賢者の転生実験

東国不動

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プロローグ

世界中の人間に信仰されているナリア教の法皇がいる、バッカド国の首都オルレアン。
十年ほど前、オルレアン近郊のアングレ村の外れに三人家族が引っ越してきた。
父親と姉弟という家族構成。母親は死んだとも離婚して家を出ていったとも噂されていた。
彼らが引っ越してきたのは、帝国兵三万が一瞬にして消えた謎の事件『裁きの日』の話題がちまたにぎわせていた頃である。
事件の直後に引っ越してきたからといって、この家族が関係していると思う者はいなかった。それに、誰もが三人の特徴の方に気を取られていたのだ。
三人のうち、姉であるルナ・ライオネットは、アングレ村に来た時まだ幼かったが、この十年で誰もが振り返る美人に成長していた。今やその猫のような金色の瞳は村中の男達の憧れである。
性格は明るく優しい。村の誰にも笑顔で元気に挨拶あいさつをする感じの良い少女。
彼女はたまに村人に言った。
「お母さんのように振る舞いたいんです」
男に限らず、村人の誰もが彼女に好感を持っていた。
父親と弟の方はというと、姉とは正反対で一切村人達とも関わらず、徹底的に無関心を貫いた。だから、村人達も次第に彼らに対して興味を失っていった。
郊外に大きな建物を造り研究をするような魔法研究者は大体、人付き合いが悪いものである。そしてこの世界にはそういう種類の人もまれにいるのだ。
もっとも、この二人はその中でも極めて稀有けうな例だったのだが、それを知らない村人からは取り立てて怪しまれることはなく、単に無愛想ぶあいそうな人達とみなされていた。
ライオット家に関する村人の会話は「ルナちゃんは本当に良い子だね」と、ルナをめて終わるのが通例になっていた。

買い物から帰ったルナがまず向かったのは、ライオット邸内の南側にある地下室だった。
この家には北側にも地下室がある。北だろうが南だろうが、どちらも薄暗くジメジメしていることに変わりはない。少なくともルナはそう思っていた。
ホールの南側の床にはわずかな切れ目があり、かかとで二回踏むと床が開く。地下に続く梯子はしご階段を下りていくと、いくつかの地下室や、さらに地下に続く階段があった。
地下に下りたルナは一番手前の扉を開ける。
陽も当たらない地下室ではあるが、そこには簡易ベッドと机があり、寝室のようになっていた。ベッドにはタオルケットにくるまって寝息を立てている人物の姿。
机の上にはアーティファクト作成に使用する素材が散らばり、まだ封の切られていない手紙が無造作むぞうさに置かれていた。
「読めって言ったのに、やっぱりまだ開けてない……」
そう言って、ルナは首にかけていたペンダントを外す。
同時に頭の上に黒い猫耳がしゅっと出てきた。彼女は獣人と呼ばれる種族の娘なのだ。
衣服の中に仕舞しまっている尻尾しっぽを、手を使って出さないといけないのが嫌だなとルナはいつも思う。けれどルナは、少年と会う時は必ずこの姿になった。彼の前で自分を偽りたくなかったのかもしれない。
ルナはいつものように寝ている少年のほおにキスをする。起こす前の儀式だった。
「レオ、起きて、起きてよ」
「さっき寝たばかりだよ」
少年は不機嫌そうに応えた。
「さっき寝たばっかりって、もう朝の十時だよ」
「ならやっぱり寝たばっかりじゃないか。朝の六時まで研究していたんだ」
「朝ごはんも買ってきたんだから!」
ルナに急かされ、少年はノロノロとベッドから身を起こす。
彼の名はレオ・コートネイ。かつては日本の高校生「桐生きりゅうレオ」だったが、大賢者ルドルフの手によってこの世界に転生させられた少年である。今は偽名を使ってレオ・ライオネットと名乗っている。
寝起きで頭がボサボサなのを差し引いても、見た目は美少年と言えた。だが、その目つきは鋭く、どこか冷たかった。人によっては目つきが悪いと言うかもしれない。
子供の頃、レオが成長した姿に見えるアーティファクトを使っていた時はこんな目つきだったかなあ、とルナは首をひねる。
「一階の食堂でご飯を作っているから、お父さんを呼んできてね」
「……お父さんって誰だよ」
「ルドルフさんでしょ!」
「ならそう言ってくれ」
ルドルフ・コートネイはレオのこの世界での父にあたる。
しかし、レオの中からは何年も前にルドルフを父と呼びたい気持ちが消失していた。
ルナはそのことを苦痛に思っていたが、希望もなくはなかった。レオとルドルフは反発し合いながらも一緒には暮らしている。魔法研究者としての協力関係という意味ではあっても、一緒に暮らしているならばきずなは取り戻せるかもしれない。

十年もの間、レオは地下室に篭って魔法研究を続けた。はたからは無意味なことをしていると思われているだろう。だが本人には意味も目的もあることだった。
今の彼が唯一心を開いているルナにも、その目的を話していない。
レオはずっと悔やんでいた。何故あの時、帝国兵になぶり殺しにされるミラを救えなかったのか。どうして彼女の気持ちに応えてやれなかったのかと。
自分の未来を見て怯えていた獣人のミラに、「私のことが好きか」と聞かれて、レオは即答できなかった。そのことが間接的にミラを死に追いやったと思い込んでいたのだ。
それは事実ではないかもしれない。ミラ自身が言ったように〝森の神が決めたこと〟だったかもしれない。つまるところ運命だ。
しかし、レオにとってはそれだけが真実だったのだ。
ミラを殺した帝国の軍隊を全滅させ、準備不足のルドルフに転生魔法を強要し、結果として家族を失った。しくも、ミラの「ひょっとすると、お前には家族と何かを天秤てんびんにかけなければならぬ日がくるやもしれん」という予言は実現されてしまい、予言の〝何か〟とは、ミラその人になってしまった。
レオがあらゆることを犠牲にして目指したのは、どこかに転生したミラとの再会だった。かつてミラだった者と再び会って何をするのか、何を伝えれば良いのか、彼自身にも分からなかったが……とにかくこの十年、レオはその目的にすがって生きていた。
何かに没頭していなければ、彼は自分を保てなかったのである。
最初は悔恨かいこんの念を埋めるために。いつしかそれは妄執もうしゅうへと変わっていった。十年も地下に篭って研究を続けるなど、常軌じょうきを逸している――レオ自身どこかでそれを理解していたかもしれない。だが彼は、ミラを転生させるために幸せに暮らしていた家族まで犠牲にしてしまったのだ。研究を途中で投げ出すことなどできなかった。
転生したミラを探し出すのは、砂浜で一粒の砂を見つけるようなものである。だが、十年の月日はレオにある手応えを与えていた。それは魔法の過去ログ検索。
極端に言えば、魔法とはイメージの具現化である。火の玉を飛ばして攻撃するというイメージがあればファイアボールは完成に至るのだ。概念さえあれば物理現象以外でも実現可能である。
レオはまず、ルドルフが行った転生魔法の検証から始める必要があると考えた。そこでレオが開発した魔法システムが、魔法の過去ログの検索である。
この世界には魔法を使える者は数多く存在するが、ルドルフ〝ほど〟の魔法使いなど、どこにもいない。したがって、星の数ほどある魔法行使の履歴の中からルドルフの使った魔法を特定することも不可能ではなかった。それでも、ルドルフの転生魔法の過去ログを探すのに三年間を要したが。
レオは、転生魔法の映像やデータをルドルフの頭脳から自身の頭脳へと強引に転写した。その過程でルドルフとも随分衝突して、すっかり不仲になってしまったが、ともかく映像やデータだけは自分の頭に転写できたのだ。
しかし、転生の究極魔法はレオにはほとんど理解できなかった。理論を学んでいない、いや理論など意識せずとも、実践で魔法を使えていたレオには、転生魔法の構成要素を読み解く知識がなかったからである。そのため残りの七年間は、この世界の魔法を学問として一から学ばなければならなかったのだ。その結果、レオは魔法理論でもトップクラスの知識と考察力を持つことになった。
そしてついに、ミラがある程度以上の知的生命体の、しかも女性として転生したと思われる形跡を発見したのだ。人か亜人、いずれかだろう。
これは無数の生命が存在する世界においてはほとんど奇跡に近い。
生まれるまでの期間を考えると、ミラは今九歳前後になっている。そして意思疎通ができる可能性が高い。ただ、転生前の記憶を残しているかは微妙なところだった。レオがある程度記憶を保てていたのは、現代知識に強い関心を持っていたルドルフが胎内たいないにいるレオに話しかけ続けて、記憶を維持するように努めてきたことの影響が大きい。
それでも、レオはこの発見に狂喜した。つい一ヶ月ほど前のことである。
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