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王太子と辺境伯
ラインハート・グレンツェ
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グレンツェ領、グレンツェ辺境伯邸。
「坊っちゃま、いけません! 急にこのような無礼をなさるとは…!」
邸宅にて届いた手紙を確認していた執事が、執務をこなすラインハートの元に飛び込んできた。ラインハートはそれを待っていたと言わんばかりに不敵に微笑む。
「来たか、見せてくれ」
執事は一応言われるままに手紙を渡す。ペーパーナイフで丁寧に封を切られた手紙は最上級の紙で作られた封筒と、それを閉じる蝋印には紛うことなくフレーメン王国の王家の紋章が付けられ、中に入った便箋もまた、封筒と同じ質の紙で作られている。
紙…木材から作られるこの希少な高級品を惜しげもなく使うあたり、フレーメン王国は豊かなのだと表すようなものだ。
便箋にはディードリヒからの手紙が入っている。おそらくだがリリーナが書こうとしたのをディードリヒが阻止したものだろう。
内容としては試合の日付が一ヶ月後であり、開催場所は王城敷地内の騎士団訓練場にて行うこと、それから開始時間が書かれていた。それ以外に内容はなく、進んで書くような内容でなかったことが伝わってくる。
「手紙の方が余程感情的だな」
そう言ってラインハートは軽く笑った。
ラインハートは手紙が送られてきたことに喜びが隠せないように見える。いや実際喜ばしいのだろう、所詮辺境伯の言う戯言など無視されてもおかしくないというのに、誰が言ったかこうして正式な手紙が届いているのだから。
「これを送ろうとしたのはあのお嬢さんだろうな。全く真面目なことだ」
くつくつとラインハートは笑う。
しかしそれを見ていた執事は未だ慌てふためいた様子だ。
「坊っちゃま…! 今からでも謝罪するべきです! 何かあればお家取り潰しなどということも有り得るのですぞ!」
「そんなことならもうとっくになっている。そうでないということは、俺が勝てばいいということだ」
「坊っちゃま!」
怒りを露わにする執事をラインハートは気にも留めていないようである。
自信に満ちたその瞳は届いた手紙を眺め不敵に微笑むのみだ。
しかしそれも納得できることと言えるだろう。
グレンツェ領はフレーメンとパンドラの国境に位置する領地だ。国境線には領地を、いやフレーメンを守ための関所が存在するが、その建物はもはや砦と言っていいほど巨大で強化されており、実際運用も関所というより砦のそれである。
配備されている騎士も実戦経験のある屈強な騎士たちだ。不法入国を始めとした国境線での事件や小競り合いは後を絶たず、結果的に実力のある者が求められる。
ラインハートはそんな砦に子供の頃から通っていた。むしろそれが彼にとって当たり前の生活である。
屈強で気前のいい騎士たちに育てられた彼の剣技は確かなもので、幼い頃から参加している剣術大会では初参加で優勝したほどには。
しかし途中からそれは叶わなくなる。
ディードリヒに負けるのだ。何度戦っても、何度戦っても、トーナメントでディードリヒはいつも優勝を攫っていく。
何度も考えた、何が違うのだと。
実地で育てられた自分と、王城でぬくぬく生きてるような相手の、何か違うのか。何に自分が負けているのかを。
悩みながらも研鑽を重ね、参加できる最年長の歳の大会でのこと。
ラインハートは気づいてしまった。ディードリヒの真相の一つに。
ディードリヒはいつだって空っぽだったのだ。優勝はおろか、そもそも誰と戦ったところで感慨も、興奮も、驕りすらない。ただ伽藍堂に、目の前のことを“処理”している。
しかしその顔で、笑っていた。
貼り付けた仮面のように、あからさまにわかるほどに彼はわざと笑っていたのである。まるで大人に“これでいいんだろ”と叩きつけるように。
今思い返しても、あんなやつに負けたのかと思うと子供の自分が許せないと怒り暴れる。それだけラインハートには自信があった。地元の騎士や両親からの期待も。それなのに奴には勝てない。
年齢の問題で剣術大会に出ることができなくなって、しばらくして彼は領地を継いだ。グレンツェ領では若い領主が多い。戦になった時に先陣を切るためだ。
そうなれば自然と国の催しに出ることもある。そしてそこでディードリヒを見れば、またあの仮面を被って伽藍堂に笑っているのだ。
「ディードリヒ・シュタイト・フレーメン…」
持っていた空のグラスを叩きつけたくなるほどには、奴を見るたびに悔しさが蘇る。
しかし今は負けたことが悔しいのではない。
奴の感情を引き出すほどの“何か”が自分になかったことが悔しいのだ。
真剣勝負であるならば、少なからず感情は昂るもの。しかしどうだ、奴と戦って感情が出てきたことなどあったか?
手加減されていたとは思わない。それなのにそこに感情がないなどと、悔しいに決まっている。
それは、自分が自分として認識されていないということなのだから。
「坊っちゃま…!」
「うるさい、今は一人にしてくれ」
震えながら声をかけてきた執事を厄介払いのように部屋から追い出す。すると執事は大人しく帰る素振りを見せて、
「このことは旦那様と奥様にお知らせいたしますよ…!」
そう残して部屋を出た。
ラインハートは「どうとでもしろ」とだけ返す。どうせ今から手紙を送ったところで、こんな辺境に機関車の通ってるわけでもない。馬車では何日かかるかわからず行き違いになるのは目に見えているのだから、今更だと言っていい。
そんなことはどうでもいいのだ。
「リリーナ、と言ったよな」
そう、リリーナ、リリーナ・ルーベンシュタイン。
彼女こそ奴の弱点だ。
ディードリヒが来たあの狩猟会の一片で、ラインハートは見たのである。
ディードリヒが心から笑っている姿を。
あれは誰がどう見たって“仮面の笑顔”などではない。リリーナの前では感情が動いて、弾んですらいる。
何が目的で婚約者を連れてきたのかは知らないが、あれではあからさまに弱点を晒しているようなものだ。まるで警戒心がない。
それに気づいた瞬間、眠っていたものが目を覚ますのを感じた。口角が上がるのを抑えきれず、誰が見てるともわからないのにニヤリと笑ってしまったのを今でも覚えている。
これを利用しない手はない、そう考えた時にはもう体が動いていた。運よくキジを仕留めていたのが役に立つとは思わなかったが、それでも運がいい。
あの時と、その翌日のディードリヒの感情の揺れ方と言ったら…それだけで彼女にアプローチをかけた甲斐がある。彼女は存在からしてあまりにも好都合だった。
ラインハート本人としてはリリーナにあまり興味はない。美麗な女だとは思うし、「勝負を預かる」と宣言までしてきたのは興味深かったが、かといってディードリヒがあそこまでこだわる理由と同じものが自分の中にはないと言える。思い出そうとした名前が最初うろ覚えだったくらいには。
人間性としてあぁいう気骨のある女は好きだが。
「次こそお前の仮面を引き剥がしてやる…」
ラインハートは一人呟く。
確かに今、子供の頃の悔しさが残っていないかと言われれば、きっと違うのだろう。
しかし今この試合を前にして自分の中にあるのは、あの仮面の向こうにいる男はどんな闘いを見せてくれるのかという興味だ。あの伽藍堂な仮面を剥いだらどれだけ愉しい戦いが待っているのか、それがただひたすらに知りたい。
たとえそれで、自分の首が飛んだとしても。
グレンツェ領からの移動を考えると、そろそろ旅支度をしなければ試合に間に合わない。どうせ大して必要なものもないのだから手早く済ませてしまわなくては。
「楽しみだなぁ…ディードリヒ“殿下”」
そう言って、男はまた不敵に笑った。
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