番シリーズ 番外編

伊織愁

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『私、動物アレルギーなんですっ!』 〜番外編〜

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 月明かりが照らす寝室で、ベッドの上で正座している男女。 向かい合う二人の表情は強張っていて、とても緊張している様に見える。 今から行われる事を思うと、リジィはまともにラトの顔が見られず俯いた。

 膝の上に置いたリジィの指が羞恥心と、今にも逃げ出したい気持ちを誤魔化すように、無意識に動かしている。

 リジィと向かい合っているラトも緊張を隠せず、あさっての方向に視線を逸らしていた。 もう、向かい合ってから数刻は経っている。 先に動いたのはラトだった。 咳払いを一つして、リジィの頬に手を伸ばし、顔を上げられる。

 ラトの金色の瞳に熱が滲み、頬を染めたリジィの唇に、そっとラトの柔らかい唇が触れた。

 ◇

 朝の食卓、テーブルにはシェフの気遣いが見られる。 体に優しいメニューが並んでいた。 リジィから感情の抜けた笑いが零れ、申し訳なさでいっぱいになった。

 (うん……気遣いが無駄になってごめんなさいっ。 せめてしっかりと味わって完食しますっ)

 直ぐ隣からラトの笑い声が聞こえ、リジィは瞳を細めて振り仰ぐ。 リジィの視界に、ラトが笑いを堪えている姿が映り込んで来る。 ムッと頬を膨らませ、リジィは不機嫌な表情を浮かべた。

 「気にするなっ、リジィ。 初めては誰でも失敗する。 直ぐに慣れるよ。 薬を飲まなくても発作も出なくなったし、後は徐々に慣れるだけだ」
 「……っはいっ」
 
 ナフキンで口元を拭くと、ラトはリジィの額に口づけを落とす。 柔らかい感触を感じ、リジィの胸が暖かくなる。 席を立ったラトは上着を羽織った。

 「じゃ、行ってくるよ。 ああ、見送りはいい。 ゆっくりと食べるといい」
 「はい、いってらっしゃいませ」

 せめて食堂の入り口までと、リジィは席を立ち、ラトの後に続く。 扉の前でリジィの腰を引き寄せたラトが軽く触れるだけの口づけを落とす。 悪戯成功の顔をしたラトは、仕事に出かけて行った。

 ラトを見送ったリジィは、自身も朝食を済ませて出掛ける準備を急いだ。 リジィの本日の予定は、午前にオアシスでイアンのお手伝い、午後からはイアンの診察を受け、昨夜の報告をする。

 (恥ずかしいけどっ、薬の効果を報告しないとねっ)

 報告する時の事を思うと、恥ずかしすぎて『殺して下さいっ』と言いたくなるが、仕方がない。

 「番様、ご夕食はどうされますか? 旦那様の本日の帰りは、深夜になられるかと思います」

 出かける準備を終え、転送の間まで移動する。 入り口で執事が夕食の有無を尋ねて来た。

 「……深夜。 そんなに遅くなるんですか?」
 「はい、なんでも近衛騎士団でのお仕事が詰まっておられるそうで、何時になるかも正確には言えません」
 「そう……」

 ラトが遅いという事は、広い晩餐室で夕食を取らなくてはならない。 もう慣れて来たとはいえ、やはり一人での食事は寂しい。 シアーラや執事はリジィが何回お願いしても一緒に食事はしてくれなかった。

 寂しい夕食は嫌だなと思っていたら、思い出した。

 (お父様の所へ行こうかな)

 「分かりました。 では、今夜は父の所へ行ってきます」

 少しだけ肩眉を上げた執事に、リジィは『一人での夕食は寂しいので、一緒に取ってくれます?』と願いを込めて見つめた。 リジィの懇願に、特大の咳払いをした執事は、にっこりと微笑んだ。

 「シェフにアーヴィング伯爵への手土産を用意させます。 旦那様にもご報告させた頂きますね」
 「……っ、分かりましたっ」
 「行ってらっしゃいませ、番様」

 言葉に詰まったが、ジリィは執事に『行ってきます』と転送魔法陣でオアシスへ転送した。

 ◇

 「最近の様子はどうですか? もう、慣れましたか?って聞くのも変ですね。 でも、大切な事なので、恥ずかしいとは思いますが、教えて下さいね」
 「……っはい」
 
 診察室の机の上に、妖精がちょこんと座っている。 伝書の妖精で、妖精の向こう側には、なんと、イアンの奥様が居るそうだ。 まずは初めましてだろうと思い、リジィは丁寧に頭を下げた。

 「初めまして、奥様。 私はフェリシティ・アーヴィングと申します。 皆はリジィと呼んでくれますので、気軽にリジィと呼んで下さいませ」

 頑張って淑女の礼を決める。 しかし、イアンの奥様からの返事は連れないものだった。

 『知っている。 こちらにカルテがあるからな。 面倒な挨拶はいい。 早く、あの灰色狼との情事がどうだったか話せ』

 可愛らしい伝書の妖精から情事という言葉を聞き、リジィは口を上下に動かして何も言えなくなった。

 「プロムっ! もっと言葉はオブラートに包んで下さいっ」
 『オブラートに包んでも聞く事は同じだ。 いいからさっさと話せ』
 「「……っ」」

 ハッキリと物を言うプロムの妖精は、口の端を上げて笑い、興味深そうにリジィを見た。 無意識に身体が後ずさった。

 そして、しどろもどろで真っ赤になりながら、昨夜の話をした。 何故か、シアーラが後ろで無表情なのに、興奮している気配を感じる。 リジィはプロムからの執拗な質問に『消えたい、消してくれ』と、叫びたい気持ちで一杯だった。

 地獄の尋問を終え、リジィは執事おススメの手土産を持ち、アーヴィング領へ飛んだ。 リジィが思うよりも、アーヴィング領の発展は目覚ましいものがあった。

 カルタシアの王家も国を上げてアーヴィング領に出資している。 アーヴィングの領都で買い物をして、実家へ行く所だ。

 また、新しいお店がオープンし、知らない商品が並んでいる。 必要な物を買って実家へ帰ると、両親が出迎えてくれた。

 「リジィっ! お帰り、待っていたよ」
 「リジィ、お帰りなさい」

 両親に抱きしめられ、屋敷へ入った。 後ろからシアーラも続き、両親に歓迎されていた。 両親と楽しいひと時を過ごし、ご機嫌で屋敷に帰って来たリジィに、深夜に帰って来たラトが爆弾を落とした。

 「リジィ、すまないっ! 今度、王家主催の舞踏会があって、どうしても外せないんだ。 俺も着飾ったリジィを誰にも見せたくないのにっ!」

 寝室のベッドの上で向かい合い、ラトが本当に嫌そうな表情をして宣っている。

 不満を撒き散らすラトに、リジィは苦笑を零した。

 「王家主催なら、仕方ないですね。 でも、私、ダンスとか踊ったことないんですけど……」

 ラトの頭の上にシュンとなった狼の耳と、腰からは尻尾の幻が見える。

 沈んだ声を出しながらラトは言った。

 「ダンスは大丈夫だ。 執事が得意だからな、教えてもうといい」
 「分かりました、頑張りますね」
 「無理しないでいい。 どうせ、俺以外の男とは踊らせないし、手も触れさせないから」
 「挨拶のキスくらいは我慢しないと、マナーですよね?」
 「させなくていいっ!!」

 明日から執事の指導によるダンスレッスンが加わる。 大分、忙しくなるので、暫くは実家へは戻れない。

 (今日、実家に行ってて良かった。 暫く会えなくなる所だった)

 不機嫌だったラトは、今夜の触れ合いを始める雰囲気をいつの間にか醸し出していた。 ラトは突然、雰囲気を変えるので、とても戸惑い、心臓が大きく跳ねる。

 「今夜は耳を出そうと思う」
 「……っ触ってもいいんですか?」
 「うん、リジィにしか許さない」

 アンティーグレーの髪の合間に、狼の耳が現れる。 ピンと立った狼の耳は、流れる毛並みが綺麗で、リジィからモフりたい願望が溢れ出てくる。

 「舞踏会には、耳と尻尾を出している者の方が多いからな。 今から慣れておこう」
 「はい」
 「触って平気そうなら、この状態で一晩、寝てみよう。 朝、起きた時、身体の状態を教えてくれ」
 「はい」

 ラトの狼の耳を触るのは、とても緊張を強いた。 しかし、人生で初めてのケモ耳の感触に、『いつ死んでもいいっ!!』と、思うくらいに、リジィの心は打ち震えた。

 因みに、朝、起きたリジィの喉は、少しイガイガしていた。

 ◇

 次の日からリジィのダンスレッスンが始まった。 執事のダンスレッスンは、とても厳しかった。 荒い息を吐いてターンを決めたが、足元が振らついて床に倒れ込んだ。 執事はリジィへ優しい眼差しを向けて来た。

 「番様、少し休憩致しましょう」
 「……っ、は、はいっ」

 グラスに入った冷たい飲み物が差し出された。 受け取ったリジィは、直ぐにグラスに口を付けて一気に飲み干し、喉を鳴らした。 丁度、喉が渇いていたのだ。

 (めっちゃ疲れたっ! もう無理っ、動けない……執事さんや、ちょっと厳し過ぎやしないかいっ?!)

 リジィと同じくらい動いていた執事だったが、鍛え方の違いなのか、獣人の身体能力の違いか、はたまた両方なのか。

 執事は全くと言うほど、疲れてもいないし、薄っすらと汗が滲んでいるだけで、爽やかな表情をしていた。 ぼろぼろのリジィとは、雲泥の差である。

 深く息を吐き出し、ダンスの攻略は難しそうだと、早々に諦めた。 勿論、執事で内緒にだ。

 『いいなぁ、王宮での舞踏会っ! 私も行ってみたいっ!』

 リジィの目の前で、アヴリルの妖精がウットリと遠くを見つめた。 眉尻を下げ、呆れた様な表情を浮かべた。

 「でも、ダンスとか礼儀作法とか、マナーが大変っ! もう、頭がパンクしそうっ」
 『あぁ、それは大変だし、面倒ね』
 「そうでしょう、いい事ばっかりじゃないわよっ」
 『そうよねぇ、私も王族と関わるのは嫌ね』

 アヴリルは何故かあらぬ方向を眺め、遠い目をした。 しかし、直ぐに復活を果たす。

 『王族と言えば、団長さんの事を好きなお姫様が居るって言ってたよね? 彼女と会っても大丈夫なの?』

 修道院に行ったオフィーリアの事を思い出し、溜め息を吐いた。 姫殿下の再教育は上手く行っていない様で、修道院での行儀見習いは第二王子であるジャイルズにより、延長されたらしい。

 「姫殿下は、まだ修道院から戻って来ていないから、舞踏会には来られないんだって」
 『そう、なら良かったじゃない』

 アヴリルの妖精から明るい声が聞こえ、妖精も機嫌が良く、笑顔が溢れている。

 「私の事よりも、アヴリルはどうなの? 番じゃなくても恋人は作っていいんでしょ?」
 『まぁね。 私も面倒なんだけど、心の奥底で番に出会えるんじゃないかと思うと、中々、一歩が踏み込めなくてねぇ』

 (その言い方だと、もう既に気になる人が居るって事?)

 『番の関係上、獣人って、奥手な人が多いんだよ。 まぁ、一歩踏み出せば、簡単なんだけど。 その一歩が中々踏み出せないんだよ。 簡単に好きになれたらいいだけどね』

 獣人や亜人にとっては、番は唯一無二の存在、皆、番に出会えるんじゃないかと、夢見るそうだ。

 (そう考えると確かに面倒だし、中々好きな人も出来ないよね)

 「そっか、頑張ってね、アヴリル」
 『へっ? な、何の話よっ!! と、兎に角、そういう話だからっ』
 「ふふっ、分かった。 いい報告を待ってるね」
 『だから違うって!! もう、いいわ。 また、連絡するわね』
 「うん、またね」

 アヴリルは慌てふためき、妖精の伝書の通信を切った。 親友が上手く行きます様にと、リジィは創造主へ祈りを捧げた。

 そして、急に思ってしまった事がある。

 (獣人は奥手な人が多いのか……ラトって、ちょっと慣れた感じあるよね?)

 不味い事態である。 気になり出したら止まらない。 奥手だと言う獣人や亜人、では、どうすればラトの様にこなれた感が出るのか。 誰かに教えてもらったのか、自分で調べたのか、獣人や亜人は元々ポテンシャルが高いのか。

 (駄目だっ! くだらない事だって分かってるけど……物凄い、気になる)

 要らぬ心配をしていたリジィは、迫る舞踏会を前にして悶々としていた。

 ◇

 翌日、オアシスの治療院にて、リジィからただならぬ雰囲気が醸し出され、イアンと患者に怖がられる事になった。

 リジィの意味深な溜め息もバックにラトの幻が見えて、とても恐ろしい。

 耐えかねたイアンがリジィにどうしたのか訊ねた。 真っ赤になったまま黙り込んでしまった。

 屋敷に戻って来たリジィは、ダンスレッスンにも身が入らない。 集中出来ていないリジィを見て、執事は溜め息を吐いた。

 「番様、今日はこの辺でやめておきましょう。 もし、何か気掛かりがあるのなら、今のうちに解消しておいた方が宜しいかと」
 「……っ、はいっ」

 (でも、聞けないよっ! 女性に慣れている様な振る舞いは何処で覚えたのかなんて聞けないっ……特に夜の営みの方……)

 色々と考えあぐねて、ラトには何も聞き出せず、舞踏会の日はやって来た。

 着飾ったリジィを見ると、ラトの金色の瞳に熱が滲み、金色が濃くなって潤んでいく。 ラトを直視出来なくて、視線を逸らした。

 「綺麗だよ、リジィ。 誰にも見せたくない」
 「ありがとうございます、ラトも素敵ですよ」

 小さく笑うリジィを見て、ラトが大きな溜め息を吐き出した。 そして、叫ぶ。

 「やっぱり、誰にも見せたくないっ! リジィ、このまま寝室に篭ろう」

 ラトの言葉にリジィは小さく悲鳴を上げる。

 「ラト、駄目です。 王家主催なんですから、欠席は許されないんでしょう」

 ラトが凶悪ない顔で舌打ちをした。

 「仕方ない、行くか」

 側にいた執事に『後を頼む』と言い残し、ラトはリジィの腰に手を回して、漸く馬車に向かって歩き出した。

 王宮へ着くと、ラトにエスコートされて大広間に入ったリジィは、驚きであんぐりと口を開けた。
 
 煌びやかに装飾された大広間、高級そうな食材を使った美味しそう料理、優雅に流れる楽団の音色をバックにリジィは周囲を興味深そうに眺めた。

 ラトの言っていた通り、耳と尻尾を出した獣人だらけだ。 着飾った紳士淑女が会話している様子を眺めていると、ラトから声を掛けられた。

 「リジィ、先に王家の所へ挨拶に行く」
 「はい」

 連れ立って王族がいる場所へ行くと、長蛇の列が出来ていた。 最後尾に並ぶと、周囲に居た令嬢たちがラトへ秋波を送ってくる。 リジィの胸に嫌な感情が広がった。

 「あら、ラトウィッジ様ではありませんか。 お久しぶりです」
 
 ラトに近寄って来た令嬢は、魅惑的で色香を振り撒いていた。 言葉は悪いが、娼婦的な匂いが漂っていた。

 ラトは香水の匂いもキツイのか、眉間に皺を寄せて不機嫌を装いもしなかった。

 「誰だ、俺はお前なんか知らないぞ」
 「嫌だわ、ラトウィッジ様ったら、あんなにお優しくしてくれたじゃありませんか」

 ラトに触れようと、伸ばした令嬢の手を避け、リジィの腰に手を回して引き寄せると、ラトは怒りを露わにした。

 「俺に触れるな、誰だか知らんが、身に覚えがない。 俺は番以外の者には触れた事はないっ! 俺の番の前で妙な事を言うと叩っ切るぞっ!」

 思わぬ展開でリジィの知りたかった事が聞けた。 驚いた表情でラトを見つめると、慌てた様に念を押して来た。

 「なっ、リジィ、俺を疑っているのかっ! 断じて違うぞっ! こんな女は知らないし、リジィ以外に触れた事はないからなっ!」

 ラトが騒いだからか、周囲に人だかりが出来て、リジィは気まずくなった。

 「分かりましたから、ちょっとだけ此処から離れましょうっ」

 騒ぐラトを連れ、リジィは中庭へやって来た。

 (此処なら大丈夫かしら?)

 ガゼボに入ると、ラトが強く抱きしめて来た。 ラトの切ない声が落ちてくる。

 「本当に何もやましい事なんかないからなっ! 信じてくれ、リジィ」

 (私、何を気にしてたんだろう。 ラトはこんなにも愛してくれているのに、バカだな、私)

 「信じる、信じるよ、ラト」

 背中に回して、ラトを強く抱きしめた。

 「そうだ、もう結婚してまおう」
 「えっ」

 結婚しようて言うラトの言葉を聞き、そう言えば、子供作りの話は出たが、結婚の話は具体的には出ていなかった事を思い出す。

 「子供も作るわけだし、作る前に結婚式をした方がいいな。 お腹が大きくなってしまってからでは遅いしな」
 「ラト、結婚式はいいとして、そんなに直ぐに子供は出来ないと思う」
 「いや、出来るぞ」
 「えっ」

 暫し二人の間で無言が漂う。

 「あら? イアン先生も子作りに数年かかるって言ってませんでした?」
 「それはリジィの動物アレルギーが治るのに数年かかるて言う意味だ」
 「そうなんですね」
 「そうか、リジィは知らないのか。 リジィ、本物番同士で子作りをすると、一度で出来るんだ」
 「一度って……一回しただけでですかっ?!」
 「ああ、番同士はそれだけ身体の相性がいいんだ」

 顔から湯気が出るほど、リジィは真っ赤になった。

 「偽印でも、それは変わらない。 だから、ほぼ全員が初夜に出来た子供だ」
 「……そうなんですねっ」

 リジィは己の無知さに顔を上げる事が出来なくなった。 ラトが小さく息を吐いた。

 「獣人の間では常識だから、誰もリジィに言ってなかったんだな。 俺も失念していた。 しかも、今気づいた」

 悔いる様な表情を浮かべるラトに、リジィは首を傾げた。

 「ちゃんとプロポーズをしていない」
 「あっ」

 リジィの前で跪いたラトは、リジィの手を取る。

 「リジィ、俺と結婚して欲しい。 そして、俺の子供を産んで欲しい」
 「はい、私も貴方の子供を産みたいです」
 「ありがとう、リジィ」
 「私の方こそ、ありがとうございますっ!」

 『動物アレルギーの私をもらってくれるなんて』と言い掛けてやめた。 きっと言ったらラトに怒られるだろう。

 「そうと決まれば、早速準備もしないとな」
 「はい」

 大広間に戻り、王家の方々に近々、結婚する旨を伝えた。 ラトに女性遍歴があるのではないかという疑いを持っていた事は、ラトには伝えないでおこう。 そっと胸の中に仕舞う事にした。

 ◇

 「えっ、花婿のコサージュを作る?」
 「はい、本来は婚約式で花婿から手作りのブーケを贈られ、そのブーケから一輪を選んで花婿に贈るコサージュを作るのです。 しかし、婚約式をなさっていないので、花を取り寄せないと」
 「そんなしきたりがあるんですね」
 「はい」

 執事はラトとリジィが結婚をすると聞き、獣人の国の常識を教えてくれている。

 ラトの屋敷には図書室があり、読書コーナーで執事から色々と教わっていた。

 あまりにも何も知らないのは、気が引けるし、ラトの妻になるのだから、知らなかったは通用しない。 今後はシェラン国の勉強も始めようと思う。

 獣人にとって婚約式は重要な儀式の一つだ。 偽印を刻む儀式があり、婚約式に臨む新郎と新婦は式後から、本物の番に出会ったとしても分からない。 刻印を刻まれる事もない。 番に出会えないという事に覚悟を持ち、偽印を刻む相手と添い遂げる為、儀式を受ける。

 リジィとラトには必要のないものだ。

 「申し上げにくいですが、番様は魔力がございませんので、ブーケを贈られたとしても、結婚式まで枯れずに置いておけなかかったでしよう」
 「……そうね」

 (そうか、婚約式でブーケを贈られて、結婚式まで自身の魔力で保たせるのかっ! 私には絶対に無理ねっ……でも、ちょっとだけ残念だ。 ラト手作りのブーケ欲しかったかもっ……) 

 「いや、ブーケは贈る。 勿論、俺の手作りのな」

 リジィの心情が聞こえたのか、いつの間にか、帰って来ていたラトが図書室の読書コーナーの入り口に立っていた。

 ソファーに座っているリジィの隣に、ラトは腰を下ろした。 読書コーナーは、ラトの執務室の隣にあり、手前に執事の仕事部屋がある。 

 「ラト、お帰りなさい、あのお邪魔してます」
 「ああ、気にしなくていい。 俺も幼い頃、此処で勉強してた」
 「そうなんですね」
 「ああ、日当たりがいいから、直ぐ眠くなってしまってな」

 ラトの話しにリジィは小さく笑った。

 「ブーケとコサージュだけど、一緒に花選びもして、一緒に作ろ。 俺もリジィ手作りのコサージュが欲しい」
 「いいですね。 それなら、ブーケも枯れませんね」
 「ああ、絶対、枯れないな」

 花屋の商会に手配を頼むと、執事は素早く手配をする為、読書コーナーから出て行った。

 ◇

 結婚式の準備は順調に進んだ。 リジィのコサージュ作りも順調だと思われたが、意外にも、リジィには難しく結構苦戦してしまった。

 (不味いっ、ちょっと、いや、大分クタってなってるっ……コレ、みんなに見られるんだよね? 頑張って練習せねばっ!!)

 数日後に迫った結婚式の為、二人で花屋の商会が持ってきた花を使い、中庭に作られている温室で庭師に教えてもらいながら、ラトと二人で作業していた。

 ラトのブーケ作りはどうなのかと、隣でブーケの花選びから、色のバランス、束ねる形、ラッピングの紙やリボンまでセンスが良かった。 花はラトが選んだ。

 ブーケとコサージュに使われたのは、カーネーションとかすみ草、緑の差し色にアイビーを選んだ。 花言葉は『無垢で深い愛』と『清らかな心』、『永遠の愛』だ。

 (花言葉はあまり深く考えないでおこうっ、『清らかな心』なんて持ち合わせてないとかっなんて、思ったら負けだっ! 今は、何とか見られる物に仕上げなくてはっ!)

 リジィは目の前の花と格闘した。 隣でリジィを見つめるラトの金色の瞳が優しげに滲んだ。

 二人の結婚式は青空が広がる天気のいい日に行なわれた。 しかも、王宮にある大聖堂を使わせてもらった。

 結婚式には沢山の人がお祝いに来てくれた。 勿論、リジィの両親も駆けつけてくれた。 結婚式は誓いの言葉の後、口付けをして無事に終わった。

 ラトの仕事の関係上、披露宴は別日に予定されている。 披露宴の事は問題ない。

 リジィは、式後に行われるだろう事で頭が一杯で、式の間中とても緊張していた。

 ベッドの上で向かい合ったリジィとラトの間には、今までにない程、張り詰めた空気が流れ、二人は緊張していた。 ラトの金色の瞳に熱が籠り、リジィの青い瞳が、ラトの熱を受けて潤む。

 ベッドに波打つ淡い赤毛が散らばった。

 結果は上手く行き、イアンの妻であるプロムの試薬はとても素晴らしいものだった。 リジィの中にアレルゲンが入っても発作は起きず、順調に育っている。

 しかも、双子だとイアンから聞き、ラトはとても喜んでいた。 勿論、リジィも喜んでいた。 動物アレルギーのあるリジィは、獣人であるラトの子供が産めないと思っていた。 本当に一度の情事で妊娠した事に、まだ膨らんでいないお腹を摩り、驚きを隠せなかった。

 因みに後から知ったのだが、100%避妊が出来る避妊薬があるらしい。 勿論、子供が増えすぎない為、明るい家族計画の為だ。

 しかし、それ故に、ラトの過保護に拍車が掛かったのは、想像するまでもなかった。

 「ラト、私は大丈夫だから仕事に行ってください。 また、人攫いが出たのでしょう? 騎士団の皆さんがラトを待ってますよっ」
 「嫌だっ、仕事には行かないっ! バトとダレンにやらせておけばいいっ!」
 
 (いやいや、駄目でしょうっ!! 団長が出張らなくてどうするっ!)

 ラトは玄関ホールで不満の声を上げている。 最近はいつもの朝の光景になりつつある。 リジィがどうしたものかと、溜め息を吐いた時、長い廊下の奥から静かに足を運ぶ気配がした。 リジィは妊娠したからか、お腹中の胎児が反応しているのか、リジィの中に流れている僅かな獣人の血が反応するのか。 人の気配に敏感になっている。

 近づいて来た人物が、低い声を出した。

 「いい加減になさいっ! ラト」
 「母上、まだこちらに居たのですか」
 「お義母様っ」

 ラトは憮然とした表情で自身の実母を見た。 ラトの母はリジィの体質と、妊娠の身体を心配して領地から駆けつけてくれていた。 ラトに似て涼やかな顔立ちだが、とても優しい人だ。

 「まぁ、自分の母親に何で顔をするんです。 シアーラ」

 低い声でシアーラを呼ぶと、彼女は『心得た』と一言返し、ラトの首根っこを引っ掴んで引きずって玄関ホールを出る。

 思わずラトとシアーラを心配して、リジィは追いかけて玄関ホールを出た。

 「ラトっ! シアーラっ」

 玄関を出たリジィの視界に飛び込んで来た光景は、ラトがシアーラに馬車へ投げ入れらる場面だった。

 あまりの光景を見たリジィは、驚愕の表情で固まった。 リジィに追いついた義母の声が背後で聞こえる。

 「あまり駄々を捏ねるなら、ああすればいいわ。 優しく言ってもアレらは聞かないから」

 経験値の違いだろうか、義母の言葉には実感が籠っている。

 「あの、シアーラは大丈夫でしょうか?」
 「大丈夫よ。 今から討伐へ行くのに、戦力を削ぐような事はしないわ。 その辺はちゃっかりしているから」

 『本当に大丈夫だろうか』と、心配していると、義母は明るく笑った。

 「ふふっ、随分とシアーラを気に入っているのね」
 「はい、ラトも信頼していますし、あ、」
 「そう、そう言うことよ。 だから、心配しなくても大丈夫よ。 ただ、物凄く不機嫌になるかも知れないけど」
 
 義母の言う通り、ラトがシアーラを酷い目に合わせる訳ないかと、リジィは馬車が見えなくなるまで見送った。

 「さぁ、入りましょう。 あまり外に居ては冷えるわ」
 「はい、お義母様」

 ◇

 リジィの部屋は婚姻を機に、ラトの部屋へと移されていた。 討伐を終えてラトが帰って来たのは、二日後の深夜だった。

 リジィが寝ているベッドがラトの重みで軽く沈む。 ひとの気配に敏感になっていたリジィは直ぐに目が覚めた。

 ほのかに香る番の甘い香りに、ラトが帰って来たのだと、気づいた。

 「ラト、お帰りなさい」
 「ただいま、すまない起こしてしまったか」

 リジィはゆるゆると首を振った。 自身の胸に抱き寄せたラトは、思いっきりリジィの香りを嗅いでいる。

 「無事に戻って来てくれて良かったわ。 人攫いは、ちゃんと討伐出来たのね」
 「ああ、もう心配ない」
 「そう、良かった。 じゃ、私と同じ思いをした人たちは助かったのね」
 「ああ、全員助けたし、これからも人攫いを殲滅する」

 リジィが何が言いたいのか分かってくれた様だ。 今後は駄々を言わず、すんなりと仕事に行ってほしいと祈るばかりである。

 双子が産まれ、守る者が増えたラトが更に過保護になる事を、リジィはまだ知らない。
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