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第1章 冴えない夫
4話
しおりを挟む何を隠そう、アルフィーは酒が大の苦手だった。
結婚前は家や仕事の付き合いで無理して飲んでこともあったが、大体途中で記憶を失っていた。結婚してからは、晩餐会でもエイヴァの抜かりない気遣いで中身をアルコールが抜かれた果汁液に入れ替えるよう手配してくれていたため、失態を犯すことはなく。完璧な妻がいたからこそ、数ある苦難を乗り越えられてきたのだが──
「ほら、まずは一杯目。飲みな」
「うっ……」
アルフィーは押し付けられたワイン入りのグラスを睨んでは顔を歪め、周囲をさりげなく見渡す。場所は騎士団員の集い場でもある食堂。普段は品性を保っている仲間達も、夜のこの一時は声に出して笑ったりと素を曝け出していた。
今、ここにエイヴァはいない。
むさ苦しい男達と、騎士団専属の使用人と思われる女達が壁際で待機しているだけだ。
「何だ、飲めないのか?」
煽るジョセフ副騎士団長の声に、周囲の視線がアルフィーに寄せられる。
ここで上司である副騎士団長の酒を拒めば、これ以上落ちることが難しい下っ端の地位から更に堕ちてしまう。下手をすれば騎士団追放か。そんな状況にでもなれば、エイヴァに更に恥をかかせてしまう。
それに、元婚約者とはどういうことなのか。
エイヴァのことも知っておきたい。
アルフィーはそそがれたワインを一気に喉の奥へ流し込んだ。
「ぐ、うぼっ……」
糞ほどに美味しくない。
幼い頃、母に飲まされた薬草のスープの方がまだマシだ。
吐きそうになるのを堪えつつ、アルフィーは床に足を踏ん張らせる。問題はない、まだ一杯目。一昔前は酒やエールを常飲することが当たり前の時代だった。これくらいであれば、意識は飛ぶことはない。
「エイヴァのこと、そんなに知りたいのか。あの女、顔だけは美人だもんなぁ」
ははは、とジョセフ副騎士団長は声に出して笑う。
エイヴァに顔だけしか取り柄がないなんて、そんなことはない。エイヴァは時折顔は怖いけれど気は利くし上品だし、それで以て家柄の高さや美貌を鼻にかけたりはしない。顔は怖いけれど彼女なりに優しさはあるのだ。顔は怖いけれど。
「アルフィー。お前はエイヴァの夫なのに知らなかったのか。あの女は見てくれだけ取り繕った悪女なんだよ」
「……あく、じょ?」
どぼっと、赤黒い液体が空になったグラスに流れていく。続きを聞きたければもう一杯飲めと、副騎士団長は無言の圧力を掛ける。
アルフィーは一瞬の躊躇いを見せながらも、もう一度酒を胃袋に落とし込んだ。酒を摂取してそれほど時間も経っていないのに、身体がふわふわと浮かんだような感覚に溺れていく。
「ああ、そうだ。当時俺と親しかったリーリエに嫉妬したのかは知らないが、裏で彼女を苛めては悪評を流したりな。夜会で婚約破棄されたことが気に喰わなかったのか、終いには俺に暴力までふるいやがった」
「り、りえ」
──リーリエって、誰だっけ?
アルフィーは朦朧とする意識の中、頭を回転させる。
そういえば、副騎士団長は何年か前に結婚の話が流れ、新たに男爵家の娘と結婚したと聞いていたような。一度、騎士団本部に顔を出した小柄な女がそうかもしれない。上官やら偉い身分の男達には愛想を振る舞い、その時廊下掃除をしていたアルフィーはゴミ屑を見るような目で見下され、舌打ちまでされた記憶がある。
そのとき十四の若造だったせいもあり、アルフィーは若干の女性恐怖症になっていた。
「え、えいゔぁが、ぼうりょくなんて」
「本当だよ。頬を拳で殴りやがった。少しは嘆いたり跪いたりすれば、許してやっても良かったのにな。エイヴァも馬鹿な女だよ。こんな冴えない男の妻になるくらいなら、俺の愛妾になる誘いを断らなければよかったのに」
「あっ」
──愛妾!?
という言葉は嘔気に呑み込まれる。
アルフィーは口元を咄嗟に覆い、蔑んだような表情を浮かべる副騎士団長に辛うじて睨みを利かせようとした──が、胃を揉まれるような気持ち悪さに襲われ、それどころではない。
「今頃後悔しているんじゃないか。自分が馬鹿な過ちを犯さなければこんな事態にはならなかったと」
「う、うぷっ」
「俺への当てつけか知らないが、ただ若いだけの男を選ぶとは」
細身である副騎士団長の姿形が軟体動物のように歪み始める。
まずい。相当強い酒なのか、立っていることすら危うい。さすがに皆が見ている場で嘔吐でもしようものなら、大問題になってしまう。
アルフィーは蹌踉めく足で副騎士団長の前に立った。
「ふっ、何だ。怒っているのか? だが事実だろう。エイヴァにお前は相応しくない」
「……はっ、ひっ、え、えい……」
エイヴァの悪口を言ってきたかと思えば、今度はアルフィーに対する喧嘩の吹っ掛けか。
自分が反抗できない下っ端であるからこそ、この大きな態度を取っているのもしれない。アルフィーも自分のことだけを言われたのであれば「そうですよね」と薄ら笑いを浮かべることしかできなかっただろう。
だが、しかし。今は違う。
愛する妻のことを公の場で侮辱されて黙っているわけにはいかない。
一言だけでも反論して、すぐに外へ駆け込もう。吐くために。
「……エイヴァ、は、おれのつまで、す。わる、く、いわな……よば、な」
「あぁん? なんだって?」
阿呆面を浮かべた副騎士団長が、アルフィーの顔を覗き込む。どうしてこのタイミングでそんなに顔を近づけてしまうのか。副騎士団長と視線が絡まったたった数秒間が永遠にも感じられる。
──あっ、この人。よく見てみると鼻の頭に小さな吹き出物がある。
そんなどうでもいいことを考えた途端に、理性では抑えきれないほどの嘔気が吐瀉物諸ともアルフィーの口から解放された。
「ひっ!? アルフィーが吐いたぞ!」
「ちょっと、副騎士団長、大丈夫です……くさっ!」
「上司の顔に吐き出すやつ初めて見たぞ……」
「アルフィー様、しっかりして下さい」
「二人共倒れた! 誰か救護班を呼べ、あと清掃用具!」
一段と騒がしさを増す騎士団食堂。
副騎士団長に吐瀉物をぶちまかすとは、ある意味物申すよりやらかしてしまった。もう騎士団追放どころか国外追放されるかもしれない。エイヴァと距離を縮めるどころか、自ら吹っ飛ぶ勢いで離れていく形となるとは。
アルフィーは消えゆく意識の中、心の中でエイヴァに懺悔をした。
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