ヒトカミ粧

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第四章 イチヤ乱痴気

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 花街の陰に佇む骨董屋『小指』には、無い物がない。助六じいさんの店をそう例えると、手のひらの八咫は『ほぉん』、と声を漏らした。

『そんなに評判なのか? お前が吾を売りつけようとしやがった骨董屋はよぉ』

 まだあの時のことを根に持っているらしい。八咫の機嫌を取りつつ、後ろを振り返った。

「刹那さんはどう思います? 色師さんの、あの言葉」
「……あ? 嗚呼、『付喪神の行方は花街の骨董屋で分かる』、だったか」

 もう左頬は痛くない。むしろ昨日まで頭を占めていたもやが、今日は嘘のように晴れていた。

「でも、どうして助六じいさんのところなんでしょう?」
『付喪神ってのはなぁ、物に宿る神だ。古い物にゃ神が宿る、なんて聞いたこたぁねぇか?』

 そう言う話ならば、つい最近どこかで聞いたことがある。

『骨董屋は古い品物の宝庫だろ? その中に付喪神の長がいるかもしんねぇからな』

 話をするうちに、『小指』の看板前に着いていた。骨董屋の店主は、普段通り煙管片手に新聞を読んでいる。

「おはようございます、助六じいさん」

 そして相変わらず自分の世界に入っているのか、何度呼び掛けても返事はない。

「こちらも暇ではないんだ。勝手に見させてもらうぞ」
「あっ、ちょっと刹那さん!」

 広い店内を刹那がうろつき始めてからしばらくして、助六じいさんはようやく紙面から顔を上げた。刹那が中庭への戸を開けたからだろう。

「こら娘! 勝手に出るな」

 慌てて杖を探す助六じいさんに「大丈夫ですよ」、と一声かけ、奥へ進む刹那を追いかけた。

「この花は……」

 四方を家屋に囲まれながらも、ここの畑には日が良く当たる。橙のぼんぼり花が咲き乱れる光景に、刹那は見惚れているようだった。

「紅花ですよ。今年は少し時期が早いんですけれどね。そちらにあるのは薬草で、軟膏の材料にできるんです」
「お前が育てているのか?」
「いえ、この畑は店主の孫娘が――」

 ちょうど、薬草畑から三つ編み頭が飛び出した。店にいないと思えば、ここにいたのか。

「やっ、お露ちゃん」
「あら、咲さん! と……お客さん?」

 山盛りのカゴを抱えたお露は、淑やかな調子で「いらっしゃい」と呟いた。普段なら女の客を前にすると赤くなるのに、珍しい。

「品物を探しに来た。世話になる」

 こちらも珍しく、人相手に普段通りだ。前回は、子葉や滋子とまともに口をきく様子もなかったというのに。女二人を前に首を捻っていると、背後の戸が軋む音を立てた。

「その娘っこは小僧のコレか?」
「コレ?」

 真顔で小指を突き出すじいさんに訊き返すと、お露に草刈り鎌を持っていない方の手で小突かれた。三つ編みの隙間から覗く耳を真っ赤に染め、ムッとしてこちらを見上げている。
 ああ、そういうことか――。

「刹那さんは俺の相棒ですよ。ね?」

 とっさに振り返るも、刹那は顔色を変えることなく畑を眺めていた。もう一度「ね?」と念を押すと、「応」とだけ呟く。

「なんだ、小僧の連れは紅花が好きか」

 肩を貸そうとする間もなく、助六じいさんの手が戸から俺の腕へと移った。手はすぐに離れていき、じいさんは畑の土に膝をつく。出たついでに草むしりでもするのだろう。

「この花も薬にするのか?」
「いや。こいつはちょうど娘っこが塗っているような、良い色の紅になるだろうよ」

 やはり平然と言葉を交わしている。学生街で滋子と話している時は、あんなにぎこちなかった刹那が。俺といるうちに人に慣れてくれたのかと思うと、なんだか感慨深い。

「そろそろ貴様の店を見て回っても良いか?」

 中へ戻る刹那に続こうとすると、袖を軽く引っ張られた。

「咲さん本当なの? あの女の人が、えっと……咲さんのい、好い人って……」
「だから違うって!」

 本気か冗談か分からないお露を庭に残し、刹那の後を追った。棚を観察する刹那は俺を見つけると、「話しかけろ」、と白磁のツボを指す。

「え。普通のツボですよ? ずっとここにありますし」

 それでも刹那がチラつかせてくる拳に負けて、ツボに「もし」と声を掛けてみた。当然ながら返事はない。

「確かに神の気配はあるが。おい八咫」

 胸元の布を透かして、鏡面が光を帯びていく。熱いような気がして懐から出すと、乱暴な手に八咫をひったくられた。

「お前が話しかけろ」
『あぁ? 吾ァ付喪神って連中は好かないんだけどな』

 そもそも八咫は、鏡に付いている神ではないのだろうか。さり気なく訊いてみると、『一緒にするな』と返ってきた。

『適当な入れ物に宿る付喪神とは違うからな。この鏡は吾専用だぜ?』

「べらべら喋り過ぎだ」、と刹那に脅された八咫は、棚一帯の調度品に声を掛け始めた。それでも品物たちは、うんともすんとも言わない。

『はっはぁ。コイツらシカト決め込んでやがる。色師の言う通り、この中には付喪神が混じってるぜ』

 刹那と手分けし、改めて声掛けをした。金箔付きの皿を手に取ってみたが、変わったことは起こらない。次に、数年前に売られてきた洋風の燭台――ランプに触れてみる。

「これ、どうやって点くんだろう。なるほど、このつまみを捻るのか……あっ!」
『痛い!』

 軽く触れただけで、金属のつまみが取れてしまった。助六じいさんに見つかったらまずい。

「うわぁ、どうしよう」

 そもそも壊れていたのを、何かでくっつけた跡がある。

『ていちょーに扱ってよね』
「すみません。まさか取れるとは――え?」

 今、どこからか子どもの声がした。刹那と八咫は棚の反対側にいる。助六じいさんとお露は、まだ中庭で草刈りをしてる。ということは――。

「もしもーし」

 ランプに声を掛けてみるが、返事はない。

「ちょっと失礼」

 試しに、ガラス製の色鮮やかな傘を指で弾いてみる。

『痛っ……あ』
「せ、刹那さん、八咫さん、こっちへ来てください!」



 口の利けるランプに従って案内されたのは、嵐の丘だった。

「あの、ここは……」

 郊外にあるだだっ広い丘。そのてっぺんにポツンと佇む洋館の周りにだけ、雷が轟いている。おまけに、唐傘がまるで役に立たないほどの雨が降り注いでいた。

「心地良い嵐だ。まるで幽霊屋敷だな」

 刹那の恍惚とした呟きに、思わず後ろを振り返る。

「えっ! 幽霊って本当にいるんですか?」
「何だ、怖いのか?」

 そうではないが、幽霊がこの世に存在するかどうかだけでも教えて欲しい。さっさと鉄格子を開ける刹那の後に続きながら、何度も問いかけた。しつこい、と腕を払われても。

「そんなこと知ってどうする」
「心持ちが変わるんですよ。いたらいたで、用心しようと思えるじゃないですか!」

 特に今の状況では必須の情報だ。そう訴えても、刹那はあからさまに嫌そうな顔をして玄関の中へ入ってしまった。

『まさか戻って来ちゃうなんてなぁ……』

 辺りに巣食う虫や劣化した壁、ほこりの積もった床を見る限り、人の住んでいる感じはない。これでは刹那の言う通り、本物の幽霊屋敷だ。

「でも洋館なんてまだ新しそうなのに、どうしてこうなってしまったんでしょう?」
『さぁね。ぼくを捨てた敷島(しきしま)のことなんか、もうどうだっていいよ』

 屋敷の主は敷島というらしい。ここまで案内してくれたランプを慰める言葉は、うまく見つからなかった。
「そういえば」、と色師から事前にもらった瓦版を広げ、ランプをかざしてみる。窓の外に閃く雷光のおかげで、絵だけは何とか見ることができた。

「何だこれは。蛍か?」
「そう見えますけど、蛍の時期にはまだ早いですし……」

 これは獣の時と同じで、あくまで予想図だと色師は言った。しかし今回の絵からは、光の玉が大群になって浮いていることしか分からない。

『なぁ付喪神よぉ、明かりが足りねぇと。お前の力はそんなもんかぁ?』

 挑発するような口調で八咫は言う。するとランプは激しく点滅を始めた。

『願いが足りていないだけだもん! ほら人の子、もっと光るよう、ぼくにお願いしなさい』
「えっ……『もっと明るく光ってください』。これで良いんですか?」

 ただ口にしただけだというのに、手元までしか見えなかった明かりが足元にまで届くようになった。そういえば、異形の神と対峙した時――『アイツに起きるよう願え!』。そう八咫に言われたことを思い出す。

『あぁそうか。お前らは、吾たちの力がどっから来てるかなんて知らねぇよな』
「力っていうと、色師さんがよく言っている神力ってやつのことですか?」

 長い廊下を進む間、八咫は人間が到底知ることのない「神の仕組み」について話してくれた。

『色師(しゅしん)はちぃと特別だが、大抵の神は人間の願いを糧に力を行使できるってわけよ。だから人が遠のいた社の神なんざ哀れなもんでな。神力も真名も、己の役割すら忘れちまうヤツもいるってんだ』

 刹那が名無しの神と呼ばれるのは、そのせいなのだろうか。口を挟みたくて仕方なかったが、ここで刹那の地雷を踏み抜くわけにはいかない。

「ということは逆に、人の願いが集まれば集まるほど、神力は強くなるってことですよね」

 そうだとすると、刹那にこの仕組みは当てはまらない気がする。無名神である刹那の力は六神に引けを取らないどころか、上回ってすらいたのだから。刹那の秘める力は、骸の『呪い』と何か関係があるのだろうか――。

『この奥が舞踏室だよ』

 ランプの高い声で我に返る。刹那が高い扉の持ち手を引いた、その瞬間。眩い光が隙間から漏れ出し、目を開けていられなくなった。
 温かい何かが体を包み込んだと分かってから、しばらくして。目の眩む光は少しずつ小さくなっていった。どうやら刹那の腕が、ずっと俺を庇ってくれていたらしい。
ランプが舞踏室と言った広間は、宴の賑わいと、踊り舞う洋装の男女で満ちていた。笑顔で歓談する人々、巨大な食卓に並ぶご馳走を、天高く吊り下がる飾電灯が照らしている。

「前にもこんなの見たんですけど、色具の効果ですか?」
「知らん。後で色師に聞け。それにしても、これは何だ?」

 今回のコレは、神の記憶ではないのだろうか。しかし幽霊屋敷の中で、ここだけが華やいでいるなどおかしい。

「この甘ったるい歌……」

 刹那の指摘に、はじめて音楽へ耳を傾けた。ピアノと調和するこの声には聞き覚えがある。人混みをすり抜け奥へ進むと、瑠璃色の洋装を纏った女が舞台の上に見えた。あの薄桃と萌黄の混じるかぶいた髪色に、きらめく顔は――。

「すごい……一条愛生だ」

 ポスターや雑誌でしか見たことのない歌姫が、目の前で歌い舞っている。

「新しいお客様方、ようこそ! 我が主人敷島の邸宅へ」

 名残惜しくも、一条に張り付いていた視線を外す。背後には礼服の大男が立っていた。初老の男は上品に微笑み、こちらに向かって頭を垂れる。

「私は家令の、加納と申します」

 幽霊屋敷の中にいる男が普通のはずない。こっそり刹那に視線を送ると、刹那は顎に手を当て加納を観察していた。

「お察しの通り、これはかつての栄華でございます。昔は毎週末舞踏会を開催したものです。主人は宴が大好きでした……」

 何だろう。加納という男の話を聞いていると、瞼が重くなってくる。眠気に抗っていると、周りが少しずつ色を失っていった。華やかな光景が闇に混ざり、消えていく。
 眠気が解けた頃には、真っ暗で静まり返った広間に立っていた。目の前に、埃をかぶったピアノがひとつだけ残っている。

『ご覧の通り、屋敷の栄華は今や追憶の彼方でございます。ここへ何の御用でしょうか?』
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