カフェバー「ムーンサイド」～祓い屋アシスタント奮闘記～

京都編

幕間 京都編 後日譚

「はぁ～、今日のランチはすんごいお客さんでしたね。店の外に行列できてたし」

　京都から戻った俺は翌日からさっそくバイトに復帰していた。
　夏休みも残りわずか。アパートでごろごろしてるより、料理運んで店の掃除して、店長の激ウマまかない飯を食べてた方がよっぽどいい。

「都築くんが京都行ってた三日間、お昼の営業はお休みしてたからね。再開を楽しみにしてくれてたのかも……ありがたいね」

　話しながら店長がカウンター奥の厨房からまかないを運んできてくれた。
　今日の昼ご飯は――…

「ハンバーグ！！」

　一気にテンションが上がる。
　シソと大根おろしも添えてあり、ソース代わりの昆布ポン酢がふわりと爽やかに香る。
　和風ハンバーグ！　めちゃくちゃ美味しそうだ。

「いただきまーっす！」

　俺は箸を手に取り、幸せいっぱいで食べ始めた。



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　ご飯をお代わりまでして久しぶりの店長の料理をしっかりたっぷり堪能した俺は、大満足で店長の淹れてくれた緑茶を飲んでいた。

「そうだ、店長に聞こうと思ってたんですけど『九字を切る』ってどんな攻撃なんですか？」

「都築くんが呪術に興味持つなんて、どうしたんだい？」

　店長は不思議そうに軽く首を傾げた。

「京都で、……ちょっと」

「あぁ、橘家のお手伝いしたんだったね。というか、今まで僕も何回も使ってるんだけど」

「え？……え？　そうなんですか？」

　店長、色んな呪文を駆使してるイメージだ。

「臨りん・兵ぴょう・闘とう・者しゃ・皆かい・陣じん・烈れつ・在ざい・前ぜん……ってやつ」

「あぁーっ！　それ、今まで何回も店長やってましたよね！？　それが九字ってやつだったのか！　てか、映画でも見た事あります！」

「これは実力に合わせて難易度を使い分けられる便利な術だから、けっこうポピュラーなんだよ。陰陽師だけじゃなく密教系のお坊さん達もよく使ってるしね」

　ポピュラーな術とかマイナーな術とかあるのか……。
　俺は自分専用の湯呑を口に運ぶ。
　緑茶がほっこりと気持ちを和ませてくれる。美味しい。

「それって不思議な呪文ですよね。九つの文字で成り立ってるんですか？」

「意味としては『前方に私の味方である神の軍隊の列がある』って感じかな」

　すごい宣言だ。
　俺は映画で観た陰陽師がやってた術を思い出してみる。

「確か、指をこう……人差し指と中指で、縦横に線を引くんですよね？」

「それは『早九字』だね、九字の中では一番簡単だし速攻で術をかけられるから便利だよ」

「難しいバージョンもあるんですか？」

「うん、『切紙九字』って言うのもある。一文字ずつ印を結ぶやり方なんだけど、早九字と切紙九字を続けて使えば、かなり強力だよ。さらに、九字の最後に『破』とか『天』とかもう一字加えて『十字の法』にすることもできるんだ。十字にすることで九字の効果を一点に集中させて、より強力な術として使う事ができる」

　すごいバリエーションだな。

「陰陽道なら、青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳こうちん・帝台ていたい・文王ぶんおう・三台さんたい・玉女ぎょくにょっていう、四神と星人をあてはめたバージョンの九字もかなり強力なんだけど、これを使える人はもうほとんどいないんじゃないかな」

「九字って言っても色んな種類ややり方があるんですね……」

　確かに、それだけバリエーションがあれば実力に合わせて使い分けられるわけだ。

「僕は攻撃対象の強さや状況に合わせて使い分けてるよ」

　いつの間にか俺の湯呑は空っぽになっていた。
　店長が急須からお茶のお代わりを注いでくれる。
　俺は軽く頭を下げ、お茶をすすった。

「…………店長は人に向かって九字を切ったこと、ありますか？」

「あるよ」

　さらっと即答だな。
　この人なら、相手が人間どころか天然記念物や絶滅危惧種でも、必要なら躊躇なくやりそうだ。

「どうしてそんなこと聞くの？」

「橘が、人に向かって九字は切りたくないって言ってたから……」

「へぇ、橘くんがねぇ……」

　店長は口元に手をあて、目を細めてふっと笑みを漏らす。

「新しい橘の当主はずいぶん若いって聞いてたけど、中味までお子ちゃまなんだな……」

　俺は思わずカウンターにバン！　と手をついて立ち上がった。

「店長！　そんな言い方！！」

「あぁ、ごめんごめん」

　俺の剣幕に店長は軽く謝るが、全く悪いなんて思ってなさそうだ。
　睨みつけても店長は涼しい顔で、軽く目を伏せ視線を逸らしてしまう。

「でも、そういう子は向いてない。早死にしちゃうから深入りしない方がいいよ。都築くんて、仲良しの子が死んだりしたらメンタルやられちゃうタイプだと思うし」

　何言ってんだ、この人。
　いや、違う……おじさん陰陽師だって橘の優しさを心配してたじゃないか。
　店長もおじさん陰陽師も、橘の危うさをちゃんと理解してるって意味では同じなんだ。

「死ぬとか、縁起悪いこと言わないで下さい……」

　それだけ言うのがやっとだった。
　俺は奥歯を噛み締め、腰を下ろす。
　湯呑を掴み、残ってたお茶を喉へ流し込んだ。
　しょぼくれてしまった俺に、店長は小さくため息を吐く。

「仕方ないよ、都築くんが二十四時間へばりついて彼の防壁になってあげられるわけじゃないんだから」

「――…っ！！」

　俺は、ハッと顔を上げた。

「そうだ！　俺、大学卒業したら橘家に就職しないかって誘われたんです！　就職すれば、ちょっとでもあいつの防壁になってやれるかも！」

「ええぇ～っ！？」

　珍しい店長の素っ頓狂な声に俺は呆気にとられて目をパチクリさせてしまった。

「ちょ、ちょっと！　都築くん、卒業したらうちの正社員になるんじゃないの？」

「――…は？？？　そんな話、いつしましたっけ？」

「いや、してないけど……てっきりそうなんだと思ってたから。だって都築くん全然就職活動らしいこともしてないし……」

「夏休みが終わったら就職活動始めるつもりにしてたんです！」

「そ、そうなんだ……、……そっか……」

　え？　なんだ？　店長のちょっと傷ついたような表情かお、なんか俺が悪いこと言ったみたいじゃないか……。

「都築くん……」

「はい？」

「うちは福利厚生もちゃんとするし、ボーナスは夏冬の年二回に月給の三ヶ月分出すよ！　社員旅行だって都築くんが行きたいとこに――……」

「大真面目に何言ってんですか……」

　そこで俺はふと橘の言葉を思い出す。『都築さんのように稀有な方なら、この業界からは引く手あまただと思いますが……』　もしかして店長も俺を人材として貴重だと思ってくれてるんだろうか。
　いや、だが待て！　俺の就職希望はソッチ方面じゃない。

「俺、映画好きだから……できれば、制作会社とか配給会社とか映画関連のとこに就職したいって思ってて……」

　言いにくいが、ここははっきりと俺の気持ちを伝えておいた方がいい。
　変に期待させちゃダメだ。

「本気？」

「はい」

　店長はものすごーく微妙な表情かおをした。

「もったいない」

「誰だって得意な事と好きな事が一致するとは限らないでしょう？　俺は好きな事で頑張りたいんです！」

　夏休みが終わったら就職活動に専念する！
　ずっと夢だった映画関連の仕事に就きたい想いと、橘の力になりたい気持ちの狭間で、正直ちょっと複雑ではあるが。
　「ムーンサイド」へ就職という選択肢は、……五番目くらいに入れとくか。