5 / 16
第1章 冴えない夫
5話
しおりを挟むエイヴァに初めて会ったのは五年前。
彼女はもう覚えていないかもしれないが、アルフィーが王都騎士団に入団して一年経ったばかりのちんちくりんだった頃、美しいドレスを纏ったエイヴァを庭園の四阿で見かけたのだ。
『あっ、あ、あのっ、これ……』
新米騎士のアルフィーは側に落ちていたハンカチを拾い、恐る恐るエイヴァに忍び寄る。ベンチで腰を掛けていたエイヴァは俯かせていた顔をゆっくりと上げ、視線をアルフィーに向けた。
(わっ)
目つきは悪いが、かなりの美人だ。
庭園の中央で群がっている貴婦人達が霞んで見えるほどに。
まだ十五にも満たなかったアルフィーは胸の高鳴りを誤魔化すように頭を下げ、顔を逸らしたままハンカチを差し出した。
きつく握り締めたハンカチが湿っていることに気が付いたのは、そのときのこと。
『……ありがとうございます』
少しだけ、声が震えている。
アルフィーは声に吊られるように勢いよく顔を上げ、エイヴァの目尻がうっすらと赤く腫れていることを察した。
泣いていたのだろうか。哀しいことがあったのだろうか。しかし、女性と接する機会が雀の涙ほどしかなかったアルフィーにはどうすればいいか分からない。
アルフィーは無駄に周囲を見渡してはそわそわと後退したり前進したり。瞬きもせずにじっと自分を見つめる彼女を前に、気を動転させていた。
『こ、これ、よかったら食べてください!』
何を思ったか、アルフィーは小腹が空いたときのためにと取っておいた小袋に包んでいた焼き菓子を差し出した。今思えばどこぞの輩がくれた食べ物なんて口にするわけないのだが、純粋で童貞のアルフィーにはそれ以外の気遣いが思い付かなかったのだ。
『そ、それでは失礼致しますっ』
アルフィーは逃げるようにその場を去っていく。
背後からやたらと視線を感じたが、振り返る余裕なんてなかった。
その日の夜も数週間経っても、他の美しく若い娘との縁談が舞い込んだ日も、その後娘の家から冴えない男との結婚は無理だと後々断られた時も、上官からこっぴどく叱られた日も、何年の月日が過ぎようとエイヴァのことを忘れることはできなかった。
我ながら酷く初恋を拗らせてしまったと、アルフィーは失念した。
最後にもう一度だけでも会えればと思いつつ迎えた十八歳。まさかアンドリュース家から婚約話が持ち込まれるとは。その娘が自分の初恋の相手だなんて、アルフィーは思いもしなかった。
***
「ううん、エイヴァ……」
アルフィーは倦怠感に身を委ねるように、腕の中の温もりをぎゅっと抱き締める。鼻から脳へ、蕩けるような甘い香りが広がり、心地よい感覚に包まれていく。アルフィーはうへうへと妙な声を漏らしながら、目を開け──その数秒後に発狂した。
「えっ!?」
エイヴァだと思って擁いていたのは黒髪の女だった。後ろを向いていて顔は見えないが、白く透き通るような背中が丸見え。首筋には蝶型の痣がいくつもある。どこからどう見ても裸だ。そして自分も恥部を曝け出した素っ裸だ。
「え……えっ!?」
アルフィーは寝台から飛び起き、無意味に自分の胸を隠す。
周囲を見渡すと、そこは幾つものベッドが並べられた場所。アルフィーが幾度となく世話になってきた騎士団本部の救護室だった。
銅像のように硬直し、アルフィーは熟考する。
昨夜、ジョセフ副騎士団長の鼻の吹き出物を見てから記憶が乏しい。酒を飲んで気を失って、今起きたらなぜか裸の見知らぬ女と寝ていた。
つまりのつまり、これは。
──アルフィー様。不義を働いたら許しませんからね。
脳裏に浮かぶのは、教会でエイヴァと誓いを結んだあの時の言葉。熱が迸っていたアルフィーの身体から一瞬にして冷や汗が滲み出す。
背を向けたまま眠っている黒髪の女からゆっくりとゆっくりと距離を取り、アルフィーは裸のまま外套を羽織って救護室を飛び出した。
12
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる