【R18】黒豹と花嫁

みちょこ

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2話

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 目の前にあるのは必死に飯を食らう子狼の姿。

 相当腹を減らしていたのか、食べカス一つ残さないようにと皿を舐め回している。皿の中央から端っこ、そして側面まで。食べることに夢中になり過ぎたのか、途中何度か足を滑らせて皿ごとひっくり返っていた。
 その度に深い溜め息を漏らし、子狼の身体を元に戻す。どうして俺はこんな小汚い子供を連れ帰ってきたんだ。いや、分かっている。外が急な雷雨に見舞われて、捨て置くには些か非道だと判断したからだ。

 明日になったら捨てる。
 絶対に捨てる。何がなんでも捨てる。

「きゃうっ」

 ようやく舐め尽くすことに満足したのか、子狼は尻尾を振り回しながら俺の膝の上に飛び乗ってきた。泥だらけの足は容赦なく俺の服を穢し、獣混じりの異臭を擦り付ける。

 混血種とはいえ、人間よりも遥かに優れている俺の嗅覚。慣れない匂いに軽く吐き気がする。

「……お前、ちょっとその臭さどうにかしろ」

「くぅん?」

 小首を傾げる子犬の背中を掴み、シャワー室へと足を運ぶ。これから何をされるのか理解していないのか、尻尾を振ったままの子狼を床のタイルに押し付け、勢いよく噴き出したシャワーの水を浴びせた。

「きゃうっ、きゃうううううっ!」

「暴れんな、くそ犬!」

 子狼はこれでもかと言うほど四肢を振り回し、死ぬ気で抵抗する。他の獣人ほどじゃねぇが、俺も身体を洗うのはそこまで好きじゃない。自分の匂いが消えるような石鹸とやらで身体を磨けば、それこそ数日は落ち着かなくなる。

 だが、それにしてもだ。
 この子狼の嫌がり方は尋常じゃない。

 まさか、今まで風呂にも入ったことがないのか?

「くぅん、くぅぅん」

 瞳からぼろぼろと涙を流しながら、子狼は小刻みに震えている。
 仕方ない。どうせまた捨てたら汚れるんだ。最低限の汚れだけ流して、あとは適当に布切れで拭いておこう。

「面倒くせえな。拭くものは……」

 肘で後方の扉を押し、洗濯したばかりのタオルを放り込んでいたと記憶していた木箱を漁る。一瞬、目を離している間に子狼を抱えている腕が重量感に見舞われたような気がしたが、そのまま放置した。

「なんか汚れてんな……まぁ、これでいいか」

 糸のほつれたタオルを引き抜き、流れるように子狼の身体を拭こうとした。が、その手は止まった。

「くしゅっ」

 膝の上に座っていたのはくしゃみをする子狼、じゃない。黒く艷やかな髪で胸を隠し、でっけえ瞳で俺を見つめる少女。狼の姿の時には見えなかったが、右耳だけが黄金の毛に覆われている。

 そして、言わずもがなシャワーを浴びていたから裸だ。

「すざく」

 ハイエナから聞いた名を覚えていたのか、少女は拙い口調で俺の名を呼ぶ。狼の証である濡れた髪から覗かせた三角耳はかすかに震え、尻尾はゆったりと左右に揺れている。

 女の裸は見慣れていないわけではないが、さすがに小動物だと思っていた生き物が前触れもなく少女に化けたら驚く。

「……風邪、ひくぞ」

 なるべく肌を目に映さないようと顔を逸し、少女の身体にタオルを巻きつける。
 挙動不審な動きをしていたかもしれないが、気にする余裕なんてあるはずもない。子狼を浴室に残したまま無言で脱衣所を後にした。

「なにか……着る物……」

 少女が着れそうな服を箪笥たんすから漁る中、ふと蘇ってしまったあの少女の姿形。

 ただの狼ではなかった。
 ヒトの姿に変われる、ということは恐らく獣人なのだろう。それも限りなく人間に近かった。もしかしたら俺と同じ半獣か。

 いや、あの子狼が何者だったとしても俺には関係ない。雨が止んだら追い出すだけだ。

「はぁ……」

 唇の隙間から漏れた溜め息は、窓を打ち付ける雨の音にかき消されていく。
 稀に見る天気の荒れ具合だ。暗闇に覆われた空から雷鳴が轟き、地上へと堕ちていく稲光。雷雨が止まなければ、この状況から解放されることも叶わない。

 適当に見繕った小さめの服を引っ張り出し、少女の元へ戻ろうと脱衣所の扉を開いた。

「……あ?」

 浴室前にいたはずの少女の姿がない。
 扉が開いた気配は感じられなかった。この部屋のどこかにいるはず──と浴室をぐるりと見回した瞬間、くぅんと情けない声が壁の片隅から聞こえた。

 まさかと洗いたてのタオルが入った木箱の中を覗いてみる。

「くぅん」

 いた。なぜか子狼の姿に戻った少女は、身体を隠すようにしてタオルの中で蹲っていた。どうしてそんなところに隠れているのかと尋ねようとするも、地を真っ二つに裂くような雷の轟きに遮られる。
 家が揺さぶられるほどの振動に驚いたのか、子狼は宙を飛ぶ勢いで跳ね上がった。狂ったかのように脱衣所を走り回ったかと思えば、助けを求めてか俺の足に何度も飛びつこうとする。

「きゃんきゃうん!」

「もう勘弁してくれ……」

 金を盗られたことと言い、昨日からろくに飯を喰えてないことと言い、体力も頭も限界だ。犬の世話なんてする気力があるはずもない。

 俺は何度目か分からない嘆息をこぼし、子狼の首根っこを掴んだ。

「いいからもうそこで黙って寝てろ」

 半ば乱暴に子狼を皮が擦り切れたソファに投げ捨て、毛布を適当に被せる。
 子狼が手足を振り回して毛布の中で動いているのを背に、俺は寝台に横になった。もう相手をする余裕はない。少しだけ休んで起きたら子狼を捨てに行く。

「……くぅん」

 雨音に紛れて子狼の鳴き声が聞こえた。
 嫌な予感がする。

「くぅんくぅん」

 声が近付いてくる。
 ぺたぺたと水音を含んだ足音が迫る。

 目を合わせたら駄目だ。相手にしなければ、その内諦めて寝るはずだ。

「くぅん」

 無視を決め込んでいたものの、か細い声は止む気配がない。背後から聞こえる鳴き声が段々と呪いの一種のように思えてきた。

「きゃうっ」

 それまで声しか聞こえなかったが、今度は背中がもぞもぞと擽られるような感覚に襲われた。堪らず後ろを振り返ると、そこには子狼──ではなく、先ほど一度だけ目にした少女の姿があった。

「おま……っ」

「ハル。すざく」

 一体、何がおかしいのか。少女は目元をふにゃりと崩して笑う。その後も絶え間なく外は落雷に見舞われていたものの、ハルと名乗った少女は安堵したのか俺に抱きついたままスヤスヤと眠り始めた。

「く、そ、はなれ、ろ……!」

 すっかり夢の世界に堕ちたハルを引き剥がし、逃げるようにソファーへと転がる。
 安寧の時間が得られたのも束の間、数分保たずに寝惚けた少女がソファーへと襲来。再び抱きつかれてまた引き剥がし、寝台に戻る。そして少女がまた側へとやって来る。



 無駄な徒労を繰り返しているうちに、削られていくなけなしの体力。先に力尽きた俺は少女に抱き締められたまま深い眠りへと堕ちていった。



 

 
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