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終章
御役御免
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「一人にしない」と約束した以上、戻らないわけにはいかない。
いかない、のだが。
「……どうしよう」
かつて生づる神が棲んでいた彩色座敷は、少しずつ崩壊を始めていた。縁日のように賑やかだった大通りも、立ち並ぶ楼閣も、お月様でさえ崩れていく。闇の中に消えていく。
人に必要とされなくなった神の国――常世の終わりを見届けることこそが、俺、「去りし神」に与えられた最後の御役目。この体になった瞬間、そう理解した。
「人に戻るには、やっぱり神粧の儀をするしかないのか……?」
しかし色師は言っていた。『刹那は主神で、外せない御役目を負った者だ』と。人にするには、その御役目を、新しい神に至る存在へと引き継ぐ必要がある――それが俺だ。俺が人に戻るには、この不当な御役目を、他の誰かに引き継がなければならない。
「そんなの――」
できるわけがない。神に至る素質のある魂、『天胎』を見つけることが困難だとか、そういう話ではない。こんなことを、他の誰かになすり付けられるものか。
「考えろ、きっとどうにかなる……」
今、この体は人ならざる存在だ。そのおかげか、これまで一つだけだった考え事の道筋が、幾通りにも増えている。その中からふと、色師から最初に渡された『手引き』のことを思い出した。基本に立ち返れば、何か他の方法を思いつくかもしれない。懐を探り、古めかしい半紙を二枚取り出す。
「一、神が儀の実行を受け入れること」
これは雇われた当初、一緒に読んだ条件だ。当然達成している。
「二、主神の神力を込めた色具を使用すること……あ」
これまではすべて、色師が用意してくれていた。主神の、ということは、俺にでも作ることができるのだろうか。しかしどうやって作れば――俯いていると、頭のてっぺんに何かがぶつかった。畳の上に鍵がひとつ落ちている。箪笥の二段目を開けた時の鍵に似ているが、それよりもずっと錆がひどい。鍵の頭には「壱」の文字が刻まれている。ふと箪笥の一番上の段に目が行った。てっぺんまで飛び上がり、最上段を開けてみる。
「何で……あの神(ひと)、こんなこと一言も……」
そこには『晴天』の色具が眠っていた。ただ理不尽に俺を利用し、一直線に刹那を考えていたのではないか。疑問が生まれるとすぐに、「あぁ」、ともやが晴れた。この体は本当に厄介だ。
かつて一緒に集めた素材で、色師が作り上げた『晴天』。その皿をそっと拾い上げ、半紙の続きを読むことにした。
「三、儀を行うものは神力をもっていないこと……って!」
三段目の記憶を見た時。確かに色師は、『神力が混ざらないように、色具を扱うのは人間でないといけない』と言っていた。あれは、刹那を俺に接触させるためのウソではなかったのか。
「失礼!」
鼓膜を震わせる声が響く。箪笥から転げ落ちそうになったところ、何者かに腕を掴まれた。振り返った先には、対照的な軍服の二人組が浮いている。
「神になってから独り言が多くなったようですね」
「やっほ、お咲」
もう何年も、自分以外の声を聞いていなかった気がする。
「黒さん、白、どうしてここに!?」
黒は箪笥の前に寄りかかり、白は飛び上がって俺の背に腰を落ち着けた。
「どうして? 特に理由はない」
相変わらず淡々としている白に対し、黒は朗らかな笑顔でこちらを見上げる。
「咲様に会いに来たのでしょう? まったく、何百年経っても白は素直じゃないですね」
すぐに白を見上げるも、あからさまに視線を逸らされた。
「それで、お前は人に戻りたいんでしょ? どうするつもり?」
神粧の儀をするにも、条件が全部揃わない。神の頭でこれだけ考えても分からないというのに、それ以外の方法など存在するのだろうか。黒白も当然、「知るわけない」と言う。
「それで、諦めるの?」
「諦めない。一人にしないって、刹那さんと約束したんだ」
いっそ体は神のままで、まずはここから脱出できる方法を考えた方が良いのだろうか。色師と同じく、俺はこの座敷から出ることができないようだ。ここから出してくれないかと頼んでみたが、白は「できない」とはっきり言う。
「いっそ、役を解いてあげようか? 分かってるだろうけど、もうすぐ常世は終わる。そうなる前に今のキミを楽にして……次に巡らせる。大丈夫、一瞬。怖くない」
そういうことか、と解した直後。白を振り返り、遠くに向いている白濁の瞳を見つめた。
「大っ嫌いだ」、と白から告げられた時、心の臓が止まったかと思った。それでも今は、白の本当が少し分かる気がする。お露であり、白でもある目から視線を逸らさず、首を横に振った。
「やめておく……でも、ありがとう」
微笑むと、白の目蓋が何度か瞬いた。意表を突かれた時の表情に、お露の面影が見える。
「俺は必ず人に戻って、刹那さんのところへ帰るから」
やはり神のままではいられない。この身になって初めて、刹那の侘しさを理解した。こうして誰かに触れても熱を感じない。この世の中で、自分だけが独り生きているような心地になる。
「君の気持ちは分かった……後はどうぞ、ごゆっくり」
去っていこうとする白の背中に、とっさに手を伸ばす。
「白」
振り向かずとも、白は足を止めてくれた。物心つく前からずっと一緒だった背中に、今できる精いっぱいの笑顔を見せる。
「来てくれて、ありがとう」
白は小声で何かを呟いた後、障子窓から飛び出していった。黒の鎖を引っ張りながら。
ひとりきりになると、広大な座敷に崩壊の音だけが響くようになった。
「あーあ、どうしよう」
ここが消える前に、神々はひと柱も残らず去っていった。白の言う通り、もう時間もない。常世が完全に消える前に、戻る方法を考えなければ。
頭をはたらかせようにも、黒白が去っていった障子窓から目が逸らせない。
「盗人小僧」
じわり、と頭を侵食する低音と吐息に、体が大きく跳ねる。顔を上げると赤い女――俺の神様が、箪笥の前で仁王立ちしていた。
「私から逃げられるとでも思ったか?」
夢か、幻か。しかし何度目を瞬かせても、刹那の姿はそこにある。
「どうして……どうやってここに?」
箪笥から降りてわけを尋ねても、刹那はこちらに構わず化粧箱を広げている。「時間がない」とだけ口にして、俺の手から『晴天』の色具をひったくった。それを桶の水に投げ入れ、溶ける青色を筆でかき混ぜはじめる。
「ああ! それ入れすぎですよ!」
桶いっぱいの水に、小皿ひと塗りの色具では薄すぎる。慌てて皿を救出しようと手を伸ばしたが、刹那の素早い手に弾かれた。そして「お前はコイツの相手でもしていろ」、と青銅鏡を押し付けられる。
『おぅ咲。あー、今は主神サマか?』
「八咫さん! どうしてここに刹那さんが!?」
『吾の真の役目は、神のための立願器だ。それなりの代償を払えば、大抵は叶えてやれる』
「立願器」――その言葉を聞いたのは、八咫の記憶を見た時だった。
「でも、代償って何ですか?」
『それは……』、と八咫が言い淀んだ途端、刹那の手が目の前に伸びてきた。顎を掴まれ、「いいか、黙って聞け」と睨まれる。
「お前が継いだ役目は、本来私のものだった。『ソレ』については私が一番よく分かっている。『終わる世を見送る』のが去りし神の役目……ならば常世が完全に消滅し、お前が役目を失うと同時に神粧の儀をやってやればいい」
神だった頃と変わらない、燃え盛る瞳。その魔力に引き込まれそうになったところで、はっと我に返る。
「でも同時ってそんな、化粧は一瞬で終えられるわけじゃあ……」
刹那は人の話を聞こうとせず、『晴天』が溶けた色水の桶を持ち上げた。いつの間にか、崩壊がこの楼閣にも迫っている。箪笥の周り以外の場所が無に還り、崩壊が足元にまで及ぶ寸前。頭のてっぺんから、豪雨のような勢いで水を打ちかけられた。
『咲』
感じる。冷えた全身が、柔らかい熱に包まれている感覚がする。体が溶け、細長い芯だけが残り、そこに直接熱が触れているようだ。これが、去りし神の欲しかった熱――。
一度溶けた体が、熱い芯の周りに肉を纏う。妙な感覚に身を委ねているうちに、目が見えるようになった。鼻先に触れているのは、刹那の頭。そしてこの場所は――。
「……俺の家……戻れた……?」
まだ微睡みの中にいるようだ。ぼうっとして鏡台を眺めていると、熱い手が額に触れた。
「その傷、消さなくて良かったのか?」
神の身から人に戻る時、願えばまっさらにすることもできる気がした。それでもあえて、この顔は変えないよう望んだ。
「俺がしてきたこと全部、間違いだったなんて思いたくないんです」
言葉が返って来る前に、刹那の華奢な背中に腕を回す。
「嗚呼、温かいな……」
寂しさを含んだ声は、あの時の声色と似ていた。「いつか私も、お前に触れてみたい」――今、ようやく叶ったというのに。刹那の顔を見ようと腕を解くが、刹那は腕を離そうとしなかった。
「あの、刹那さ――」
「お前は、あの時の言葉を違える気はないか?」
「どんな姿でも関係ない」、と鯨の胃の中で言ったことだ、と刹那は囁くように言った。言葉の代わりに深く頷くと、刹那はようやく顔を上げる。
「え……?」
「どうした、笑え。互いの願いがようやく叶ったというのに」
勝手に頬を伝う涙を、刹那の熱い指が掬い取る。その手を強く握り、もう片方の手で刹那の顔に触れた。右半分が、骸の透けている顔に。
「刹那さん、これは……」
「これでいい」
神粧の儀は成功していたはずだ。それを見届けて常世に行ったのだから。そう訴えると、刹那はいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「どんな姿だろうと、私が良いんだろう?」
刹那が笑っている。それだけでもう、「どうして」は出てこなくなる。代わりに深く頷き、確かな熱を帯びた体を抱きしめた。
いかない、のだが。
「……どうしよう」
かつて生づる神が棲んでいた彩色座敷は、少しずつ崩壊を始めていた。縁日のように賑やかだった大通りも、立ち並ぶ楼閣も、お月様でさえ崩れていく。闇の中に消えていく。
人に必要とされなくなった神の国――常世の終わりを見届けることこそが、俺、「去りし神」に与えられた最後の御役目。この体になった瞬間、そう理解した。
「人に戻るには、やっぱり神粧の儀をするしかないのか……?」
しかし色師は言っていた。『刹那は主神で、外せない御役目を負った者だ』と。人にするには、その御役目を、新しい神に至る存在へと引き継ぐ必要がある――それが俺だ。俺が人に戻るには、この不当な御役目を、他の誰かに引き継がなければならない。
「そんなの――」
できるわけがない。神に至る素質のある魂、『天胎』を見つけることが困難だとか、そういう話ではない。こんなことを、他の誰かになすり付けられるものか。
「考えろ、きっとどうにかなる……」
今、この体は人ならざる存在だ。そのおかげか、これまで一つだけだった考え事の道筋が、幾通りにも増えている。その中からふと、色師から最初に渡された『手引き』のことを思い出した。基本に立ち返れば、何か他の方法を思いつくかもしれない。懐を探り、古めかしい半紙を二枚取り出す。
「一、神が儀の実行を受け入れること」
これは雇われた当初、一緒に読んだ条件だ。当然達成している。
「二、主神の神力を込めた色具を使用すること……あ」
これまではすべて、色師が用意してくれていた。主神の、ということは、俺にでも作ることができるのだろうか。しかしどうやって作れば――俯いていると、頭のてっぺんに何かがぶつかった。畳の上に鍵がひとつ落ちている。箪笥の二段目を開けた時の鍵に似ているが、それよりもずっと錆がひどい。鍵の頭には「壱」の文字が刻まれている。ふと箪笥の一番上の段に目が行った。てっぺんまで飛び上がり、最上段を開けてみる。
「何で……あの神(ひと)、こんなこと一言も……」
そこには『晴天』の色具が眠っていた。ただ理不尽に俺を利用し、一直線に刹那を考えていたのではないか。疑問が生まれるとすぐに、「あぁ」、ともやが晴れた。この体は本当に厄介だ。
かつて一緒に集めた素材で、色師が作り上げた『晴天』。その皿をそっと拾い上げ、半紙の続きを読むことにした。
「三、儀を行うものは神力をもっていないこと……って!」
三段目の記憶を見た時。確かに色師は、『神力が混ざらないように、色具を扱うのは人間でないといけない』と言っていた。あれは、刹那を俺に接触させるためのウソではなかったのか。
「失礼!」
鼓膜を震わせる声が響く。箪笥から転げ落ちそうになったところ、何者かに腕を掴まれた。振り返った先には、対照的な軍服の二人組が浮いている。
「神になってから独り言が多くなったようですね」
「やっほ、お咲」
もう何年も、自分以外の声を聞いていなかった気がする。
「黒さん、白、どうしてここに!?」
黒は箪笥の前に寄りかかり、白は飛び上がって俺の背に腰を落ち着けた。
「どうして? 特に理由はない」
相変わらず淡々としている白に対し、黒は朗らかな笑顔でこちらを見上げる。
「咲様に会いに来たのでしょう? まったく、何百年経っても白は素直じゃないですね」
すぐに白を見上げるも、あからさまに視線を逸らされた。
「それで、お前は人に戻りたいんでしょ? どうするつもり?」
神粧の儀をするにも、条件が全部揃わない。神の頭でこれだけ考えても分からないというのに、それ以外の方法など存在するのだろうか。黒白も当然、「知るわけない」と言う。
「それで、諦めるの?」
「諦めない。一人にしないって、刹那さんと約束したんだ」
いっそ体は神のままで、まずはここから脱出できる方法を考えた方が良いのだろうか。色師と同じく、俺はこの座敷から出ることができないようだ。ここから出してくれないかと頼んでみたが、白は「できない」とはっきり言う。
「いっそ、役を解いてあげようか? 分かってるだろうけど、もうすぐ常世は終わる。そうなる前に今のキミを楽にして……次に巡らせる。大丈夫、一瞬。怖くない」
そういうことか、と解した直後。白を振り返り、遠くに向いている白濁の瞳を見つめた。
「大っ嫌いだ」、と白から告げられた時、心の臓が止まったかと思った。それでも今は、白の本当が少し分かる気がする。お露であり、白でもある目から視線を逸らさず、首を横に振った。
「やめておく……でも、ありがとう」
微笑むと、白の目蓋が何度か瞬いた。意表を突かれた時の表情に、お露の面影が見える。
「俺は必ず人に戻って、刹那さんのところへ帰るから」
やはり神のままではいられない。この身になって初めて、刹那の侘しさを理解した。こうして誰かに触れても熱を感じない。この世の中で、自分だけが独り生きているような心地になる。
「君の気持ちは分かった……後はどうぞ、ごゆっくり」
去っていこうとする白の背中に、とっさに手を伸ばす。
「白」
振り向かずとも、白は足を止めてくれた。物心つく前からずっと一緒だった背中に、今できる精いっぱいの笑顔を見せる。
「来てくれて、ありがとう」
白は小声で何かを呟いた後、障子窓から飛び出していった。黒の鎖を引っ張りながら。
ひとりきりになると、広大な座敷に崩壊の音だけが響くようになった。
「あーあ、どうしよう」
ここが消える前に、神々はひと柱も残らず去っていった。白の言う通り、もう時間もない。常世が完全に消える前に、戻る方法を考えなければ。
頭をはたらかせようにも、黒白が去っていった障子窓から目が逸らせない。
「盗人小僧」
じわり、と頭を侵食する低音と吐息に、体が大きく跳ねる。顔を上げると赤い女――俺の神様が、箪笥の前で仁王立ちしていた。
「私から逃げられるとでも思ったか?」
夢か、幻か。しかし何度目を瞬かせても、刹那の姿はそこにある。
「どうして……どうやってここに?」
箪笥から降りてわけを尋ねても、刹那はこちらに構わず化粧箱を広げている。「時間がない」とだけ口にして、俺の手から『晴天』の色具をひったくった。それを桶の水に投げ入れ、溶ける青色を筆でかき混ぜはじめる。
「ああ! それ入れすぎですよ!」
桶いっぱいの水に、小皿ひと塗りの色具では薄すぎる。慌てて皿を救出しようと手を伸ばしたが、刹那の素早い手に弾かれた。そして「お前はコイツの相手でもしていろ」、と青銅鏡を押し付けられる。
『おぅ咲。あー、今は主神サマか?』
「八咫さん! どうしてここに刹那さんが!?」
『吾の真の役目は、神のための立願器だ。それなりの代償を払えば、大抵は叶えてやれる』
「立願器」――その言葉を聞いたのは、八咫の記憶を見た時だった。
「でも、代償って何ですか?」
『それは……』、と八咫が言い淀んだ途端、刹那の手が目の前に伸びてきた。顎を掴まれ、「いいか、黙って聞け」と睨まれる。
「お前が継いだ役目は、本来私のものだった。『ソレ』については私が一番よく分かっている。『終わる世を見送る』のが去りし神の役目……ならば常世が完全に消滅し、お前が役目を失うと同時に神粧の儀をやってやればいい」
神だった頃と変わらない、燃え盛る瞳。その魔力に引き込まれそうになったところで、はっと我に返る。
「でも同時ってそんな、化粧は一瞬で終えられるわけじゃあ……」
刹那は人の話を聞こうとせず、『晴天』が溶けた色水の桶を持ち上げた。いつの間にか、崩壊がこの楼閣にも迫っている。箪笥の周り以外の場所が無に還り、崩壊が足元にまで及ぶ寸前。頭のてっぺんから、豪雨のような勢いで水を打ちかけられた。
『咲』
感じる。冷えた全身が、柔らかい熱に包まれている感覚がする。体が溶け、細長い芯だけが残り、そこに直接熱が触れているようだ。これが、去りし神の欲しかった熱――。
一度溶けた体が、熱い芯の周りに肉を纏う。妙な感覚に身を委ねているうちに、目が見えるようになった。鼻先に触れているのは、刹那の頭。そしてこの場所は――。
「……俺の家……戻れた……?」
まだ微睡みの中にいるようだ。ぼうっとして鏡台を眺めていると、熱い手が額に触れた。
「その傷、消さなくて良かったのか?」
神の身から人に戻る時、願えばまっさらにすることもできる気がした。それでもあえて、この顔は変えないよう望んだ。
「俺がしてきたこと全部、間違いだったなんて思いたくないんです」
言葉が返って来る前に、刹那の華奢な背中に腕を回す。
「嗚呼、温かいな……」
寂しさを含んだ声は、あの時の声色と似ていた。「いつか私も、お前に触れてみたい」――今、ようやく叶ったというのに。刹那の顔を見ようと腕を解くが、刹那は腕を離そうとしなかった。
「あの、刹那さ――」
「お前は、あの時の言葉を違える気はないか?」
「どんな姿でも関係ない」、と鯨の胃の中で言ったことだ、と刹那は囁くように言った。言葉の代わりに深く頷くと、刹那はようやく顔を上げる。
「え……?」
「どうした、笑え。互いの願いがようやく叶ったというのに」
勝手に頬を伝う涙を、刹那の熱い指が掬い取る。その手を強く握り、もう片方の手で刹那の顔に触れた。右半分が、骸の透けている顔に。
「刹那さん、これは……」
「これでいい」
神粧の儀は成功していたはずだ。それを見届けて常世に行ったのだから。そう訴えると、刹那はいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「どんな姿だろうと、私が良いんだろう?」
刹那が笑っている。それだけでもう、「どうして」は出てこなくなる。代わりに深く頷き、確かな熱を帯びた体を抱きしめた。
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