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第3章 二人の選択
7話
しおりを挟む舞踏会から逃げるように屋敷へと帰ってきたあとのこと。
テオのために用意しておいた食事をどうしようかと、クリスタは虚ろな瞳でテーブルに並べられた料理を見つめた。
今頃、テオはアリシアと二人で古城で過ごしているはず。もしかしたら、今宵は屋敷には帰ってこないかもしれない。昔の恋人と二人だけの時間を過ごして、そのまま。
舞踏会で二人が踊っていた記憶がじわじわと脳を淀ませ、クリスタは堪らず机に突っ伏した。
嫌な妄想ばかりをして、うじうじと悩んでいる自分が本当に嫌になる。別れると決めたのは、クリスタの意思なのに。
(……そういえば、離婚するにはどう手続きを済ませるんだろう)
クリスタはふとした疑問を脳裏に思い浮かべ、同時に自分に対する嫌悪感にまた溜め息を漏らした。
結婚をした身にもかかわらず、クリスタは別れる術すら知らない。今までもずっとそうだった。クリスタがなにかを知るときは、ほとんどが受け身の状態。自分はただ呆然とそこに立っているだけ。
あのときアメリアに言われた通り、クリスタは両親に甘やかされて育ったお嬢様。父親の目に届く範囲内でしか行動をせず、一歩足りともその枠から足を踏み出したことはない。
まるで籠に囚われた鳥のように、クリスタは憐れで無知な存在だった。
きっと、離婚したいと言えば、父親は苦い顔はすれども承諾してくれるだろう。そしてまた、父親が新しく用意した道を歩んでいく。
従順で素直なクリスタ。
言われるがままに生きるただのお人形。
こんな人間だから、誰よりも大切な人を傷つけてしまったのかもしれない。
「…………テオ」
思えば、クリスタにとってテオは、初めて自分で選んだヒトだった。だからだろうか。クリスタがテオにこんなにも執着してしまうのは。
テオが側からいなくなってしまったら、クリスタはまた──
「……っ……」
目尻を伝う生温かな感触を手の甲で拭い、視界を暗闇へと閉ざしていく。ぼんやりと瞼の裏に映ったのは、テオの後ろ姿。彼はクリスタの想像の中ですら振り返ってはくれない。
クリスタは心を煩わせる寂しさに呑み込まれるように、夢の世界へと堕ちていった。
❈ ❈ ❈ ❈ ❈ ❈ ❈❈❈❈❈❈❈
都市の外れにある森の中の小さな教会。
窓から射し込む陽の光が、聖壇の奥に掲げられた十字架を優しく照らしている。美しい花嫁と新郎が向かい合う傍らで、二人を見守る人々の中には、涙を流す者もいた。
しかし、祝福を受ける側のクリスタの表情は、幸せの欠片も感じられないほど曇りがかっている。この日を迎えてしまったことを嘆いていた彼女は自然と伏し目がちになり、夫となったテオと目を合わせられないでいた。
『──それでは、誓いの口づけを』
このまま式が取り止めになってしまえばいいのに。そんなクリスタの願いは無情にも崩れ去り、テオの両手によって透明なベールが持ち上げられる。
『……っ』
泣いている妻を前にしても表情一つ変えないテオの顔が、徐に近づく。瑠璃色の深い海のような瞳がクリスタを捉えて離さない。
小さな恐怖と未だに残る苦しさに、クリスタはきゅっと息を呑む。鼻先が触れそうになり、今までで一番彼との距離が近く感じられて。クリスタが睫毛を伏せようとしたそのとき、きつく結ばれていたテオの薄い唇がゆっくりと開いた。
『──さようならだ。クリスタ』
どこか憂いに満ちた表情で告げられた言葉。クリスタは呆然とテオを見つめる。どうしたの、と尋ねようとしたものの声を発することができない。
『──っ!』
光に満ちていた教会の景色からは一変、周囲は暗闇に包まれていく。
すぐ目の前にいたはずのテオの身体は遠ざかっていき、クリスタは思わず手を伸ばした。
「…………テ……オ……」
薄暗くぼやけた視界にかすかに見える黒い人影。クリスタが朦朧とする意識の中で手を伸ばすと、すぐに身体が温もりに包まれた。
「……クリスタ。起きたのか」
耳に吹き掛かる熱い吐息と掠れた声。
鼻腔にふわりと広がる大好きな人の匂い。
クリスタは温もりに凭れ掛かっていた身体を起こし、声の正体に目を凝らす。
夢の中で見た姿と同じ、黒く艶やかな髪と深い憂いを湛えた蒼く美しい瞳。クリスタの瞳に映ったのは、穏やかな眼差しを向けるテオだった。
いつものように冷たい表情ではない。どこか優しさが滲んだ瞳に、クリスタは夢の中に取り残されてしまったのかと錯覚する。
「……テオ…………」
これが自分がつくりだした幻想の世界ならば、どうか彼に触れることを許してほしい。心の中でそう口ずさみながら、クリスタはテオの広い背中に縋るように両腕を回した。
──夢の中のテオは優しい。
嫌っているはずのクリスタをすぐに抱き締め返して、頭まで撫でてくれる。今までに感じたことのない温もりにクリスタの瞳から自然と涙がこぼれ落ち、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……これは、ゆ……め……?」
クリスタの問い掛けに、一瞬時が止まる。山吹色の髪を何度も往き来していた大きな手は、ぐっと握り締められた。
「……そうだ。クリスタ、これは夢だ」
「そっ……か……」
夢ならば、どうか一秒でも長く。眠りから覚めないでほしい。
クリスタはテオを抱き締める力を強め、首筋に鼻先を擦り寄せる。テオはそんなクリスタを愛おしむように蟀谷に唇を押しつける。
本当はずっとこうしたかった。一度だけでもこうして触れ合いたかった。
「……クリスタ。聞いてくれるか」
子供を慰めるようにぽんぽんと頭を叩かれる。クリスタが潤んだ瞳を持ち上げると、テオは強張った面持ちで彼女の頬を包み込んだ。薄暗い中ほのかな灯りに照らされて、テオの瞳の奥がゆらゆらと燃えているように見える。
「明日、お前の父親ともう一人、別の人間がこの屋敷に来る。たとえなにがあったとしても、なにを言われたとしても、二人の後についていってほしい」
「……テオ、は?」
「俺は……明日、用事がある。一緒にはいられない」
テオの目がふとクリスタから背けられる。
なにか後ろめたいことでもあるのだろうか。胸騒ぎに襲われるクリスタの脳裏に浮かんだのは、美しいアメリアの姿だった。
そうか。テオはアメリアの元に行ってしまうんだ。だから、最後に自分へ別れを告げに来たんだ。最後だから優しくしてくれているんだ。
胸の奥を迸らせていた熱が、すっと引いていく。
「…………わかった」
テオの事情を察したクリスタはテオから腕を離し、涙を隠すようにシーツに顔を埋める。
夢の中でも現実に打ちのめされるだなんて、思いもしなかった。吃逆で背中を小さく痙攣させるクリスタに、テオは妻の温もりが消えた手を彼女の背中へと伸ばす。
「……クリスタ。今日はここで一緒に過ごしていいか」
震えているようにも感じられるテオの声。しばらくの沈黙の間を経て、クリスタはふるふると首を横に振った。
中途半端に優しくされるくらいなら、いつものように突き放してくれたほうがいい。クリスタは悲しみに身体を震わせながら、テオの最後の願いを拒んでしまった。
「……そうか。そうだな、すまなかった」
背中に触れていたテオの指先が、すっと離れていく。ぎしりと音を立てて寝台が軋めき、足音が次第に遠ざかっていく。
涙に濡れたシーツから顔を上げたときには、寝室にはクリスタ以外の誰もいなくなっていて。閉ざされた部屋の奥から、鈴の鳴る音と共に玄関の扉が閉まる音が聞こえたような気がした。
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