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31 あるギルド職員の記憶_1

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 ここ最近の魔物の活発な活動によって、人々は恐れ戦いている。

 長い間勇者と英雄の庇護下にあった若い冒険者は戦いを知らず、肝心な時に怯えて逃げ隠れる始末。

 頼みの綱の教会すら、先日の温泉で何かあったとかで騎士団のほとんどが粛清されたので、中央都市の防衛すらもままならないらしく、定期通信すらも遅れがちだ。

 勇者は未だ帰還せず、後継など見つかるはずもなく。


「……なんで、こうなったかなぁ」

 未だ痛む古傷を撫でながら、俺は窓の外を見て溜め息を吐いた。

 英雄の活躍によって、危険な魔物は淘汰され、人々は死の恐怖から解放された。
 技術は目ざましい進歩を遂げ、人類は、飢えることもなく、凍えることもない日常を手に入れた。

 今だって煌々と街は照らされ、眠らない酒場に人々は行き交う。
 我々は夜の闇すらも克服した。


「……」

 それなのに、現実はいつも理想からはかけ離れている。


 安全になった街道で発展するはずだった地方の村は、むしろ人材流出により過疎化の一途を辿り、白玉の森の一極集中を引き起こした。

 結果的に生き残ったのは、観光地と研究施設の役割を残した温泉街だけで、農村は都市部で大量生産される食料品を消費するだけの場所となり、やがては死んだ。


「副長! 副長、大変です!!」

 こうして青ざめて飛び込んで来られるのも、見慣れてしまった。できれば、見慣れたくなかったが。

「何ですか? これ以上税を増やされたら、ギルドは立ち行かなくなるんですが」
「ダンジョンが……ダンジョンの魔物が、暴走しています!」

「……落ち着いて下さい」

 俺は剣を持ち、立ち上がりながら言った。

 既に日没だ。夜勤を担ってくれているのはベテラン冒険者だが、少数しかいないので、できることなら人をもっと集めたい。


「教会の騎士団には連絡を?」

「はい、ただいま通信を行っているのですが、その、教会は、今はお忙しいようです」
「……逃げやがったな」

 その危機察知能力だけは褒めてやる、と俺は呟く。

 都合が悪いときに教会と連絡がつかないことには既に慣れているので、今更何とも思わない。


 やはり、あの金髪の似非勇者に言われるがままにギフテッドを軒並み追放したのは、明らかに悪手だった。

 教会は絶対にその非を認めないが。


「……魔物が暴走したことはこれまでもありましたし、最近は教会の助けを借りずに我々だけで対処していました。冒険者を集め、ダンジョンに向かって下さい。何も問題はありません」


 真の危機を知らせない、という方針は俺にも思うところがあるが、実際それを知られてしまうと、パニックを起こした民衆が、何をするのか分からない。

 俺は心から人類に愛想を尽かしているわけではないが、その集団真理の恐ろしさは嫌というほど知っている。


「安心して下さい。そんなに慌てることじゃありませんから」

 俺はすっかり上手くなった作り笑顔で、優しく微笑みかけた。

 実際教会と連絡が取れない以上、何も安心できないのだが、こう言っておかないと、パニックは伝播する。


「わ、分かりました!」

 彼女が出ていったのを確認してから、俺は深々と溜め息を吐く。


 そのときだった。

 窓の外が、一瞬、眩い閃光に包まれる。

「……なんだ?」

 俺は窓を開けて外を見る。


 花火でも爆発させたのだろうか。

 そんな風に思った俺の目の前に現れたのは、真っ白なドラゴンだった。


 巨大なドラゴンが、街の上にいる。

 それは地上の光に照らされて、なんだか幻想的だった。


「グォォオオオ!!」

 夜空を震わせる咆哮が街に響く。
 思わず俺は窓から飛び降りていた。


 獣の雄叫び。これはそう、竜の咆哮。

 全身の毛が逆立つ。
 久しく聞いていなかった、あの竜の声。


 大罪人と弾劾されたかつての英雄の唯一無二の相棒であり、今となってはその一味の最後の生き残り。


 空を見上げた。

 そこには記憶の何倍も大きく感じる純白のウロコを纏う、恐ろしくも美しい白い竜がいた。

 その竜は俺のことなど、まるで気にする風も見せず、いっそ愉し気に夜空を舞っている。


 それはそれは、幻想的な光景だった。

 人工的に照らされた空に羽ばたく白い竜、その背中から、バラバラと何かが落ちて来る。


 それが自分の真横に落ちたとき、俺はその正体を知った。


「ギィッ……ガガッ、ガガガッ」

 ゆっくりと立ち上がったそれは、俺よりも頭二つ分ほど身長が高い。

 長い腕の先は剣のように尖っている。……いや、その腕自体が剣なのだ。


「コボルト……」

 あぁ、民衆が異変に気付き始めている。

 それでもまだパニックは起きていない。しかし、それが時間の問題であることは明らかだった。


 コボルトは首を傾げ、俺を見る。

 俺は知らない鉱石でできた恐ろしい目を見つめ返し、剣を振り、切り捨てた。

「ギィッ、ガガッ」

 コボルトはガランと音を立てて、その場に転がる。

 俺はそれから目を離し、再び空を見上げた。


「……あぁ」

 それは絶望的な光景だった。

 こんな街中の一般市民が、コボルトなんかに対処できるはずもない。

 そのコボルトが、無数に空から降り注いでくる。


「冒険者を集めろ! ギルドを守らせるんだ、こんなこと想定外だぞ!!」

 ギルドの中から怒号に似た声が聞こえた。

 俺は慌てて玄関に回り込み、避難してくる人々と共にギルドの中へと入る。


「ギルド長、お待ち下さい。今、冒険者はダンジョンの鎮圧に向かわせています。コボルトくらいなら、我々職員だけで対処できます、ダンジョンが落ち着いてから……」


 ギルド長は若い男で、彼は老いた父の跡を継いでその座についた。

 よく言えばカリスマ性があり、悪く言えば口の上手い彼のことを、俺はそこそこ尊敬している。


「半端者が! 空に浮いている馬鹿でかい魔物が見えないのか!? ギルド本部が落ちれば、我々は終わりだぞ!!」

「ですが、ダンジョンの魔物は脅威です。ダンジョンを鎮圧できなければ、ギルドを守ることも……」

「黙れ、貴様は副長なんだ! 最終決定権は私にある!!」
「……」


 彼は若いだけだ。ただ、危機に対処したことがないだけ。

 実際、市民の避難所として機能しているこのギルドが魔物に占拠されてしまうことは絶対に避けるべきことなので、それに対して対処するというのは間違っていない。


 しかし、ダンジョンの魔物はコボルトなど比べ物にならないほどに強い。

 普段は出入り口が一つであることを利用し、固定砲台を使って倒しているから犠牲もなく掃討できているだけで、一度街中に出てしまえば、その被害はコボルトを遥かに上回る。


「貴様も待機しろ! いいな、防衛の責任は貴様にあるんだ!」
「……承知しております」

 ここで言い争いをするのは、ただの時間の無駄だ。
 俺は再び自分の執務室に戻り、その窓から外に出た。

「おい、待て!」
「……」


 パニックは広がっている。コボルト達は明らかに団結し、抵抗する術を持たない市民を襲撃していた。

 それは、社会性を持つ彼らの習性として、別に不思議なことではない。


「ギッ」
「……」

 一人のコボルトが、俺を見つけ、振り向く。
 俺は剣を構えたが、別のコボルトが、そのコボルトの肩に手をかけた。

「ギィッ、カカカ」
「……ギッ」


 しかしそれはまるで人間のように、彼らは会話しているように見えた。

 最初に俺に気づいたコボルトは、完全に俺から視線を逸らし、彼を制止した個体と共に、どこかへと向かう。


 恐らく、俺が剣を持っているのを見て、ただの市民ではないことを察したのだろう。
 余計な消耗を出さず、最大の被害を与えようとしているらしい。


「……」

 しかし、今はダンジョンだ。

 コボルトを殲滅してやりたいという気持ちはもちろんあるが、ダンジョンの魔物が街の中へ溢れ出すことは、絶対に避けなければならない。


 悲鳴を上げながら逃げ惑う人々を避けながら、俺はダンジョンへと向かった。
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