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第四章 再会からの逃亡、そして捕まる
21話
しおりを挟む『──シエナ。どうしたの?』
暗闇に閉じ込められたように真っ暗な世界。突如として聞こえた音色の優しい声に、シエナはゆっくりと顔を上げる。
すると、朝陽に照らされるように視界が明るくなり、焼き立てのライ麦パンに、農園採れたての果実、湯立った豆たっぷりのシチューが並べられた食卓がシエナの円らな瞳に映った。食欲をそそる匂いが充満した湯気の向こう側には、夫婦揃って穏やかに微笑む父と亡き母の姿がある。
『おはよう。シエナ』
『はは。まだ顔が眠たそうだな。朝食が冷めてしまうよ、早く食べなさい』
まるで、何事もなかったかのように二人は幸せそうに笑っている。
(お母様、生きていたのね。お父様、無事だったのね)
何の変哲もないように見える異様な状況をシエナはすんなりと受け入れ、安堵と幸せな一時に浸かった。安心したせいか、空腹が身に沁みる。シエナは満面の笑みを浮かべ、食欲に促されるまま一段と大きなパンを手に取った。
『いただきま──』
「おい、勝手に食うな」
香ばしい匂いを漂わすパンを咥えた瞬間、ゾッとするほど低い声がシエナの耳に流れ込んだ。それでも空腹に耐え兼ねているシエナは焼き立てのパンを離さなかったが──何だか、変に弾力があって噛み切れない。味も塩気があって美味しくない。
シエナが声に抗ってパンをむにむにと噛み続けていると、額に小さな衝撃が駆け抜けた。
「いたっ」
シエナは勢いのまま唇を離し、我に返る。
目の前にいるのは、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべたアラン。食卓を囲っていた父と母の姿はない。
ついでにシエナが口にしていたはずのパンもどこにもなく、歯型の跡がくっきりとついたアランの腕があった。
「あれ?」
「人の腕を食いやがって……どれだけ食い意地張っているんですか。貴女は」
「いたっ!」
額を指で弾かれ、シエナは勢い余って寝台から転がり落ちた。近年稀に見る酷い扱い方。昔の義母の指導を彷彿とさせる。
昨夜、ずっと自分を抱き締めてくれていた優しい護衛の姿はどこにもいないらしい。寝台から床に倒れた自分を見るアランの目つきは、奴隷を見るように冷たかった。
今になって、昨夜のアランから滲み出ていた殺気を思い出してしまう。
「あっ、わ、わたし、お父様のところに行かなくては……! アラン、昨日はありがとう! 私、貴方のことは一生忘れないわ!」
ちゃっかりその場から逃げようとしたシエナだったが、そう物事が順調に進むわけもない。シエナが扉の取手に触れようとした瞬間──
ドンッッッ!!!
と、背後から二つの大きな手が扉に宛てがわれ、昨夜の壁大破事件を想起させるように外枠から亀裂が生じた。長い両腕に挟まれたシエナは戦慄し、微動だにできなくなる。
無論、両腕の主の顔を見るなんてできるはずもない。
「……シエナ嬢。私が昨日言ったことをもう忘れてしまったのですか?」
「ひっ」
耳朶に淡い吐息と掠れた声が触れる。
石像のように固まったシエナだったが、アランはいとも簡単に彼女の身体をひっくり返す。両腕に閉じ込められたシエナはまるで、魔獣に捕らえられた子兎のようだった。
「貴女に逃げ場所はないと。そう言ったはずですが」
顎を指先で持ち上げられ、鋭い眼差しに捉えられる。
もしかして。いや、やはり。
アランは怒っている。
数年前のことも含め、昨夜食い逃げしたことを根に持っているのだ。
「あ、あとで代わりに美味しい料理をご馳走するから許して……」
「は?」
アランは怪訝な表情を浮かべ、じっとシエナを凝視する。どうやら見当違いだったらしい。
食い入るように睨まれ、シエナの蚤の心臓は限界を迎えそうだったが、アランが深過ぎる溜め息を付いたところで解放された。
「何を勘違いしているか知りませんが、これに目を通してみたらどうですか」
「え?」
アランはすぐ側の机の天板を引き出し、蓋を開いて一枚の紙を取り出す。
そのまま突き付けるように掲げられた新聞の切れ端のような紙を、シエナはまじまじと見つめ──気の抜けた声を漏らした。
「え……え? え?」
シエナは見出しの文を何度も読み返したが、理解が何一つできない。しまいにはアランから切れ端を奪い取り、顔がくっつくほどの近さで文字を読み上げたが、書いている内容は変わらない。変わるはずがない。
疑いたくなるような、嘘だと言いたくなるようなその記事を、シエナは震える声でゆっくりと読み上げた。
「ウィアックス伯爵家……領地経営に失敗し没落。帝国は逃亡を図ったシエナ・ルロワを借金の担保として捕らえ……ることをラストナス国内全土に……公表?」
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