天流衆国の物語

紙川也

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4章 コバルトブルーの放牧篭

46 羽毛蜥蜴――ノルダー

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ノルダーについて考えてみた。
ホルンのような音に反応したノルダー。
この大きな篭のなかには一体どれほどのノルダーがいるのだろうかと考えた。
(カラジョルと一緒だ。いや、べつの生きものだけど、ノルダーってやつも家畜なんだ、きっと。)
あの大きな青いかごのなかでノルダーを飼っているんだ、と解は考えた。

解はあることを思いついた。
すぐに解は下を向いて野原をうろうろした。
目当てのものはすぐに見つかった。
解は笹に似たかたちの葉をした草を引っこぬき、その葉を口にあててみた。
佐原のおじいちゃんとタロウの散歩をしたときに教えてもらった草笛だ。
しばらく吹くと音が出た。
さっき聞いたホルンのような音に比べると不格好な音だなと解は思った。
でもどうにか笛の音っぽいぞ、とも思った。
解は左手の人差し指を口にふくんで唾液で指をぬらした。
そして指を口から出すと風の流れをたしかめた。
これも佐原のおじいちゃんに教わったことだ。
解は風上、いちおうこっちが風上だとアタリをつけた方向へ移動した。
そこで待った。

風が吹いて野原の草をゆらした。二度三度とゆらした。
解は待ちつづけた。
太陽がじりじりと移動し、ほんの少しだけ下降した。午後になったのだ。
それでも解は待った。ときどき草笛を吹いて音をたしかめた。
やがて、解の待つものがあらわれた。
三たびノルダーが大きな青い篭のなかから姿を現したのだ。
今度は一匹だった。そいつはフワリと宙をただよった。
解はお腹の奥まで息を吸った。それから草笛に唇をあてた。
頼む、と思った。頼むから届いてくれ、と解は願い、草笛を吹いた。
プウウーッ、と音が出た。解の声より大きな音になった。
ノルダーが首をかしげた。
解は草笛を吹いた。
ノルダーが身体をくねらせた。
解はもう一度息を吸いこんで草笛を吹いた。
ノルダーがキョロキョロと頭を動かした。まるでなにかを探すようなしぐさだ。
解は草に向かって息を吐きつづけた。
ノルダーが解を見つけた。
「うワッ。」
タンが声をあげて手足を殻のなかへ引っこめたが、解にタンの姿を見る余裕はなかった。
ノルダーの左右の目が黒く光った。
心なしか目元がつりあがっているように解には見えた。
解はそれでも草笛を吹きつづけた。
深く息を吸って吐いたために胸が苦しくて視界もクラクラしたが、それでもだ。
ノルダーが解めがけて飛んでくる。ノルダーは口を開いた。
プオォ、というラッパみたいな音がした。ノルダーの声だ。
トカゲのような生きものが身体をうねらせた。強そうに見える動きだ。

ノルダーが解におどりかかった。

解はなんとか身体をふせてノルダーの体当たりをかわした。
もう気を失いそうだと解は思った。
それでも解はノルダーのしっぽにかじりついた。
ノルダーの全身にやわらかい毛が生えていることに、解はふれてはじめて気づいた。
かたいウロコじゃない、トカゲじゃない、全然ちがうと思った。
ぴったりくっつくと学校の倉庫みたいなにおいがした。
そのとき、プオオオオ、とホルンのような音が響いた。
解の草笛よりずっと美しい音だと解は思った。
そして気づいた。木管楽器のような音はノルダーの声に近い音なんだ、と。
解の耳には楽器の音に聞こえるけど、ノルダーの耳には仲間の声に聞こえるのかもしれない。そしてそれは解の吹いた草笛の音もおなじなのだ。ホルンのような美しい音に比べると、もしかしたら解の出した不格好な音はノルダーの耳にもイヤなものに響いたのかもしれない。
たとえばケンカを売るような声みたいに。
解はそれでもかまわなかった。
気を引くことができれば、解に気づいてもらえれば、なんでもよかったのだ。
 
ホルンのような音がまた響いた。
ノルダーはそれに応えるように身体の向きを変えた。
上昇しようとした。
でも解はしっぽにしがみついたままだ。
ホルンの音が今度は長くつづいた。
一瞬とぎれたと思うとまたすぐに響く。大きな青い篭から離れたノルダーを呼んでいるのだ。
ノルダーはその音に応えようとした。ノルダーの身体がほとんど縦に伸びた。
それでも解は手に力をこめてノルダーのしっぽにしがみつき手を離さなかった。
(離すもんか。ぜったいにだ。)
解は歯をくいしばった。
ノルダーが身体をくねらせた。
はげしく動いたためにノルダーの身体から白いものが舞い散った。
よく見ればそれは羽毛のかたちをしていることに気づくはずだが、あいにく解にはそんな余裕がなかった。解は必死でノルダーにくらいついた。
結生とレシャバールの顔を思いうかべた。やっとつかんだチャンスだぞ、と思った。
ホルンの音が止んだ。
解の頭上から人の声が降ってきた。
「なんだお前! なにをしてる!」
ノルダーがプオオッと鳴いた。
まるで自分がひどい目にあっていることを主人に向かって訴えるような声だ。
「手を離せ! オレのところの羽毛蜥蜴ノルダーを盗むつもりか!」
あっという間に声が近づき、だれかが解の腕をグイッとつかんだ、
と解が気づいた瞬間にそいつは解の頬を張りとばした。
解は地面へ向かって叩きつけられた。
 
解は思わず笑顔になった。ニコニコした。
ようやく人に会えたと思った。
そう思ったとたんに目の前が暗くなった。
空腹と地面に叩きつけられた衝撃で貧血が極まったのだ。解は意識を失った。
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