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第五章 塵も積もればなんとやら
IFルート『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その一
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異世界生活十五日目。
『ねぇ。トキヒサちゃん。もしこれからの予定が決まっていないなら……アタシと一緒に行かない?』
以前イザスタさんから言われた誘いの言葉を、俺はふと思い出す。あれからもう十日か。
断る理由もなく、あの時誘いを受けるべきだと思った。ただ、
『……すみませんイザスタさん。今はその誘いは受けられません』
『あら。どうしてか聞いても良い?』
『急な話でしたから、心を整理する時間が欲しいんです。すみませんが今決められそうにありません』
『そう。まあ確かに急な話だもの。仕方ないわねん。……良いわ。明日まで待つから、その時お返事を聞かせてちょうだい。アタシは一足先に出所するけど、その時に言ってくれれば良いから』
決断出来なかった俺をあの人は咎めなかった。むしろ急かしてしまったと申し訳なさそうな顔をした。謝るのはこっちだというのに。
その日の夜、イザスタさんは自身の出所をディラン看守に申請した。
結果として翌日の牢獄襲撃時、俺はイザスタさんに着いていく事が出来なかった。申請していない以上俺は囚人のまま。外に出ればスライム達が俺を取り押さえるからだ。
『トキヒサちゃんはスライムちゃんと一緒に待っていて。凶魔がどこから来ているかちょっと調べてくるわ。……大丈夫! ちゃっちゃと片付けて戻ってくるわ。そうしたら……昨日のお返事聞かせてねん!』
そう言ったイザスタさんはとても張り切っていた。もしかしたら良い所を見せようとしていたのかもしれない。そうすれば俺が一緒に行く事を了承してくれると。そんな事をしなくても、俺の返事はとうに決まっていたのに。
だが、それきりイザスタさんは戻ってこなかった。
後でやってきたディラン看守によれば、凶魔を呼び出していた悪党を撃退したものの、そいつは去り際に空間の裂け目のような物を創っていったという。
そこに吸い込まれた少女を助けようと自身もまた裂け目に飛び込み、今もまだ行方不明らしい。イザスタさんは俺なんかよりよっぽど善人じゃないかと思う。
その二日後、俺は普通に出所する事となった。イザスタさんが俺に内緒で出所用の金をディラン看守に払っていたのだ。おそらくサプライズ的に出所という流れにしたかったのだろう。
俺が考えた上で誘いに応じると読まれていたのも別に悔しいとは思わない。あの人ならやりそうだ。
肝心のイザスタさんが居なくなった後、金をネコババも出来たろうに、ディラン看守は俺の出所の手続きを済ませてくれた。
実はイザスタさんが裂け目に飲み込まれる寸前、俺を宜しくと頼んでくれたらしい。どこまでも頭が上がりそうにない。
最初の誘いに応じていたら。もしイザスタさんと一緒に牢を出て凶魔の出どころを探っていたら。或いは俺も助けになれたかもしれない。時々そんな事を考える。
「……もしそうなら、どうなっていたかなぁ」
「お~い雑用! 早く次の皿を洗え。まだまだ沢山あるんだぞ!」
「あいよっ! ただいま」
だけど全てはたらればだ。今は料理長が怒りだす前に仕事をやらないとな。
ここは王城の厨房。俺は今絶賛雑用係として皿洗い中だ。人間兵士も文官も貴族も腹が減る。城に出入りする人は多く、その食事量は毎日膨大だ。そして食事すれば当然片付けが必要であり、俺の目の前には食器が山と積まれている。
俺は目の前にある大量の食器をごしごし洗う。最初はあまりの多さに苦戦したけど、何日もやっていれば要領も分かってくる。今では鼻歌を歌う余裕も出るくらいだ。
「料理長。洗い終わりました」
「ご苦労さん。……そろそろ時間だな。今日はもう上がんな。いつものように賄いを用意してあっから」
「はい。ありがとうございます。それではお先に失礼しますね」
やたら厳つい風貌をしている料理長だけど、料理の腕は間違いなく達人だ。賄いとは言え絶品。俺はしっかり一礼すると、他の人達に挨拶しながらウキウキ気分で従業員用の食事スペースに向かった。
「ああ。食った食った」
俺は自室のベッドにダイブする。たらふく夕食を食った満腹感と、今日一日たっぷり働いた疲労感。そしてそこまで柔らかくはないものの、牢屋とは比較にならない寝心地の良さについウトウトする。
このまま寝たらきっと気持ち良いだろうな。……いやしかし明日の用意とか……ダメだ。瞼が重くなってきた。
コンコンコン。
「……は~い。今行きま~す」
ノックの音に目が覚め、ベッドの誘惑を振り切り立ち上がる。眠気が飛んだのは良いが良い気分を邪魔されたという気持ちもある。感謝八割逆恨み二割の気持ちでやや乱暴に扉を開けた。
「トキヒサ・サクライ。報告の時間だ。一緒に来てもらおうか?」
そこに立っていたのは頬の少しこけた神経質そうな男。以前俺の取り調べをした役人のヘクターだ。
「ああ。もうそんな時間でしたか。疲れてるからもう少し後じゃダメ?」
「良いから来い。閣下はお忙しいのだ。待たせるな」
拝むように頼んだがバッサリ断られた。取り付く島もないのは最初の頃から相変わらずか。
「まったく。分かりましたよ。だけど身だしなみを整える時間くらいくれませんか?」
「……急げよ」
着ている服がヨレヨレになっているのを見て取ったのか、ヘクターは渋々扉を閉めた。その間に俺は今着ている支給品の服から、代わりに一張羅であるこの世界に来た時の服に着替える。
「貴重品……と言っても鍵以外特にないし、荷物は置いていっても良いか」
部屋の隅に置かれた私物のリュックをチラリと見て、そのまま鍵だけ持って部屋を出る。
「お待たせしました」
「早く行くぞ」
扉に鍵を掛けていると、ヘクターはそのままさっさと歩いていく。ちょっ!? ちょっと待ってよ! なんでこうせっかちなんだよ。俺は慌ててヘクターの後を追った。
コンコンコン。
「ヘクターです。トキヒサ・サクライをお連れしました。閣下」
「入りたまえ」
「はい。失礼します」
ヘクターは静かに扉を開け、俺も後に続いて部屋に入る。
中はいかにも高級そうな調度品ばかり。その部屋の主、王補佐官なんて大層な肩書を持った爺ちゃんのウィーガス・ゾルガさんは、こちらに目を向けることなく光球の明かりを頼りに書き物をしていた。
「ご苦労だったヘクター。私は少しその者と話がある。席を外してもらえるか?」
「しかし閣下。私はっ!?」
「ヘクター」
ヘクターは何か言おうとしたが、ウィーガスさんに再度言われるとそのまま一礼して部屋を退出した。……出際にこっちを睨まないで欲しい。言ったのはこの爺ちゃんだからねっ!
そうして部屋の中は俺とウィーガスさんの二人だけとなる。……気まずい。この爺ちゃん威圧感が半端ないんだもの。
「まずは今日の報告を聞こうか」
「報告って程の事はないですよ。いつものように周りの人達の手伝いをしてるだけです」
◇◆◇◆◇◆◇◆
牢獄襲撃の後、俺は紆余曲折あって現在目の前にいる偉い爺ちゃんの部下のような仕事をしていた。出所出来たのは良かったのだが、町中にも凶魔が暴れ回ったらしく見て回るどころではなかったのだ。
イザスタさんと一時的に拠点とする筈だった宿、“笑う満月亭”も一部が破壊され休業状態。他に泊まるあてもなく途方に暮れていた所、さっきのヘクターに連行されてウィーガスさんの前に突き出された。
『ようこそトキヒサ・サクライ。いや、こう言い直そう。“『勇者』のなりそこない”よ』
ウィーガスさんは何故か俺が異世界から来た者、こちらで言う『勇者』だと知っていた。理由を聞くと出現した場所や身なり、ヘクターによる質問や牢獄で採取された血なんかを調べて推測したらしい。
なりそこないという言葉にはやや引っ掛かるが、実際国の召喚に遅刻したのは確かだ。その意味ではなりそこないと言っても間違いではない。
『さて、長話は好かないので単刀直入に聞くとしよう。トキヒサ・サクライ……君は『勇者』になりたくはないかね?』
俺の中のウィーガスさんのイメージが、油断ならない黒幕系爺ちゃんに固定された瞬間だった。
ウィーガスさんの言い分はこうだ。
曰く先日の王都襲撃により、現在の『勇者』達は肉体及び精神に大きなダメージを負っている。元々あまり期待していなかったが、このままでは完全に役に立たなくなる可能性もある。
最悪広告塔の仕事もこなせないとなると国民の士気に関わる。よって“今の『勇者』のスペア”として俺に目を付けたと。
『……失礼ですが冷血とか冷酷とか言われません? 俺はまだ良いけど仮にも『勇者』にその言い草。道具じゃないんですから』
『国営に関わる者なら大なり小なり同じような考え方をすると思うがね。それに私は言い伝えなど信じていない。『勇者』というのもかつての偉人の称号の流用に過ぎない。……まだ何も成していないのに『勇者』とは片腹痛いわ』
ウィーガスさんは皮肉気に、それでいて力強くそう断言した。国教に『勇者』が盛り込まれているのに言い伝えを信じないのは結構問題じゃないかと思うのだが、それを黙らせられるからの発言なのだろう。じゃなかったら部外者の前でこんな事言わない。
横で静かに佇んでいるヘクターは何も言わなかった。下手に口を挟むべきではないと考えているのかもな。
『無論君が『勇者』となった暁には、国営に大きな影響がない程度であれば全ての行動を容認しよう。金、女、名誉、その他望む全ての物を出来得る限り提供しようではないか』
『だけどその代わりにウィーガスさんの都合の良い『勇者』になれって? お断りですね。……用がそれだけならこれで失礼します』
『貴様……閣下の誘いを断ってどうなるか分かっているのかっ!?』
俺がさっさと退出しようとするとヘクターが何か言ってきた。確かにウィーガスさんが一声かければ、俺なんかどうとでも出来るだろう。
正直追手を出されたら逃げ切れる自信はない。それに何とか逃げ切れたとしても、下手したらもうこの辺りで働けないかもしれない。
また牢獄に逆戻りというのもあり得る。今度はイザスタさんも居ないのだ。金で出所という事も出来ないだろう。それに……もう人の金で助けてもらうつもりもないし。
断った場合のデメリットがもう数えるのもメンドクサイ。普通にここは了承した方が良いのはまず間違いない。……だけど、
『正直ピンと来ないんですよ。金は欲しいけどそんなやり方じゃあアンリ……知り合いは納得しないだろうし、女の子は嫌いじゃないけど今はそういう時じゃないし、名誉も特に要らない。そして肝心なのは……そうやって他人を道具のように扱う人を俺は好きになれない。ってな訳で失礼します』
こういう人は役に立たなくなったら平気で使い捨てるタイプだ。そんなのに従っていたら後が怖い。さっさとお暇すべく俺は扉に手をかけ、
『イザスタ・フォルス……と言ったかな?』
ウィーガスさんの言葉にそのまま立ち止まる。なんでイザスタさんの名前がここで出てくるっ!?
『牢獄では隣の牢だったようだな。数日間だが交友があり、そして先日の襲撃事件の際行方不明に。なにやら君の出所に必要な代金を支払ったとか……再び会いたいとは思わないかね?』
『……もうちょっと詳しい話を聞かせてもらえますか?』
それを条件に出されちゃ、聞かない訳にもいかないだろうが。
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