【R18】黒豹と花嫁

みちょこ

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7話

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 結局、他の医者のところへは行かなかった。
 ローベルトを追い掛けるべきだったのかもしれないが、体調の優れないハルを連れて行くわけにはいかない。
 代わりに、ローベルトが口にしていた『つがい』に関する記録が載った資料をなけなしの金を叩いて買い、ハルを家に連れて帰った。

 これですべてが解決するとは思えなかったが、少しでも手がかりがほしい。ハルを助けるための希望を、どうか一つでも。 

「くそ……なんて書いてあるんだ。訳分かんねぇ、古代文書かよ」

 すぐ側で毛布にくるまって眠っているハルの頭を撫でながら、もう片方の手で辞書を開く。
 物心ついたときから一人で生きてきたせいか、ろくに勉強なんてしたことはない。じっとして何かを学ぶよりも、身体を動かして生きるための糧を得ることのほうが俺にとっては重要だった。

 少なくとも勉学を務めてこなかったことに後悔はなかった。たった今この時までは。

「ダメだ……どうすればいいか分かんねぇな」 

 何時間も調べて分かったのは『番』は本当に存在するということ。
 特例を除き、同じ種族同士でなければ関係を成せないこと。

 で誓いを結べば、永遠に契りを破ることはできない。つまり、番同士は心も身体も離れることはできなくなる、ということ。

 番の証とやらに関しては、一切記載はない。
 ハルの胸元とローベルトの胸元に刻まれた不気味な紋章がきっとそうなのだろう。

 あれは呪いの一種か何かなのだろうか。
 消し去ることはできるのだろうか。
 消えたらローベルトの呪いからハルは解放されるのだろうか。

「……無駄に時間費やしただけで何の解決にもなってねぇ」

 文字の羅列から目を逸らし、穏やかに眠っているハルをじっと見つめる。

 交友関係が広ければ、誰かに助けを乞うこともできたかもしれない。仲間が一人でもいれば、他に解決の道を模索することができたのかもしれない。

 一人で生きる道を選んだのは紛れもなく俺だ。
 自業自得、という言葉が相応しい。

 俺の不甲斐なさのせいで、ハルが他の男に奪われるかもしれない。それだけは死んでも嫌だ。

 今できることは、ハルが糞野郎ローベルトに攫われないようにすることだけだ。

「……んっ、んぅっ…………」

 気を失ってからずっと夢の中にいたハルがもぞもぞと動き出す。ぴくぴくと別の生き物のように動く片耳に思わず口元を緩めそうになったが、ふと先ほど糞犬ローベルトがハルの耳に口づけていたのを思い出してしまった。

 あの変態犬。絶対にいつか殺す。

「ふ……っぁ……?」

 やっと眠りから目を覚ましたのか、ハルが気の抜けたような声を漏らす。とろんとした目で周囲を見渡す彼女を抱き上げてそのまま膝の上に座らせると、ハルはわずかな間を経て柔らかな笑みをこぼした。
 未だに動き続ける山吹色の毛に包まれた耳を指先で強く擦ってやれば、甘えるようにして俺に抱きつく。

 安心した。
 いつものハルだ。

「ここどこ……? スザクが甘やかしてくれてる……こんなこといつもだったらないのに……もしかして、夢……?」

「ああ、夢かもな。夢ついでにこれ飲め」

 幸せそうに目元を綻ばせていたハルの表情が一変する。
 ひょいっと袋から取り出した薬を見るなり顔を蒼白くさせ、俺の腕の中から逃げようと暴れ回った。

「やっ、苦いの嫌!」

「飲まねえと死ぬぞ」
 
 身体をうねらせるハルの腰を片腕で押さえつけ、もう片方の手で頑なに閉じられたハルの唇に薬を宛てがう。おそらく、風邪を拗らせたときに飲ませた薬の味がトラウマになっているのかもしれないが、こっちは財布を空にしてまで買ってきたんだ。
 意地でも飲んでもらう。

「んんっ、んうぁ」

 親指で無理やりハルの口を抉じ開け、薬を放り込む。
 そのまま飲み込んだほうが明らかに楽だろうに、それでもハルは口から薬を吐き出そうとする。どうにか流し込んでやろうとぬるくなったコップの水を飲ませようとしたが、ハルは子供ガキのようにイヤイヤと首を横に振った。

 何だ、この無駄な攻防は。
 さっきまではぐったりしていたのに抗う元気はあるのか。

「……おい、ハル。こっち向け」

 涙ぐみながら抵抗するハルに覆い被さったまま、コップ一杯の水を自分の口に流し込む。えっ、とハルが口を開けて硬直した隙を狙って、水を含んだままハルの唇に自らの唇を重ね合わせた。
 軟体動物のように捻れていたハルの身体が、一瞬で強張る。

「……っ、んっ……」

 唇から漏れた水がハルの唇を濡らす。
 はっ、と喉の奥から窄んだ冷たい息が、微温い液に遅れてハルの口内へと伝う。
 力の抜けたハルの手首から細い首へと手を滑らせると、喉が上下にこくっと動いた。

 酷く柔らかな唇に自分の唇をぐっと押し当て、惜しむように離す。目と鼻のすぐにあるのは透き通った瞳を大きく見開いたハルの顔。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたかと思えば、ゆっくりとゆっくりと表情を崩していった。
 
「もっかい……」

 濡れた唇からこぼれ落ちる震えた声。ハルはガラス玉の瞳から大粒の涙を次々と流す。阿呆かってくらい鼻水も垂らしている。

 俺はすぐにハルの頭を引き寄せ、もう一度唇を奪った。ハルの口の中にはもう薬はない。けれども、何度も何度も離しては触れ合わせて、しつこいくらいにハルに口づけた。

「スザク……」

 ハルは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を俺の頬に押し当て、俺にしがみつく。吃逆で小刻みに揺れている背中を撫でてやると、ハルは震える唇を徐に開いた。

「あ、のとき、怖い想いしたから、いま、こんなに幸せな夢を見れているのかな」

 あのとき。街に行った日のことだろうか。
 ハルの身体は酷く震えている。

「あの日ね、私と似た耳と尻尾が生えたおっきなひとが出てきた途端、優しかったリオンも急に怖くなって、私を捕まえようとして。逃げようとしたらいっぱい、いっぱい」

「……ハル」

「痛くて怖くて、スザクの名を叫んだら、胸を変なもので焼かれて、心臓がぐちゃぐちゃにされたみたいに痛くなって、あの人、そんな私を見て嘲笑ってた。怖い、こわい、今も、あの人の顔ばっかり頭の中に浮かぶの。あの人でいっぱいになって、大切なことにもやがかかったみたいになって、なんだか、スザクのことも」

「ハル。もういい」

 助けを求めるように話し続けるハルに、堪らずその小さな身体を抱き締める。

 怖い想いをさせてしまった。
 俺が安易にハルを他の人間と仲良くさせなければよかったのか。
 俺がハルを見守っていれば、こんなことにはならなかったのか。

 だが、今更だ。
 今の今になって、いくら悔やんでももう遅い。

「ハル。お前は悪い夢を見ていただけだ。すべて忘れろ。忘れて、これからは俺の側から離れないようにしろ」

「……ずっと一緒にいていいの? ウザいって言わない?」

「いいって言ってんだろ」


 赤く染まったハルの鼻先をぎゅっと指先で摘む。 
 ハルは嫌な顔ひとつせず、いつものように笑う。


 大丈夫だ。ハルはきっと変わらない。
 呪いごときに屈することはない。

 きっと、きっとそうだ。

 もし何かあったとしても、俺がハルを守ってやればいい。
 絶対に守ってみせる。




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