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第19話 恐怖
しおりを挟む──何故、団長がここにいるの。
平然と笑顔で佇む団長を前に、心臓が大きな音を立てて波打つ。頭の中は思考回路が乱れて混乱状態に陥っていた。
「だ、んちょう……どうして……」
震える声で問い掛けても、団長は何も答えない。太陽の光に反射する黄金の瞳を細めて、私を見つめるだけ。浅くなる呼吸が全身の血を淀ませ、視界を歪ませていく。強張った喉から団長の名を呼ぼうとしたその時、強い力で腕を引き寄せられた。
「っ!」
マントで覆い込むように、抱き締められる身体。想像以上に強過ぎる力に、身動き一つ取れない。
「や、やめ……っ……」
「リズト、無事で良かった。探したんだよ、探したんだ」
耳元に流れる僅かに震えた団長の声に、捩らせていた身がピタリと止まる。唾を呑み込み、顔を上げると──笑顔が消え去った団長の顔が直ぐ目の前にあった。
「だん……」
既に近い距離にあった顔が更に近付き、互いの吐息が掛かる。団長の刺さるような眼睛に瞳を捉えられ、顔を逸らしたいのに逸らすことが出来ない。団長は手を私の後頭部に添えると、殺風景だった表情に再び笑みを携えた。
「時間が無い。帰ろうか、リズト」
「えっ」
団長の手が頭から背中へと滑り、身体を固定するように服を掴まれ──次の瞬間、腹部に鈍い痛みが走った。
「うっ……!?」
突然の衝撃に視界が霞み、徐々に傾いていく。冷たい視線で此方を見下ろす団長の顔を最後に、瞼は完全に閉じられた。
──早く馬に乗せろ。行きとは異なるルートでこの街から脱け出す。
──あれの存在は確かめなくて良いのですか?
──リスクを伴う必要は無い。十分に餌は撒けただろう。
暗闇と化した視界の中、聞こえてくる団長達の会話。アーレンに会いたい。助けて──心の中で叫んだ願いも虚しく、意識は闇の中に堕ちていった。
私が騎士団に入ったのは、忘れもしない二年前のあの日。尊敬の念を抱いていた団長に、どこか恐ろしさを覚えた日でもあった。
『……ふぅ』
騎士団長の執務部屋の前に立ち、深呼吸をして身体を落ち着かせる。
態と無造作に乱した茶髪に、汗の匂いが染み渡った兵服、そして姿見に映る自分の姿。昨日までの自分からは考えられない格好だ。
しかし、騎士団の下で男として働くことを考えれば仕方の無いことだ。全ては命の恩人である団長の為に。
意を決したように拳を握り締め、部屋の扉をノックする。奥から聞こえたのは団長が返事をする声──緊張を解すように唾を呑み込んだ後、ゆっくりと扉を開いた。
『ルネイド団長、失礼します』
視界に映し出されたのは、手持ちにある書類を睨みながら筆を持つ団長の姿。団長は視線を持ち上げると、険しかった表情に笑みを綻ばした。
『おっ、リズ。着替えたんだね。似合ってるよ、その格好』
『ほ、本当ですか』
緊張からか裏返ってしまう声。誤魔化すようにへこへこと笑っていると、団長は席から立ち上がり、私の前に歩み寄った。
『……うん、似合っている。とても』
団長は瞳を細め、私の髪に撫でるように触れる。暫くされるがままにその場に立ち尽くしていたが、顔の距離がじわりと狭まってきていることに気が付いた。
『えっ、あっ……』
思わず後退りしそうになったが、腰に手を添えられ、阻まれる。顔を上げれば、更に近い距離に団長の顔が──
『だ、だん……』
声を途切れさせるように互いの鼻先が触れ合い、僅かに開いた団長の唇が自分の唇に掠った。その感触に小さな声が溢れたのも束の間、形を合わせるように唇が重なり合う。
『っ……』
突然の団長の行動に、思考回路は完全に停止。時計の針が進む音だけが部屋に鳴り響く中、唇を密着させられる。何故、私は団長とこんな事をしているのか──自問自答を心の中で繰り返しながら、押し付けられた唇を拒むことなく……否、拒むことも出来ずにただ呆然と立ち尽くした。
『……んっ』
暫くして唇が離され、永遠と長く感じられた口付けが終わりを告げる。何と反応を返せば良いかも分からず瞬きを繰り返していると、団長は私の肩に手を優しく置いた。
『それじゃあリズト。頑張ってね』
『あ、はい……ん? リ、リズト……?』
『リズだと名前が男っぽくないからね。騎士団にいる間はそう名乗るといいよ』
何事も無かったかのように微笑む団長に内心動揺しつつも、渇いた笑いを溢してそれとなく頷く。団長はそのまま机の側に戻ろうとしたが、ふと足を止めて此方を振り返った。
『……しっかり頑張ってね。妹の為に』
普段より低い声で、呟くように言葉を口にする団長。瞳から放たれたその視線が、酷く恐ろしく感じられた。
ルネイド団長は私と妹を助けてくれた命の恩人。感謝だってしているし、騎士団長として国の為に尽くす彼を尊敬もしている。しかし、時折彼が恐ろしく感じてしまうことがあった。それは、まるで──
「リズ」
突然吐息と共に耳に落とされた声に、身体が大きく痙攣する。見覚えのある従者用の仕事着に、二つ結びにした黒い髪──瞼を開くなり視界に飛び込んできたのは、偵察の前に別れを告げて以来会っていなかったマシェリだった。
思わず彼女の名を大きな声で呼びそうになったが、咄嗟に片手で口元を覆われた。
「怪しまれるから大きな声を出さないで」
普段の彼女からは考えられない程の険しい表情に、音を立てて唾を呑み込む。周囲を見渡すと、私が寝かされていた鉄の台以外には何も無い無機質な部屋の景色が広がっていた。
アーレンの家の前で団長に出会してからの記憶が曖昧になっている。私は王都から此の場所に連れてこられたということ……?
胸に手を当てて不安げに周囲を見渡す傍ら、マシェリは黒いエプロンのポケットから錆びた鍵のような物を取り出し、私の目の前に翳した。
「……リズ。久し振りに会っておいて突然申し訳無いけれど、貴女に一刻も早く会わせたい人がいるの。一緒についてきてくれる?」
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