4 / 16
第1章 冴えない夫
4話
しおりを挟む何を隠そう、アルフィーは酒が大の苦手だった。
結婚前は家や仕事の付き合いで無理して飲んでこともあったが、大体途中で記憶を失っていた。結婚してからは、晩餐会でもエイヴァの抜かりない気遣いで中身をアルコールが抜かれた果汁液に入れ替えるよう手配してくれていたため、失態を犯すことはなく。完璧な妻がいたからこそ、数ある苦難を乗り越えられてきたのだが──
「ほら、まずは一杯目。飲みな」
「うっ……」
アルフィーは押し付けられたワイン入りのグラスを睨んでは顔を歪め、周囲をさりげなく見渡す。場所は騎士団員の集い場でもある食堂。普段は品性を保っている仲間達も、夜のこの一時は声に出して笑ったりと素を曝け出していた。
今、ここにエイヴァはいない。
むさ苦しい男達と、騎士団専属の使用人と思われる女達が壁際で待機しているだけだ。
「何だ、飲めないのか?」
煽るジョセフ副騎士団長の声に、周囲の視線がアルフィーに寄せられる。
ここで上司である副騎士団長の酒を拒めば、これ以上落ちることが難しい下っ端の地位から更に堕ちてしまう。下手をすれば騎士団追放か。そんな状況にでもなれば、エイヴァに更に恥をかかせてしまう。
それに、元婚約者とはどういうことなのか。
エイヴァのことも知っておきたい。
アルフィーはそそがれたワインを一気に喉の奥へ流し込んだ。
「ぐ、うぼっ……」
糞ほどに美味しくない。
幼い頃、母に飲まされた薬草のスープの方がまだマシだ。
吐きそうになるのを堪えつつ、アルフィーは床に足を踏ん張らせる。問題はない、まだ一杯目。一昔前は酒やエールを常飲することが当たり前の時代だった。これくらいであれば、意識は飛ぶことはない。
「エイヴァのこと、そんなに知りたいのか。あの女、顔だけは美人だもんなぁ」
ははは、とジョセフ副騎士団長は声に出して笑う。
エイヴァに顔だけしか取り柄がないなんて、そんなことはない。エイヴァは時折顔は怖いけれど気は利くし上品だし、それで以て家柄の高さや美貌を鼻にかけたりはしない。顔は怖いけれど彼女なりに優しさはあるのだ。顔は怖いけれど。
「アルフィー。お前はエイヴァの夫なのに知らなかったのか。あの女は見てくれだけ取り繕った悪女なんだよ」
「……あく、じょ?」
どぼっと、赤黒い液体が空になったグラスに流れていく。続きを聞きたければもう一杯飲めと、副騎士団長は無言の圧力を掛ける。
アルフィーは一瞬の躊躇いを見せながらも、もう一度酒を胃袋に落とし込んだ。酒を摂取してそれほど時間も経っていないのに、身体がふわふわと浮かんだような感覚に溺れていく。
「ああ、そうだ。当時俺と親しかったリーリエに嫉妬したのかは知らないが、裏で彼女を苛めては悪評を流したりな。夜会で婚約破棄されたことが気に喰わなかったのか、終いには俺に暴力までふるいやがった」
「り、りえ」
──リーリエって、誰だっけ?
アルフィーは朦朧とする意識の中、頭を回転させる。
そういえば、副騎士団長は何年か前に結婚の話が流れ、新たに男爵家の娘と結婚したと聞いていたような。一度、騎士団本部に顔を出した小柄な女がそうかもしれない。上官やら偉い身分の男達には愛想を振る舞い、その時廊下掃除をしていたアルフィーはゴミ屑を見るような目で見下され、舌打ちまでされた記憶がある。
そのとき十四の若造だったせいもあり、アルフィーは若干の女性恐怖症になっていた。
「え、えいゔぁが、ぼうりょくなんて」
「本当だよ。頬を拳で殴りやがった。少しは嘆いたり跪いたりすれば、許してやっても良かったのにな。エイヴァも馬鹿な女だよ。こんな冴えない男の妻になるくらいなら、俺の愛妾になる誘いを断らなければよかったのに」
「あっ」
──愛妾!?
という言葉は嘔気に呑み込まれる。
アルフィーは口元を咄嗟に覆い、蔑んだような表情を浮かべる副騎士団長に辛うじて睨みを利かせようとした──が、胃を揉まれるような気持ち悪さに襲われ、それどころではない。
「今頃後悔しているんじゃないか。自分が馬鹿な過ちを犯さなければこんな事態にはならなかったと」
「う、うぷっ」
「俺への当てつけか知らないが、ただ若いだけの男を選ぶとは」
細身である副騎士団長の姿形が軟体動物のように歪み始める。
まずい。相当強い酒なのか、立っていることすら危うい。さすがに皆が見ている場で嘔吐でもしようものなら、大問題になってしまう。
アルフィーは蹌踉めく足で副騎士団長の前に立った。
「ふっ、何だ。怒っているのか? だが事実だろう。エイヴァにお前は相応しくない」
「……はっ、ひっ、え、えい……」
エイヴァの悪口を言ってきたかと思えば、今度はアルフィーに対する喧嘩の吹っ掛けか。
自分が反抗できない下っ端であるからこそ、この大きな態度を取っているのもしれない。アルフィーも自分のことだけを言われたのであれば「そうですよね」と薄ら笑いを浮かべることしかできなかっただろう。
だが、しかし。今は違う。
愛する妻のことを公の場で侮辱されて黙っているわけにはいかない。
一言だけでも反論して、すぐに外へ駆け込もう。吐くために。
「……エイヴァ、は、おれのつまで、す。わる、く、いわな……よば、な」
「あぁん? なんだって?」
阿呆面を浮かべた副騎士団長が、アルフィーの顔を覗き込む。どうしてこのタイミングでそんなに顔を近づけてしまうのか。副騎士団長と視線が絡まったたった数秒間が永遠にも感じられる。
──あっ、この人。よく見てみると鼻の頭に小さな吹き出物がある。
そんなどうでもいいことを考えた途端に、理性では抑えきれないほどの嘔気が吐瀉物諸ともアルフィーの口から解放された。
「ひっ!? アルフィーが吐いたぞ!」
「ちょっと、副騎士団長、大丈夫です……くさっ!」
「上司の顔に吐き出すやつ初めて見たぞ……」
「アルフィー様、しっかりして下さい」
「二人共倒れた! 誰か救護班を呼べ、あと清掃用具!」
一段と騒がしさを増す騎士団食堂。
副騎士団長に吐瀉物をぶちまかすとは、ある意味物申すよりやらかしてしまった。もう騎士団追放どころか国外追放されるかもしれない。エイヴァと距離を縮めるどころか、自ら吹っ飛ぶ勢いで離れていく形となるとは。
アルフィーは消えゆく意識の中、心の中でエイヴァに懺悔をした。
12
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる