ひごめの赤い石

スズキマキ

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第1章 とても古い屋敷のなかで

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 ミチはぎゅうっと目に力をこめて進一郎を見た。
 進一郎が少しのあいだ考える顔になり、それから小さなため息をついた。
 仕方ない、という様子だった。
「わかった。じゃあ君もついて来い」

 進一郎が先に立った。
 ミチと進一郎は扉の先へそうっと足を踏みだした。

 歩きはじめてすぐミチは、
(靴を持ってきたほうがよかったかもしれない)
 と考えた。
 暗くてせまい通路の石畳は靴下ごしでも足のうらにひんやりと冷たかった。
 それになんだか湿気しけっぽい。
 湿り気は石畳だけでなく通路全体にただよっている。水苔みずごけとカビのにおいがした。
 書庫の裸電球のあかりはすぐに遠ざかり、辺りが真っ暗になった。進一郎の手元のあかりだけが光っている。
 進一郎は懐中電灯をこきざみに上へ下へとゆらした。
 床を照らしてすぐ行く手を照らし、そのすぐつぎの瞬間には天井を照らした。
 そんな小さなあかりで照らすだけでも床と天井はどうにか判別できた。
 四角い石畳に四角い石の天井だ。
 が、行く先を照らすことは懐中電灯では無理だった。
 なにも見えなかった。

 進一郎がつぶやいた。
「なんだろう、この石畳。ずいぶんおおきな石だ」

 ミチは背伸びをしてみた。進一郎の肩ごしから照らされた天井を見つめた。
 四角い切り石はたしかにひどく大きい。ひとつひとつが一メートルを超えている。石というより岩だ。
 暗やみを進むのはひどく緊張した。とぎれとぎれに舌足らずな声が聞こえるが、声にどれだけ近づいたのか測る方法がない。少しばかり進んだくらいでは声に近づいたとも感じられなかった。
 視界の先はあいかわらずなにも見えないままだった。
 つまずくような石や出っぱり、あるいはひずみなどは無かったが、とはいえ一歩、また一歩と足を踏み出すのは結構大変だった。暗くて距離感がよくわからないのだ。
 しかし先を歩く進一郎のスピードはミチに比べて速かった。
 あの声の主か、時間か、それとも両方が気になるのか、せかせかと歩いていく。
 その進一郎が、
「君はそそっかしい子みたいだから、ちゃんと歩けよ」
 と、言った。
 ミチは反論した。
「ぼくはそそっかしいわけじゃないです。ときどき余計なことをしちゃうだけです」
「そういうのをふつうはそそっかしいというんだ。転ぶまえに注意しておいたほうがいいだろう」
「どうしてぼくが転ぶことになっているんですか」
 ミチがそう言ったとき、進一郎が足を止めた。ミチもいそいで停止した。
「天井が低くなっている。気をつけろ」 
 進一郎が背をかがめるのがミチの目にうつった。
 ミチもまねをしたが、体の動きが足りなかったようだ。ミチの頭のてっぺんが低い岩の天井にこすれた。
「痛い」
 ミチは思わずつぶやいた。
 進一郎があきれたように言った。
「だから注意したのに」
 ミチは思った。
(この人はできないやつがキライなんだな。ぼくが失敗するたびにイラっとしているみたいだ)
 なにか言い返したかったが、口を開く前にミチのつまさきに何かが当たった。
 その何かがごろりと転がった。進一郎があかりを向け、すぐそれを拾いあげた。
「ランタンだ。ちょっとこっちを持ってくれ」
 進一郎がミチに懐中電灯を手渡した。
 受けとったミチは進一郎の手元を照らした。
 たしかにランタンだ。進一郎がスイッチをさがしあててパチンと入れた。
 進一郎が持ってきた懐中電灯とはくらべものにならない明るさに、ミチは思わず声をあげた。
「うわ、すごい、明るい」
「LEDランタンだ」
 進一郎が考えこむ顔つきになった。

「だれかがおれたちの前にここへ来たんだ。そのだれかがどうしてか、ここへ置いていった。忘れていったのか、それともまた来るつもりなのか、どっちだろう。
うちの家族かな。父か、祖母か。でなければ会長かな。
でも、こんな場所の話はだれからもきいていない。ここは一体なんだろう」

(会長ってだれだろう?)と内心で首をかしげたミチは、だけどそのことを進一郎にたずねるより早く、目と口を大きく開いてかたまった。
 ミチはつかのま呼吸を忘れた。

 ランタンのあかりが周囲を照らした。

 ミチも進一郎も息をのんでだまりこんだ。
 沈黙がその場をおおいつくした。
 ほの暗さのなかで、しだいに目が慣れるにしたがって、それははじめぼんやりと、それからだんだん浮かびあがるようにして見えはじめた。

(絵だ――)
 壁一面に描かれた、絵。
 ミチの正面に真っ赤な牛がいた。
 四本の足、隆々とした胴体、頭に二本の曲がった角。赤一色で描かれた大牛だ。
 いや、よく見ると目と鼻のあなだけ黒い。
 真っ赤な牛はこころもち頭を下げ、ひづめを鳴らして動きだそうとする瞬間だ。
 いまにも突進しようという迫力が見ているミチに伝わってきた。
 だからといってその絵は、決して写真のようではなかった。胴体も頭も角もぜんぶ平面的で均一に塗りたくられ、ぎりぎりまで簡略化されて、ほとんど記号のような絵だった。

 ミチはぐるりと体を回転させて視線を移動させた。

 大牛の描かれた壁の横面にも絵が見えたが、黒い線で描かれているぶん、すぐにはなにが描いてあるのかわかりづらい。
(四つ足の動物かな?)とミチはあたりをつけた。
 牛はすでに赤い絵があるから他の動物、馬とか、それとも犬かもしれない。
 真っ黒な絵のなかにぽつぽつと赤い色の点が見えた。
 うんと目をこらしてよく見ると、どうもその赤い点は四つ足の動物の目のようだった。
 ミチはそのさらに横面、つまり真っ赤な大牛の向かい側の壁に目を走らせた。
 そこには鳥の群れがいた。
 たくさんの黄色い鳥が飛ぶ絵だった。
 遠く、また近くに翼を広げ、はばたき、どこかを目指して飛ぶようすが描かれていた。
 鳥のかたちはカモメに似ていた。ほっそりした胴体と長い翼を持っている。たくさんの鳥たちは暗い岩壁の上に描かれることによってまるで夜空を飛んでいるように見えた。
 壁の左下のあたりに描かれた鳥がいちばん大きい。
 その鳥だけ赤い輪郭線で囲ってあり、目にも赤色が塗ってあった。
 ミチはもう一度、大牛と鳥の群れのとなりに面した壁を見つめたが、そこに描かれた黒い絵はさっき以上に見分けるのがむずかしかった。黄色い絵を目にしたせいで、暗い色が見づらい。

 でも、とにかく、どの絵にも赤い色が使われていた。

 ミチは頭のなかに津江さんが手にした赤い小石を思い浮かべた。
 もしかしてこの絵を描くときにあの石を使ったのだろうか、と考えた。
 そして同時に、
(この絵はだれが描いたんだろう?)
 ということも考えた。

 ミチはふと足元を見おろした。
 そして呼吸をわすれた。

 そこには真っ赤な、大きな目の絵があった。

 壁とちがって天井と床の岩は白く塗られていた。そのため壁よりも明るく見えた。
 そして床の中央に、丸いものが一つ描かれていた。
 大きな黒い丸の輪郭、輪郭線のなかに赤い円、赤い円のまんなかに黒い円。
 赤い虹彩に黒い瞳。
 一つの目。
 この絵は他の絵よりも一層、記号のようだった。それなのに、ミチはこれを目だとわかった。

 (あの目だ)とミチは思った。
 池のなかで見た、水にゆらいだ、あの赤い目。

 あのとき見たものといま見ているものは、おなじものだとなぜかミチは思った。
 そしてその目は、まるで本物の目みたいに、あるものをじっと見ていた。
 視線を視線を感じるのだ、床に描かれた絵のはずなのに。
 「目」の視線をミチは視線で追いかけた。
 同時に津江さんからミチへ与えられた忠告の言葉が頭のなかでひびいた。

『決して目を合わせぬようにしや』
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