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第六章 積もった金の使い時はいつか
閑話 ある奴隷少女の追憶 その二
しおりを挟むクラウンが私を迎えに来る前日。卒業試験代わりに私はジロウに一撃当てるべく全力を尽くした。
開始時間ぴったりに潜影の奇襲から始まり、教わった通りほんの少し時間差のある影の刃による追撃。そして極めつけは、
「おいおいおい! そんなのアリかよっ!?」
訓練場の各地にある実戦を想定された岩場や樹木、その影を浸食してより合わせた特大の影造形。
もう巨大な壁と言えるほど膨れ上がったそれを突進させた時、私はハッとした! これは訓練の域を超えている! こんなのが当たればジロウだってただでは済まない。
慌てて影を霧散させようにも、渾身の魔力を込めてより合わせた魔法は自分でも簡単には解けない。
「ジロウ! 避けてっ!」
私の叫びとジロウがなにやら壁に向かって右手を翳したのはほぼ同時。そして影の刃壁はジロウの目前に迫り……そこで急停止した。
それは私が制御できているのではなく、ジロウが何かしている為なのは明らかだった。まるでこの巨大な壁を、見えない何かで受け止めているかのように。
そしてジロウはもう片方の手も翳して何かを掴むような仕草をすると、
「ぜいやああっ!」
そのまま大きく両手を左右に広げるのと同時に、影の刃壁はまた動き出してジロウに向かい……そのまま中央から左右に裂けてジロウをすり抜けていった。
私はジロウが無事なのを確認して崩れ落ちる。これは安心したというのもあるけど、あれだけの大きな魔法を使って魔力切れ寸前ということもある。
「……はぁ……はぁ……ふぅ」
身体に力が入らなくなり、自分の呼吸の音だけがやけに荒く聞こえる。
「セプトっ!? 大丈夫か?」
ジロウが慌てて駆け寄ってくるが、私は俯いたまま動けない。怪我がなかったのは良いけど、私は結局最後まで一撃当てる事はできなかった。これでは奴隷の責務を果たせない。
私を叱責するのだろう。ジロウは私の前で立ち止まり、
「ちょっと顔を見せてみな。……どうやら単なる魔力切れみたいだな。まあ仕方ないか。今の一撃は見事なもんだった」
ジロウは私を怒りもせず、ただ顔色や腕の脈をとって私の身を案じるだけだった。
「どうして? 私はあの一瞬、我を忘れて、当たったら怪我じゃすまないような魔法を。……だけど、だけどそれだけやっても、当てることはできなくて。……これじゃあ、奴隷として役に立つなんて」
「まあ一つに集中しすぎるあまり、それ以外頭から抜ける悪癖は直した方が良いかもな。だけど、確かに一撃は当たったぜ。……ほらっ!」
ジロウはそう言いながら自分のローブの首元を指差す。そこには大きな切れ込みが入っていた。
「いやあさっきのはビビったぜ。咄嗟に少しだけマジになった。……まあその時うっかり軽い攻撃を弾き損ねて、ローブにお洒落な切れ込みが入ったけどな!」
私はその言葉よりも、その切れ込みから見えた物に目が行っていた。
そこにあったのは隷属の首輪。つまりジロウも奴隷なのだ。この奴隷という言葉とはどこまでも縁遠そうな男が。
「……んっ!? ああ。言ってなかったっけ? 俺としたことが大分前にドジってここのボスに捕まっちゃってさ。首輪を着けられて逃げられなくされたんだ。向こうも俺を殺したくはないみたいでな」
ジロウは困ったように頭を掻きながらそう言う。
「それ以来ここで新入りの訓練を任されているんだが……まあそれはともかく安心しろよ。セプトは無事俺に一撃入れた。これならクラウンの奴も納得するんじゃねえかな? 戦闘訓練はこれで終了だ」
「……良かった」
ふと自分の口から洩れたこの言葉は、いったい何に向けてだっただろうか?
自分が認められたこと? ジロウが怪我をしなかったこと? それとも……ジロウもまた私と同じ奴隷だったこと?
自分の中のよく分からない感情を抱えたまま日が変わり、クラウンが再び家にやってきた。いよいよ出発の時なのだろう。望んでいた筈なのに、なぜか少しだけ胸の奥が締め付けられる感じがした。
「ふむ。どうですか? それは少しは使えるようになりましたか?」
「来るなり第一声がそれかよ!? もう少し労ってやったらどうだ?」
「道具を労って何か私に益でも?」
クラウンの言葉にジロウが食って掛かるが、私は別に腹も立たなかった。実際私は奴隷で、主人の道具と言われても間違ってない。
「ったく! セプトも何か言い返して良いんだぞ!」
「別に、良い。間違って、ないから」
「……はぁ。出来ればそっちの方も改善出来れば良かったんだけどな」
ジロウは溜息をついていた。何故だろう? ただ当然の事なのに。
「戦闘面に関しては及第点だ。まだ粗削りではあるが、そこらの暴漢程度に遅れはとらない。出来れば心構えとかも鍛えたかったが流石に時間が足らなかった」
「それは別にいいでしょう。道具に意思は不要です。細かい調整は私の方でしておきましょう。……さぁ。行きますよ」
クラウンは私に向かってそう言い放ち、自分の開けた転移用ゲートに歩いていく。主人が行くのであればそれに従うのが奴隷の務め。私も後に続こうと一歩踏み出した時、
「待った」
「何です?」
「最後にもう五分くれ。一応短いとはいえ弟子だ。別れの言葉くらい言わせろよ」
「……三分です。それなら待ちましょう」
しぶしぶという感じで足を止めるクラウン。私はまだ何か話すことがあっただろうかと不思議に思いながらも、ジロウに呼ばれてそちらに向かう。
「何か、あった?」
「実をいうとな……特に何もないんだ。って待った待った! じゃあって感じで普通に去ろうとするんじゃないよ! 最後になるかもだしもっとお喋りしようぜ!」
何もないみたいだから行こうとしたらやっぱり止められた。
「まあ場を和ます小粋なジョークはここら辺にしておいて、本題に入ろうか。……本当はな、お前さんを鍛えるのを止めようかと最初思ってたんだ」
ジロウは真面目な顔をしてそう言った。これはおそらく本当なのだろう。
「それは、私が出来ない子だから?」
「いいや逆だ。クラウンにはああ言ったけどな。ぶっちゃけた話、お前さんの才能は相当だ。素の魔力量もだが、並の魔族じゃ大人でもあそこまで影造形が出来る奴は少ない。それを一日目で感じて、昨日の試験で確信に変わったね」
「でも、結局ジロウに一撃当てられたのだって、無我夢中で、次は多分出来ない」
私がそう言うと、ジロウは軽く首を横に振った。
「俺が教えた奴は他に何人もいるけど、たった数日で俺に一撃食らわせた奴はお前さんが初めてだった。筋の良い奴でも皆十日近くはかかってたよ。最短記録更新だ。まぐれだろうが何だろうが、これまで誰も出来なかった事を成し遂げたお前は凄い奴だ。……だからこそ、俺がそれを鍛えていいのか不安になった」
「どうして?」
「ここが悪の組織で、俺がそこの幹部みたいなものだからだよ」
ジロウは初めて見る表情をしていた。どこか笑っているような、泣いているような、それでいて開き直っているような、そんな顔を。
「首輪を着けられたのは問題じゃない。俺は悪事を働いたことがあるし、これからも多分行うだろう。そして、このままだとお前さんもそうなる」
「私も?」
「ああ。俺が鍛えた結果お前が強くなって何かやらかすかもしれない。もしかしたら平然と誰かを傷つけるようになるかもしれない。しかもそれが凄い才能を持った奴で、おまけに主人があんなのならなおさらだ」
ジロウはそう言いながら横目でクラウンの方をチラリと見る。
「だから最初は無理にでも断ろうかと思った。……だがな、セプトがあんまりにも訓練に懸命についてくるもんで、結局止め時を見失って今に至るって訳だ。なので鍛えちまったもんの責任として言っとくことがある。……大切なものを作れ」
「大切なもの?」
「ああ。ヒトでもそうじゃなくても良い。守るべき何かでも良い。ただし主人以外でな。主人に尽くすのはお前なら当たり前だろうから、主人以外に大切と思える何かを作れ。……それがいざって時に、お前を繋ぎ止めてくれる。ちなみにこれは実体験だぜ! 俺にはそういうのが居なかったから、ずるずる流れて結局こんな風になっちまった」
主人以外に大切なもの。……特に思いつかない。家族はもう居ないし、他の奴隷達もそこまでではなかった気がする。強いて挙げるとするなら。
「うん。分かった。ジロウがそれ」
「……嬉しいが俺も抜きだ。どうせなら悪党以外にしてくれ」
「いい加減にしなさいっ! もう三分過ぎてますよ! これ以上は付き合いきれない。行くぞセプト」
「では、ジロウ。お世話に、なりました」
いつの間にもうそんなに経ったのか、クラウンはしびれを切らして一人すたすたとゲートに歩いていく。これ以上はいけない。私もペコリと頭を下げ、クラウンを追いかける。
そしてクラウンが通った後のゲートを通ろうとした時、
「じゃあこれは宿題な! 次に会うことがあったら、俺にそれを紹介するんだぞ!」
「うん。分かった」
宿題であれば手を抜く訳にはいかない。まだ大切なものというのはよく分からないけれど、奴隷としての奉仕の合間にでも探してみようと思った。
それからしばらく、私はクラウンに連れられた拠点でクラウンの身の回りの世話をする日々だった。
「ふん。こんな程度の雑務もこなせないとは、役立たずですねぇアナタ」
「すみませんっ! 申し訳ありませんクラウン様」
私以外にも奴隷は何人もいて、クラウンは奴隷が何か失敗をする度にそう言葉と身体への暴力で責め立て、奴隷の方はただ跪いて許しを乞う。それの繰り返し。
その様を見ていると、クラウンはわざと奴隷が失敗しやすい仕事を割り振っているようにも見えた。
そして奴隷が失敗した時、そのフードの下の素顔はどこか厭らしく歪んだ笑みを浮かべる。つまり私達は成功して失敗してもどちらでも良いのだ。成功したら良し。失敗したら虐める口実が出来る。
私も当然何度か失敗した。その度にクラウンに責められるのだが、
「……もう良いです。下がりなさい。……まったく。つまらない子ですねぇ。どれだけいたぶってもあまり表情が変わらない。これなら他のを相手にした方がまだ幾分か楽しめるというものです。使えるのは戦闘面だけですか」
何故かクラウンは他の奴隷に比べて私を責めることは無かった。他の奴隷達は私を羨むが、私からすればより主人の役に立っている他の奴隷達の方が羨ましい。
ジロウからの宿題である大切なものもまだ見つかっていないし、私はどうしたら良いのだろうか?
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