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ビスクドール編

依頼

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 俺はカウンターに頬杖つき、大学の就職課でもらってきた「完全!就職マニュアル!」なるものをパラパラめくっていた。エントリーシートの書き方から懇切丁寧に説明してあり、なかなかに初心者向けだ。

 カフェバー「ムーンサイド」のバータイムは今夜もお客さんゼロ。ランチタイムの賑わいが嘘のようだ。

「都築くん、今日はもうお店閉めちゃって夕飯にしようか?」

「はーい!」

 本来の営業時間はまだ後一時間ほどあるが、今から来る客などいないだろう。
 このバイト最大のお楽しみ、まかないの時間だ。

「今夜の夕飯はなんですか?」

 俺の問いかけと同時に店のドアが開いた。

「いらっしゃいま――…、アレク! 久しぶり!」

 入って来たのは店長の仕事仲間であるアレクだった。仕事と言ってもカフェバーではなく祓いの方……アレクはエクソシストなのだ。
 漢気があり、優しく、本当にいい奴で、俺の心の友でもある。

「アレク、今から都築くんの夕飯にするところだったんだけど、一緒に食べる?」

 カウンターに座ったアレクにまかない飯を勧める辺り、店長もアレクを客とは思ってないんだろうな。

「ありがとう、でもあまり食欲ないんだ。ジンジャーエールを頼む」

「分かった」

 アレクは金髪のワイルドイケメンで、ウィスキーやワインなんかを飲めばきっとすごく絵になるし似合いそうだ。しかし、残念なことに下戸だった。
 うちに来た時には、いつも酒ではなくジンジャーエールを頼む。

 細かい泡が立ち昇りシュワシュワと弾ける液体が、店内の間接照明に綺麗に映える。店長はアレクの前にグラスを置いてから、俺のまかないの準備のためにカウンター奥の厨房へと入って行った。

 俺はアレクと並んでカウンターに座り、ジンジャーエールを呷る横顔に目をやった。なんだか少し疲れているようだ。

「仕事、忙しいのか?」

「ん? あぁ、いや……教会の仕事じゃないんだが、ちょっと尾張に相談があってな」

「そっか」

 個人的なことだろうか。深く突っ込んで聞くのは遠慮しておこう。

「お待たせ」

 店長が運んできてくれたまかないは――…

「うわ! 炊き込みご飯とサンマの塩焼き! 秋だぁ~!」

 サンマは今まさにグリルから出したばかりなのだろう、皮はパリパリ、旨みたっぷりの脂がジュワ~ッと溢れ出しそうだ。すだちまで添えてある! ほかほかの炊き込みご飯は見るからに具がたっぷり。
 夏休みが終わったばっかりの俺に、さっそく『秋!』をぶつけてくるとは……店長め、粋な真似を!
 俺はさっそく、箸を手に取った。

「いただきますっ!!」




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



「ふむ、つまりその女性が何かに憑かれてるのは確かってことか……」

「それは間違いないんだが」

「でも、本人がほっといてくれって言ってる以上、僕たちに出来る事はないよ」

 俺はもぐもぐと「秋ごはん」を堪能しつつ店長とアレクの話を聞いていた。
 アレクの話をまとめると、教会の日曜礼拝に通ってくる一人の女性が見る度に痩せ衰えてゆく。最初は何か悪い病気にでもかかっているのかと思ったが、様子を伺っていると不穏な気配を感じたらしい。アレクが対応を考えているうちに、彼女は日曜礼拝に来なくなってしまった。心配したアレクが彼女の家を訪ねてみると、まるで別人のように取り乱し、追い返されてしまったというのだ。

「教会にも報告したんだろ? なんて言われた?」

「依頼や相談が来たわけでもないのに、首を突っ込むなと……」

「まぁそうだろうね」

「え、そんなもんなんですか? 明らかに助けが必要な人がいるのに、依頼や相談なしじゃ動かないって……」

 俺は黙ってられなくなって、つい二人の話に口を出してしまう。
 しかし、店長は小さく苦笑して首を振る。

「そんなもんだよ。僕たちがやってるのはボランティアじゃない、依頼があって初めて動けるんだ」

 めんどくさい世界だな。

「じゃあ、アレクが店長に依頼すればいいだけなんじゃ?」

 店長とアレクは一瞬ポカンと俺の顔を見た。
 あれ? 俺また何かおかしな事でも言ったか?

「それだ! 都築、ナイスアイディア!!」

 勢い良く立ち上がったアレクが、悩みは全て吹き飛んだとばかりに笑顔でガシッと俺の手を掴む。
 持ってた箸が転がり落ちた。

「ちょ、え?……自分で言っといてなんだけど、本当にそんなことで解決?」

 軽く肩をすくめて微笑む店長と大喜びのアレクを見比べ、逆に俺の方が困惑してしまう。

「そういう形なら、うちとしても問題なく動ける……都築くん頭いいね」

 あ、この人絶対分かってたな。
 しかし店長のこの笑顔の本当の意味を俺が知るのは、もっとずっと後になってからだった。



☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆



 翌日、カフェバー「ムーンサイド」は臨時休業となり、店長、アレク、俺の三人はその女性の家の前に立っていた。
 表札には「七瀬」と書いてある。
 アレクの話では、旦那さんを早くに亡くして昨年娘さんがお嫁に行き、今は七瀬さん一人暮らしとのことだった。

 アレクが呼び鈴を鳴らすが、反応なし。
 続いて店長が呼び鈴に手を伸ばす。
 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!
 連打!? あんた借金取りかよ。
 さすがにやめさせようとした、その時――…

 ガチャッ

 ドアが開いた。ほんの数センチくらいの隙間から女性が片目だけでこちらを見ている。
 目が据わってる……怖い。

「どなた?」

 声も低くて、警戒心丸出しといった感じだ。
 知り合いであるアレクが一歩前に出る。ポケットから何やら綺麗に折りたたまれた紙を取り出したアレクは、それを彼女に差し出しながら優しく声をかけた。

「こんにちは、七瀬さん。先週の礼拝にいらっしゃらなかったので、教会からのお知らせのプリントをお持ちしました。七瀬さんが入ってらっしゃる『趣味のコーラス聖歌クラブ』の練習日程も書いてあるので、見ておいてください」

「…………コーラスはやめます、もう教会には行きません。お帰り下さい」

 アレクと七瀬さんのやり取りを観察するように見ていた店長がいきなり動いた。アレクを押しのけるように前に出ると、七瀬さんが閉めようとしているドアに片足を挟み、閉められなくしてしまう。

「な、何なんですかっ!?」

 驚きの声を上げる七瀬さんに、店長はキラキラのイケメンオーラを放ちつつとびきりの笑顔で話しかける。

「すみません、連れがお腹の調子が悪いようで……お手洗いをお借りできますか?」

「はぁ? 何言ってるんですか?」

 七瀬さんは怪訝な顔で店長を睨みつけるが、店長は涼しい笑顔で俺の方をチラリと見た。

「彼、こんなとこで漏らしたら恥ずかしくてお婿に行けなくなっちゃいます。彼の将来のためにもお手洗いを貸してあげて下さい」

 待てやごらぁぁぁああああッ!!
 もう今の時点で、恥ずか死ぬわ!!!!

 アレクが俺を振り返る。本気で心配してる表情かおだ。

「都築、大丈夫か? 具合が悪かったなら無理して来てくれなくて良かったのに……」

 信じるな、バカ!!!!
 だーーーーっ! もう、やけくそだっ!!

「す、すみませんっ!……ちょっと、腹が……っ、……いたたただだだだっ!!」

 腹に手をあてて顔をしかめた俺は、痛そうな悲鳴まであげてみた。
 俺の三文芝居に七瀬さんは呆気に取られている。店長はドアを閉めようとする七瀬さんの力が抜けたのを見計らい、強引に開いてしまった。そのまま玄関の中へ入ってゆく。

「ありがとうございます! さ、都築くん早くお手洗いへ――…!」

 店長に続き、俺とアレクも雪崩のごとく玄関に押し入る。
 俺は急いでスニーカーを脱いだ。

「ありがとうございます! ほんっとに助かります! このご恩は一生忘れませんっ! おトイレどこですかっ!?」

「え、あ……、えっと――…あそこ、……」

 七瀬さんは俺の勢いに押され、思わず廊下奥のドアを指さした。

「お借りしまーすっ!!」

 俺はそのままトイレへと勢いよく駆け込んだ。
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