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10話
しおりを挟む「はっ、なんだよこれ」
床に広げた純白の花嫁衣装を前に、乾いた笑い声しか出なかった。ローベルトに対する殺意やら軽蔑、そしてウェディングドレスを切り裂いてやろうかという僻心と実行に移せない無気力さ。
花嫁衣装を破り去っても、番の証が消えるわけではない。ローベルトから逃げようとも、ハルが助けられるわけではない。
リオンが訴えていた言葉だけが、ぐるぐると頭の中を回る。
どうすればよいか、俺にはもう分からない。
「……ハルの様子、見に行くか」
気づけばもう真夜中を迎えていた。幸い、今日のハルは食欲が多少あったのか、山菜のスープを残さずに飲み切ってくれた。美味しい美味しい、と何度も掠れた声で言ってくれた。あとはゆっくり休んでくれれば、体調も少しはマシになるだろう。願いにも近い言葉を心の中で呟きながら、重い腰を上げたそのときだった。
「あ、あの」
ふと聞こえた声に扉の先へと視線を移す。
わずかに開いた扉の隙間から見えたのは、遠慮がちにこちらを覗くハルの姿。自力では立てないほど体調が優れなかったはずなのに、ソファーから起き上がれたのか。
内心驚きながら彼女を見つめていると、ハルはふらついた足取りで俺の元まで歩み寄ってきた。
「ハル。お前、体調は……」
「ありが、とう。もう大丈夫だよ」
ハルは力の抜けた笑顔を浮かべる。
赤くなった目尻に、痩けた頬。立っていることが限界だと言うように震えている両脚。大丈夫ではないということは見て明らかだったが、何も言葉は返さずに、ハルの腕を支えてやることに徹した。
「これ、なに?」
「……あっ」
俺の腕を掴んだまま、ゆっくりと腰を下ろすハル。彼女の視線の先には、皺一つないウェディングドレスが敷かれている。
やめろ、そんなものに触るな。そう忠告しようと思ったものの、笑顔で透明なベールを纏う彼女を見てしまったら、もう何も言えなくなってしまった。
「ふふっ、似合う?」
ハルは無垢な笑顔を浮かべ、問い掛ける。
似合っているなんて言えるわけねーだろうが。他の男からの贈り物なんてよ。
「……どうしたの?」
屈んだままのハルから目を逸らし、その場に跪く。ハルは困ったように小首を傾げ、俺を見つめる。あまりにも反応がない俺を不審に思ったのか、指先で前髪を退けて俺の顔を覗き込もうとした。
「……ハル。もうこの家から出ていけ」
「え?」
ハルの瞳が左右に泳ぐ。
あと少しで触れそうになった指先は、宙で動きを止めていた。
駄目だ。見るな、ハルの顔を見るな。
心が揺らいでしまう。
「明日になったらお前の仲間が迎えに来る。そいつらと一緒に出ていけ」
「……どうして? どうしてそんなこと言うの?」
「どうしてはこっちの台詞だ。なんでずっとここにいるんだよ。お前はいつまで他人の家に棲み着く気だよ。それに人の名前を忘れるわ、世話までさせるわ。そんな薄情な犬のために貴重な時間使ってまで俺に苦労させんな」
必死に頭の中で振り絞った言葉が、呆気なく口から溢れていく。
ハルの顔がまともに見ることができない。ただ、ハルが俺に突き刺さるような眼差しを向け、じっと石のように固まっているのは分かった。
そんな目で俺を見るな。
どうせ忘れるのなら、さっさと記憶から消してくれ。
「私のこと、嫌いになった?」
「……いいから、出ていけ」
「……わたしに、出会わなければよかった?」
「いいからこの部屋から出ていけって言ってんだろ!」
ベールを握り締めたままのハルの腕を掴み、もう片方の手でドレスを引き摺る。怒鳴られても俺から目を離さないハルを扉の外へと押し出し、ドレスごと部屋から閉め出した。
最後までろくに目も合わせないまま、追い出して、しまった。
「……最低だ」
最後の最後までこんな態度しかできない。
情けないにも程がある。
せめて、ハルに触れたあの日に自分の想いを素直に告げていればよかったのか。いくら後悔しても、もう遅い。いつだって全部が今更過ぎるんだよ。
「……やっぱり一人がお似合いだ、俺は」
物音一つ聞こえない扉を背に、床に向かって嘲笑を浴びせることしかできなかった。
***
しばらくして寝室を覗きに行くと、ベッドの端に身を寄せて眠るハルの姿が見えた。背を向けているせいで顔は見えない。床には綺麗に折り畳まれた花嫁衣装が置かれている。
「……ちゃんと寝れたのか」
いつもは熱に浮かされて苦しそうに眠っていたのに、今日は静かに寝息を立てている。発作を起こすこともなく、穏やかな呼吸を繰り返していた。
俺がいなくても問題なく眠れているじゃないか。寧ろ、俺が側にいたからこそ苦しかったのか。
だが、俺がいなくなれば、もう辛い想いをすることはない。
これで本当に最後にしよう。
「……いらなかったら捨ててくれ」
衣嚢に忍ばせていた髪飾りを取り出し、朝日に照らされるベールの上に添える。一瞬、背後から寝台の軋む音とハルの声が聞こえたような気がしたが、振り返らずに部屋を後にした。
ハルの匂いが染み付いた古寂びた廊下を歩き、何度もハルを見送った想い出ばかりが浮かぶ玄関の扉を開ける。
鼻につく匂いがしたからなんとなく分かってはいたが、扉の先には気色の悪い笑みを浮かべるローベルトの姿があった。手紙での予告通り、ハルを迎えに来たのだろう。ご丁寧に小綺麗な馬車まで用意してやがる。
「ふっ、逃げずに待っていたか。我が番と無理心中でもされるのではないかと些か不安を抱いていたが」
余裕をかますように鼻息を漏らすローベルト。
あれだけ殺してやりたいと思っていたはずなのに、今は殴る気力すら湧かない。ハルを本当に失うという事実に直面した今、心と身体が喪失感に蝕まれていた。
「ハルはもうすぐ来る。勝手に連れて行けばいい。だが、二度と暴力は振るうな。苦しい想いをさせるな」
「……そこまで素直だと気味が悪い。だが、約束はしよう。大切な番だからな」
ローベルトが再び口元を歪ませたそのとき、背後から小さな足音が聞こえた。カツン、カツンと踵の鳴る音に合わせて、玄関の扉から姿を表した一匹の半獣。
振り返った先に佇んでいたのは、花嫁衣装を纏ったハルだった。
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