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00 エピローグ

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 狭苦しい洞窟に、一人の男が跪いている。
 洞窟の中には、贄の血の臭いが充満し、息苦しいほどだった。

「王よ、顕現せよ。我の目前に、そのお力をお示し下さい」

 男の前の魔法陣は、鈍い光を放った。
 それはその狭い洞窟と異空間を繋げる門となり、その姿を現した。

「……」

 男が顔を上げたとき、彼女は彼を正面から見つめていた。

 贄に捧げた肉を頬張りながら、彼女は首を傾げて男を見る。

「……」
「……」


 それは、明らかに幼い少女、幼女だった。
 柔らかそうな頬、小さな指、柔らかな髪、大きな瞳をしていた。
 誰もが愛さずにいられないほどに、可愛い少女だった。

 しかし、その眼は冷たく、虚ろで、そして悲しげだった。


「……失礼ながら、どうかお聞かせ下さい。あなた様は、私が仕えるべき王たるお方でございますか?」

「……」

 男は既に、二度失敗していた。

 一度目に出来上がったのは、ただ忠実なだけの傀儡であった。
 二度目に出来上がったのは、強力だが不完全な災厄であった。

 だから実際、彼はそれほど期待していたわけではなかった。


 しかし幼女は頷いた。

 その口を開くことはなかったが、彼女は確かに頷いたのだ。


「……あぁ」

 男は静かに嘆息した。
 彼はついにやり遂げたのだ。

「あぁ、ありがとうございます……」
「……」

 男は感動していたが、その幼女は男とは対照的に、まるで感情がないように見えた。
 虚ろな目をした幼女は、少し首を傾げ、男から目を逸らして俯く。


「我が主よ、どうが私の願いを、お聞き入れ下さい」
「……」
「その大いなる力で、私の望みを、叶えて下さいますか?」

「……」

 虚ろな目をした彼女は、再び男の方を見た。
 そして、またゆっくりと、人形のようにぎこちない動作で頷いた。


 男はそんな彼女に一抹の不安を覚えたが、今まさに、んだ王だ。
 今はまだ、得たばかりの肉体に、来たばかりの世界に、不慣れなのだろう。

 男はそう納得し、幼女を注意深く観察した。


「……」

 王は、無表情のまま、男から目を逸らし、洞窟の中を見回し、歩き出した。

 落ちている贄の残骸を、指で拾っては、それを口へと運び、静かに咀嚼して、淡々と飲み込んでいる。


「……」

 粗方の贄を腹に収めた王は、そこで再び、男を見た。

 その姿こそ可愛らしい子供だったが、やはりその瞳は、視線は、普通の子供とはまるで違う。


「……ねがい」

 王は呟いた。

「……」
「……」
「……はい」
「……」

 王は、虚ろな目で男を見つめている。

「……ねがい、ゆえ」

 王は、無表情のまま、男に向かってそう言った。


 微妙に調子が狂う、と思いながら男は答えた。

「……我々は、虐げられています。ずっと長い間、虐げられているのです。王たるあなた様のお力で、どうか我々を守り、平和な世界へとお導き下さい」

「……へいわ?」

 彼女は生返事というか、オウム返しというか、そんな風にして呟いた。

 男はそんな態度に、さらに不安になったが、彼女を信じるしか、方法がなかった。


 王は考えているようだった。
 それは思慮深くも見えたし、ただぼんやりしているだけにも見えた。

 いずれにせよ、彼女はかなり長い間、ずっと黙って、俯いていた。


「……わかった」

 しかし、辛抱強く待った彼に報いたと言うべきか、王は頷いた。
 その表情は、相変わらず、無表情のまま。

「たいか、ほしい」

「対価、ですか? 王よ、私はあなた様のために、肉を用意しました。今しがた、あなた様は食されたではありませんか!」


「……これ、だけ?」

 王は無表情で、無感動で、その眼はあまりに冷たく、男は思わず身震いした。

 彼女は首を傾げて、男に近づいて来る。
 男は思わず、懐に手を入れ、魔銃を取り出した。


「……」

 いや駄目だ、撃つわけにはいかない。
 王たる彼女は、希望なのだ。この世界に残された、たった一つの希望なのだ。

 殺せるかどうかも分からないし、殺せるとしても殺してはならない。


「……」

 男の内心の葛藤など歯牙にもかけず、王は男へと歩み寄って来た。
 王はゆっくり歩きながら、男に向かって手を伸ばす。

 そしてその小さな手で、男が構えた銃の銃口を握った。

「ひ、ぃっ」

 虚を突かれた男は、思わず銃から手を離した。

 王は、男の手からそれを引き抜くようにして奪い取った。


 まさか使うつもりか、と男は一瞬身構えたが、その銃は大きすぎて、幼き王は明らかにそれを持て余す。

 玩具を与えられた子供のように、王はそれをペタペタと触りながら頷いていた。

「うけとった」

 一瞬男はその意味が分からなかったが、王が満足げにその銃を抱き抱えたのを見て、それを『対価』として受け取ったことを理解した。

 確かに予定外のことではあったが、男にとってその銃は使い古した武器の一つに過ぎなかったので、それに王が満足したのは、むしろ僥倖だったとすらいえるかもしれない。


「……ねがい……かなえる……」

 王はぶつぶつと口の中で呟き、また何かを考え込みながら、手にした銃を弄り始めた。

「……」

 男はしばらくその様子を見守っていたが、王はふと、その魔銃の撃鉄を起こした。
 魔銃は魔力が装填されると、自動で撃鉄が起こされ、簡単に発射される。安全装置などついていない。
 
 ガチリ、と重い音に、王は驚いたように、ビクッと体を震わせ、その衝撃で、銃を取り落とした。

「危ない!」

 咄嗟に男は王から銃を遠ざけ、彼女を庇うようにして抱きしめる。

 魔銃は一瞬後にバァンと大きな音を立てて暴発し、破裂した。
 

「……」

 王はキョトンとして、それから男の方を見た。


「たいか……こわれちゃった……」
「……」

 よっぽどショックだったのか、心なしかその目は潤んでいる。

「……」

 王はその残骸に向かって手を伸ばそうとしたが、男は思わずその手を止めた。

「……」
「……その、火傷しますから、触らない方が……いいかと」

「……」


「……よろしければ、まだありますよ。そんなに、落ち込まなくても」

 いたたまれなくなった男は、思わず懐から別の銃を取り出した。

 魔銃は威力が高い代わりに、カートリッジの装填に時間がかかりすぎるため、男は常に大量の銃を持ち歩いていた。
 
 
「……もしよろしければ、他にも差し上げます。そんなに落ち込まないで下さい」

 男は何となくタイミングを失って、王を庇うように抱きしめたまま、取り出した魔銃からカートリッジを取り出し、王に手渡した。
 

「……!」

 王は表情に乏しかったが、ちょっと嬉しそうに何度かこくこくと頷き、こう言った。


「……ねがい、かなえる……どりょくは、する。しかし……ちからがもどらない……もうすこし、かかる」

 王は王らしからぬ純粋無垢な瞳で、男を見つめながら呟いた。



「……それと、ひとつ、おしえてほしい」

 王は、また無垢な瞳で、男を見上げて尋ねた。


 
「まもるべき、『われわれ』とは、だれ?」



 男はこう答えた。

「戦いを望まず、平和を願い、あなた様に従う、全ての弱き者です」



 王はしばらく思案していたが、彼女は力強く頷いた。


「わかった。そのねがい、かならずかなえる」
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