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第四章 再会からの逃亡、そして捕まる
20話
しおりを挟む案の定、アランは怒っていた。
アランを離したくないと我儘を言った癖に、すべてを捨ててまで一緒にはいたくないと。そう意思表示した自分を軽蔑しているのだろう。
しかも、その数年後。思いも寄らない場所で食い逃げ未遂を働いた女がかつて仕えていた家の娘だった。こんな偶然という名の不運が巡り合わせてくるなんて。
おそらくアランは嫌悪の情しか抱かなかっただろうが、シエナ自身は──
「いい加減起きてくれませんか」
右頬が温もりに覆われ、シエナは幼い記憶から目を覚ます。視線のすぐ先にあるのは、殺風景な顔のアランだ。護衛騎士として側にいた頃と、何一つ変わらない仏頂面。
シエナは瞬きをし、アランを見つめたまま自らの唇に触れる。無意識に開いていたのか、唾液で口の周りが濡れていた。
「あっ、ごめんなさ、涎が……」
「早く拭いて」
「ん、んむっ」
自分から命じたにもかかわらず、シエナよりも先にアランが自らの服裾で彼女の潤った唇を擦る。汚いからとシエナは異を唱えようとしたが、唇を塞がれた状態でまともに話せるわけもない。
シエナは妙な声で唸りながら、さりげなく周囲を見渡す。
木製の素朴な作業机と椅子。古びた本が並べられた本棚に、一人分の貴重品さえ満足に収納できなさそうな飾り棚。シエナを横抱きにしたアランの目の前に置かれた寝台も含め、簡易的な家具しかない小さな部屋だ。
アランが外から建物の中まで連れてきてくれたのだろうか。
「アラン。ここは……?」
「私の部屋です。場所の詳細は後で話しますから、今日はここで休んでください」
「あっ」
有無を言わさず、シエナは眼前の寝台に転がすように落とされる。護衛だった昔と比べて、何という乱雑な扱い。しかし、今のシエナは文句を言える立場にはない。
「あ、アランの寝る場所は?」
「ここは私の部屋と言ったでしょう。もっと端に寄って」
「え? えっ、あっ」
しっしっと除け者を払うように手を振られ、シエナは状況を理解できないまま寝台の脇へ避ける。そのまま当たり前のようにアランが隣へ横になったので、シエナは思わず短い悲鳴を上げた。
「まっ、待って! 一緒の寝台で寝るの!?」
「それは、私は硬い床で寝ていろという意味ですか」
「ち、ちっ、ちが……」
シエナは頬を果実のように真っ赤にして、ふるふると首を横に振る。
子供だった昔の頃ですら、一緒の空間で寝たこともないのに。さすがに大人になりつつある男女二人が同衾してしまうのは、淑女として問題しか生じ得ないだろう。
あらぬ想像をしてしまいそうになったシエナは、長い髪で顔を隠し、逃げるように寝台の下へと降りた。
「わ、私が床で寝ます……」
シエナはなぜか敬語で言葉を返し、捨てられた小動物のように冷たい床で蹲る。
大丈夫。昨夜なんてどこぞとも分からない場所で人生初めての野宿をしたのだ。雨風を凌げるだけでもまだ救われるではないか。
必死に自分に言い聞かせつつ眠りに就こうとしたが、シエナはふと父のことを思い出してしまった。
こうして考える時間ができてしまうと、昨夜のことが走馬灯のように甦ってしまう。
なぜ屋敷に帝国の人間が訪ねてきたのか。
どうして父が血を流して倒れていたのか。
義母はあの状況でなぜ、シエナに屋敷を出るように命じたのか。
あの迫る黒い影は何だったのか。
(お父様が死んだらどうしよう……)
今になって再び涙が出そうになり、シエナは必死に声を押し殺す。心痛から逃れようとしても、涙だけではなく鼻水までだらだらと溢れ出してきた。
収集がつかない感情に、シエナが小刻みに震えながら蟇のような嗚咽を漏らしていると、上方から伸びた何かが彼女の腕を掴んだ。
「……風邪、ひくから」
「んあっ」
低く抑揚のない声でアランに名前を呼ばれ、シエナは釣り上げられた魚のように寝台へ引き摺り込まれる。
突然の行為にシエナは顔を上げそうになったが、自分の顔面が涙と顔でぐちゃぐちゃであることを思い出し、引き寄せられるままアランの胸板に顔を埋めた。
「えっ、ひぇ、んぐっ」
「……服が濡れる」
「ごめ、ごめんなさ」
「別に気にしなくていい」
ぽんっ、と背中を優しく叩かれる。
涙腺が完全に切れてしまったシエナは、赤ん坊のように泣きじゃくり、声が枯れて泣き疲れて、夢の世界に堕ちるまで。アランの温もりにずっと包まれていた。
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