずこうとして、それから少しだけ不安がよぎった。

 確かに僕にとってはサッカーが生きがいであり、大好きなものだった。病気のためにサッカーが出来なくなって、サッカーがしたくてたまらなくて。だから一番好きなものだと思う。

 思うのだけど、僕はなぜか素直にうなずけなかった。答えられずにいた。

 何か違う気がした。一番好きなものは他にある。なぜだかそんな気がしていた。
 先生はそんな僕に何か納得したようで、すぐにこはるの方へと向き直る。

「じゃあ、そっちの女の子。えっと」

「坂上こはるです。こはるでいいです」

「了解。じゃあこはるちゃんは、彼のこと。彼の病気のことを知っているってことでいいのかな」

「はい。たけるくんのお母さんにききました。最初は何が起きているのかわからなくて混乱していて、たけるくんがふざけているのかと思っていました」

 こはるの言葉に僕は思わず目を見開く。

 こはるは僕だけでなくて、母とも会ったことがあるというのだろうか。いつの間に母と話したというのだろう。

 先日出会った後に話したという可能性はほぼない。そうするとやはりずっと以前からこはるは僕のことを知っているし、その時に母と話したのだろう。これはもう僕がこはるのことを忘れてしまっているということで間違いはなさそうだ。

 どうして忘れてしまっているのか。病気のせいなのか。はやく先生に答えを聞きたいと思った。だけどそわそわとした僕の気持ちはおいて行かれたまま、先生はこはると話し続けていた。

「それは辛かっただろうね。でもこうしてこはるちゃんがたけるくんと一緒に診察室に訪れたことは、たぶん奇跡に近い確率だと思う。ここから少しでも良い方向に向かうといいのだけど」

 先生は何かに期待しているかのようにこはるに声をかけると、それから今度は僕の方へと向き直った。

「たけるくんは、こはるちゃんとはいつ知り合ったのかな」
「……僕が覚えているのは、昨日です。でも、たぶんそうじゃないんですよね」

 僕は忘れていることに気がついていると示そうとして、あえてそう告げてみた。先生は納得した様子で、なにやらカルテに記入しているようだった。

「たけるくんは、どうやらこはるちゃんの事を忘れていることに気がついているみたいだね。どういうきっかけで気がついたのかな」

 先生は僕に問いかけてきていた。

 だから僕は覚えているかぎりのことを話し始めた。いじめられていたこはるを助けたこと。その後に少し話したこと。

 たまたまその時に妹のかなみからライムが届いた時に、ライムの履歴にこはるの名前があることに気がついたこと。どうみても恋人同士のやりとりなのに、僕は何も覚えていないこと。それぞれ話していた。

「なるほど。それでいま君はこはるちゃんのことをどう思っているのかな」
「どうって……」

 変なことを訊かれたと思う。いやなんで医者に、しかも本人が隣にいるところでどう思っているかを答えなきゃいけないのかと、眉を寄せる。

 でも先生は至って真面目な顔で、僕の答えを促していた。

「これは病気の治療に必要な話なんだ。隣に本人がいるから言いづらいとは思うけれど、これは治療の一環なんだ。だから本心を答えて欲しい。病気を治したいと思うなら、くれぐれも嘘はつかないで」

 先生は少しすごみを効かせた声をもらして、じっと僕を見つめていた。

 なんだか恐いとは思うものの、病気に関係することだと言われれば、答えない訳にもいかなかった。

 嘘をついてはいけない、とはいってもこはるが隣にいては言いづらいけどなとは思う。それでも本当の気持ちを告げるしかない。

「そうですね。可愛い女の子だとは思います。でも知り合ったばかりで、まだよくわからないというのが本音です。だけどライムの履歴をみるかぎり、僕は彼女のことを知っているはずで、たぶん、その。恋人同士だったんだと思うのですが、僕は実感がありません。むしろ何が起きているのかわからなくて、彼女のこともふくめてそれが少し恐いと思っています」

 それでも僕は嘘偽りのない今の気持ちを答えていた。
 病気を治すためと言われたら、そうせざるを得なかった。

 でもなんで僕は病気を治したいと思っているのだろう。

 サッカーが出来ないから? こはるのことを思い出せないのが気持ち悪いから?

 でもそんなことじゃない、何かが胸の中にひっかかっている。

 わからない何かが。でも僕にとってそれは大事なことのはずで。

 だから。

 ちらりと横目でこはるの方をみると、彼女は少しだけ顔を伏せているようだった。何かを耐えているのかように目をつむっている。

 そんな彼女の顔をみていたら、それではいけない気がしていた。彼女をそんな顔をさせたくはなかった。
 だから僕は思い出さないと。思い出さなきゃいけない。

 だって。彼女は。

 僕の頭の中はぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような気がして。目の前がふらふらと揺れているように思えた。

「たけるくん! まいったな、このままじゃまずい」

 先生が何かを告げていた。でも僕の頭はもう先生の言葉をまともにきこうとはしていなかった。
 こはるを悲しませたくない。こはるを大切に思っている。

 君の悲しい顔は見たくないんだ。

 だから、だから思い出さなきゃいけない。でも何を。僕は彼女のことをどう思っている。
 頭の中でぐるぐると回る。

「たけるくんにとって、こはるちゃんはそこまで大切な存在なんだね」

 先生の言葉に、僕はそうだ、こはるのことが大切なんだと思った。

 大好きな相手で、だから悲しませたくなくて。
 頭の中に何かがぐるぐると音を立てて渦巻いていた。

「こはるちゃん。君にとって、とても辛いことになると思う。だけどこれはどうしてもしなくちゃいけないことなんだ。ごめんね」

 そう声が聞こえた。

 先生の言葉にこはるの顔が伏せるのが見えた。

 こはるを悲しませないでくれ。それはいやなんだ。こはるが悲しむことなんて、したくないんだ。笑っていて欲しいんだ。

 やめてくれ。こはるを悲しませないでくれ。
 そう思うものの、なぜか声を出せなかった。

「たけるくん、君はね――」

 そこまで告げた先生の声は、それ以上には聞こえなくなっていた。

 だめだ。だめなんだ。それはだめなんだ。

 僕の中の焦る気持ちが、頭の中にもう一人の僕を作って声が聞こえてくる。どうか得体も知れない気持ちが、僕を不安に包まれていく。

 だけど先生の言葉は止まらなくて。でも僕の頭の中には届いていなくなって。

 嫌だ。嫌なんだ。

 それをしたら、僕はまた消えてしまう。こはるのことを忘れてしまう。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。やめてくれ。やめてくれ。

 忘れたくない。覚えていたいんだ。こはるのことを忘れたくない。

 強い感情が僕を捉えて放さなかった。

 先生が何かを話していた。こはるのこと。僕の病気のこと。声は聞こえなくから頭には入ってこないけれど、なぜかこはるの話だということだけはわかった。

 僕はこはるのことを思い出していた。
 大好きだった人のこと。僕と出会って、彼女を助けて。一緒にサッカーをして。

 こはるに告白をされて、僕はそれを受け入れて。
 でも僕は忘れて。それでも何度もこはるのことを好きになって。

 こはるが好きだった。大好きだった。今も変わらず大好きだと思った。
 こはるとの思い出。一緒に歩いた道。過ごした時間。

 大好きで、何よりも大切な宝物。

 思い出していた。こはるのことを大切に思っていたたんだって。世界一好きなんだって。

 でもだめだ。この方法じゃだめなんだ。

 僕が忘れている事実を突きつけられただけじゃ、僕がこはるのことを好きだと思っていたことを知るだけじゃ、思い出せない。この方法ではだめなんだ。僕は忘れてしまう。

 忘れたくない。忘れたくない。大好きな君のことを。

 覚えていたいのに。

 僕は君のことを思い出してしまった。大好きな記憶を思い出してしまった。

 もう完全に思い出していた。何よりも、こはるのことを大切に思っていたんだって。

 だから。だから僕は。

 こはるのことを、忘れていた――
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

処理中です...