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彼女の好きなこと
口喧嘩(3)
しおりを挟む「だから自信を持てと言ったのです。確かに貴方は私の隣に立つことを許した人間ですが、今のままでは見劣りします。そんなことは私が許しません」
ディードリヒはわかっている。リリーナがここまで胸を張れるのは、彼女の血反吐を吐くような努力があったからだと。自分はそこに憧れて、どれだけ嫌味な家庭教師に当たっても、どれだけ剣の稽古が苦しくても、どれだけステップが覚えられなくても、彼女を追いかけてここまできた。
それでも、彼女に追いつけるとは思わない。
彼女のように床が削れるほど同じステップを繰り返したわけでも、寝る間も惜しんで学習して、それを微塵たりとも翌日に響かせなかったことも、背筋を正すその練習だけに何年も基礎を忘れないよう復習を欠かさなかったことも。自分はそんなことはしていない、できていない。
彼女には追いつけないのだ。
人は神になれないと言うのなら、彼女はきっと、初めから神だったのだから。
あの手は気高かった。だから憧れた、自分もあんなふうに誰かを助けられる人間になりたくて。
だから追いかけ始めたのに。
彼女の欠片は美しかった。凛とした声、輝かしい瞳、芸術のような髪と肌。完璧なカーテシー、歩調を感じさせない歩み、作られたとは思えない完璧な愛想笑い。
彼女の隣に立てる人間になりたかったはずなのに、そういえば、どこで歪んでしまったんだろう。
あの視線がこちらに向いたら、あの指先が自分に触れたら———あの心が、自分のものになったら。
日に日に思いは募っていく。集まった欠片の虚しさと同じだけ。彼女に許嫁がいると知ってしまったその日から。
「…僕は、君の隣に、立てない」
その言葉の、なんと痛むことだろう。
彼女に届かない、結果が出ただけなのに。
「えぇ、ですから諦めさせたりしません」
「え…?」
「引きずってでも私の隣に立って、見劣りしない殿方になっていただきます」
見限られた、そう心の何かが言っていたのに、どうして彼女は自分を見ているのだろう。ディードリヒは最初にそう考えた。
「今すぐ自信を持てとは言いません。ですが少しずつでも、貴方が誇れる貴方になって欲しいのです」
「そんな、できるかなんて」
「ではこの間の話を引き摺り出しましょう。貴方、まさか有象無象に負ける程度の気持ちで私を愛していると?」
「そんなことない! 僕が一番リリーナを愛してる!」
「ほら、そうやって作るのです」
ディードリヒの強い思いにリリーナは微笑む。
「言ったでしょう、信用や信頼は片方だけでは成り立たないと。私は、貴方のその自信を信用していますのよ」
「リリーナ…」
「同じだけ、とはいかないかもしれませんが…行動で、私は貴方をお慕いしているのだと伝えているつもりですわ」
「うん…嬉しいよ、ありがとう」
そうは言いつつも、ディードリヒの言葉は遠慮がちでやや暗い。
「何か気になることでも?」
「その、僕はリリーナは、リリーナだけは失いたくないから、不安になりやすくて…ごめん」
「そうですわね、困っていますわ」
「うぅ…」
「ですからこうして何度でも言葉を交わすのです。私としてはあまり同じ話をしたい方ではありませんが、貴方が頑固なものですから」
「頑固って言ったらリリーナだと思うけど…」
「そのようなことはありません。私だって息抜きはしていますわ」
「それは嘘。リリーナ、プラベートでも背筋正しっぱなしじゃないか」
「そ、そのようなことは…」
リリーナは気まずそうに視線を逸らす。
「僕だって言わせてもらうけどさ、リリーナは我慢しずぎなんだよ。なんでも抱え込んで解決しようとしてさ」
「淑女として日々粛々と生きるのは当たり前ですわ」
「そんなの立場に踊らされてるだけだろ!」
「な…そういう貴方は気を抜きすぎなのです!」
「息苦しいリリーナが少しでも息抜きできるようにって思ってるんじゃないか! 何かしたこととかないの!?」
「な…っ」
そこでリリーナは一瞬言葉を失って、何かを思い出したようにはっとした次の瞬間には段々と顔が赤くなっていく。
「リリーナ?」
口をはくはくとさせて、何か言いたげな彼女にディードリヒは小首を傾げた。
「大丈夫?」
「…っその、ないでもない、といいますか」
「いいよ、なんでも言ってよ」
「…っ」
誰かに何かをねだる、というのはどこまで行っても苦手である。そんなことをそもそも言っていいと思えない上、なにか、ディードリヒになると気恥ずかしい。
それでも散々説教をした以上、勇気を出して示しをつけなければ。その一心が、震える唇を動かした。
「その…最近」
「?」
「寝るのが…少し、ほんの少しなんですのよ!」
「少し?」
「…さ、寂しくて」
リリーナの言葉に、ディードリヒは一瞬ぽかん、と呆気に取られリアクションを忘れる。しかしそこから一気に表情を輝かせた。
「それは…一緒に寝ていいってこと!?」
「ぅ…はい…」
「やった…! いつがいい? 今日? 今日だよね!?」
「今日!? ぁ、いや…考えておきますわ」
ディードリヒは祈るように指の組まれたリリーナの両手を掴んで喜んでいる。少年のような笑顔にまた胸を鳴らすリリーナだが、ディードリヒから「そうだ」と言葉が飛んできた時、嫌な予感がした。
「でも写真撮るのと声の録音と行動記録聞いて日記にするのは続けていい? あ、あとできれば櫛についた髪ももらえたら…」
「…」
「やっぱり自信とそこは別っていうか、どうしても僕の知らない君は知りたくて…あ、でも今回の店の件はなるべく口出さないようにするからっ」
まるで、いや懇願している。文字通り。
月末で金のない人間が他人に金を借りようとしている感覚でとんでもないことを懇願されている。
リリーナは大きく息を吸って、それから溜め込んだ空気を大きなため息に変換した。
「それはもう好きにしてくださいませ…」
これでは話が解決したのかしてないのか。
そもそもストーキングが終わるとは、確かに思っていなかった、が。改めて言葉にされるとげんなりする。ディードリヒの趣味を否定しないと言ったし、その気持ちは本当だが、未だこれが正常だとは思えないし気持ち悪いという感情が抜けたわけでもない。
しかしこればかりはどうしようもないのだろう。
もうそろそろ諦めどきかもしれないと、リリーナは肩を落とした。
「本当は切った髪を瓶に詰めてラベリングしたりとか、爪も同じようにしたいし、実はたまに採血できると最高なんだけど、あぁでも大丈夫、肌に塗るって記事見たことあるけど僕はしないよ! ちゃんと保管するから…」
とりあえず怖気だつ話が終わらない。
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