星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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46、高原の鬼女

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 アギレオの例をとってみても、動物と親しむから悪人ではないなどとは決められないが。
 背の弓と腰の剣を確かめてから、だがどちらも抜かず、まっすぐに一人と一頭の方へと歩き出した。
「失礼、そちらの方、」
 声を投げれば、抱えていた布袋を下ろし、ヒトとロバが同時に振り返る。
 すぐに興味を失ったようで、また草を食み始めたロバと違い、ヒトの方からは、間を置かず声が返された。
「何かご用かしら?」
 穏やかで、愛想のいい女性の声。
 だが、間を取らぬ返答は、距離を縮めるこちらを警戒する風でもあり、その身体に力がこもったのも見えた。
 恐らく腰の裏に武器を隠しているのだろう、片手が下がる。
「私は、この山の下、その向こうの森から来た者だ。麓の村から、見慣れぬ者がいるようだと知らされ、確かめに来たのだ」
 危害を加えるつもりではない、と示すため、話しながら両手を挙げてみせ。
「……ああ、鬼が出ると聞いたのかしら。それはごめんなさい、目につかないよう気をつけていたのだけど」
 手を下ろしてまた足を進めれば、警戒を解くとまでいかなくとも、様子を見る体勢に変わったようで。
「そうだ。…あなたは、ヴァルグ族だろうか」
 褐色の肌、人間の女性にしては少し背が高いだろうか。この距離では牙は見えないが、頭部に一対の角は、おそらくアギレオより大きいのではないだろうか。
 よく分からないなりに、若い女性ではない、ということも何となくは感じる。
「よくご存じね?」
 肩を竦める彼女に、もう一度足を止めて互いの間合いは侵さず、頷いてみせる。
「友人に、ヴァルグ族の男がいるのだ。彼と出会った時も、辺りには“鬼が出る”という噂があった。それで、ヴァルグ族の者がいるのではないかと思い、こうして足を運んだのだ」
「あら…」
 いつでも背に回せるようにと下げられていた彼女の腕が、前に出るのを見て、己も力を抜く。
「この辺りでは私たちの姿は恐ろしいようだから。その剣や弓で追い払おうというなら、戦わなくてはいけないわね」
「お互いに、そのつもりなら言葉を交わす前に飛びかかる方法もあるのではないか?」
 悪くないわね、と強かな笑みを見せる女性に、足を踏み出して近づいていく。今度は、警戒し直す様子もない。
「あなたの言う通り、この辺りではヴァルグ族の姿を見慣れず、誤解が起きるかもしれない。国にも麓の村にも、危険はないと知らせたい」
「そうしてもらえれば助かるわね」
 腕組みし、小首をかしげる女性に頷く。
「少し話を聞かせてもらえるだろうか。私はハルカレンディア。このクリッペンヴァルトの国軍に属している」
 騎士様かしら?と、彼女が相槌を打つのに、そうだと頷いて。ふふっと何故彼女が笑ったのか分からず、少し瞬く。
「私の名はアマランタ。西の大陸の山奥から出てきて、見たことのない植物を探しては集めてる、なんてことのない変人よ」
「アマランタ…!?」
 覚え、探すために何度も口にし頭に繰り返した名を聞いて、目を瞠った。同名ということもありえる、という考えも、植物を探し集めるという、彼女の旅の目的に打ち消され。
 ええ、そう。と、少し目を丸くしている彼女に、驚かせてはいけないと少し息を抜いて。
「植物についての本を何冊か記されただろうか。友人が気に入っていて、私も見せてもらったのだが…!」
 あら、と、表情を崩した彼女が、今度は本当に警戒を解いたのが分かる。
 ビーネンドルフへ買い出しに行く際、同じ著者のものがあれば入手して欲しいと、レビに頼まれた植物の図録が、脳裏に甦る。
「こうして旅をするための路銀ろぎんの足しにって、これも旅先で知り合った人が手伝ってくれたのよ。エルフがあれを読んでくれたなんて光栄だわ」
 あの豊かな本を書いたのはヴァルグ族の、しかも女性だったのかと、新しい知見と親しみで胸は熱い。
「詳しくないなりに図録や図鑑はいくらか見ることがあるが、あなたの本はとても面白かった。植物が好きであるのが、よく伝わる。しかもそれが生活のどんなことに役立つかなど、ごく身近で、生きることに密着した視点が胸を楽しくさせてくれた」
 あらあらまあまあ、と鈴を転がすようにアマランタが笑い、どうもありがとうと向けられる笑顔に、頷きを重ねる。
「失礼だが、紙と書くものをお持ちだろうか」
「ええ、簡単なもので構わなければ」
 構わないと頷き、天幕の傍に設えられた小さなテーブルと椅子も借りて、簡略な書式ながら署名入りの手紙を書く。
 ごく小さなものだが魔石も作って添え、手渡して。
「あなたがヴァルグ族の人間であり、価値のある植物学者であることを請け負うと書いてある。何か困ったことがあれば、いつでも王都を尋ね、これを見せてください。必ず誰かが手を貸してくれるはずだ」
 あらあらまあまあ、と、目を丸くして受け取られるのに、口癖なのだろうかと思わず頬笑んでしまう。
 私自身は王都ではなく、西の国境に就いていて、と砦の方向を指し示し。
 彼女の天幕の周りを連れ立って歩き、見えなかったがもう一頭いた二頭のロバと、どんな風に暮らしているのか説明してもらい。アマランタがここではどんな採集と研究をしているのか、どんな旅をしているのかと興味深く話を聞いて。
 この国の様子を案内したり、自国でありながらも足を踏み入れたことのない場所を教えられたりしている内に、傾く色の陽が目に留まり、矢のように時間が過ぎていたことに気づく。
 行かなくては、と、場を辞しようとした己に慌てる。
「あ! そうだった…」
 危ないところだった、と、息をつくのを不思議そうに見上げられ。少し思案の間を置き、口を開く。
「国境から王都に戻ったのは、その、友人のヴァルグの男が近頃少し妙だからなのだ」
 耳を傾けてくれるアマランタに、どう説明したものかと考え考え、アギレオの女性の伴侶が困っている話であるかのように、少し汗を掻くような思いで伝えた。
「それは“先祖返り”ね」
 あっさりと、王都の図書館でその端緒も見つけられなかったものを、簡単なように口にされ、心と腹の底から目を丸くする思いで。
「先祖返り?」
 少し歩きましょう、と、促され、天幕を離れて斜面を登り始める彼女の後につき。
 歩きながら彼女が語ってくれた不思議な話に、聞き入ってしまう。

 その昔、まだ人間と獣は通じ合わず、別々に暮らしていた頃。
 獣は人間の便利さを、人間は獣のするどい身体能力をうらやみ、天と地に相談した。
 天は、別の生き物をうらやむよりも己を磨くようにと教え、地は、獣が人間に、人間が獣になったら、今度はまた互いをうらやむのかと笑った。
 けれど、これを聞いていた森が、その相談を獣と人間の古い霊に伝えてやった。
 人間は人間として、獣は獣として生きるべきだと霊達も考えたが、ひとつの提案をした。
 互いを征服したり奪ったりせず、一生仲良く生活を共にできる獣と人間がいたら、この一族には古い霊――祖霊がつこう。祖霊が見守る一族だけは、獣でも人間でもある者として生きることができる。
 そうして、獣をうらやんだ人間と、人間をうらやんだ獣は一緒に暮らしてみることにした。
 この共同生活は何度も試されたが、上手くいくことはまれで、大抵は互いの暮らしがすぐに嫌になって自分の世界に戻った。

「けれど、ご存じの通りね。それが上手くできた数少ない者達が、獣人の先祖になりました。という言い伝えよ」
「それは…本当に初耳だ…」
 獣人というのは比較的新しく確認された人種で、その上同族だけで小さくまとまって暮らしていることが多い。まだまだ、エルフの知識においても、その全てを把握しているとは言いがたい。
「そうね。獣人って、あまり見ない上に、人間の街や集落に混じっている時は、そうだと名乗らないことが多いみたい」
 あまりいい顔をされない、というのは知っているし、砦に居着くまでは、自分自身も彼らを獣に近い何かだろうと考えていたのは否めない。
 なるほどそうか、と、ひとり深く頷きを重ねるところに、足を止めたアマランタが屈み。自分も身を低くして、彼女の仕草を見守る。
「それとは別に、ヴァルグ族には、ヴァルグ族のご先祖様の話があってね」
 地面に生えた草を見分け、何か探しているらしい。手伝いたいところだが、自分には彼女が何を探しているのか分からず、耳ばかり傾ける。
「獣人たちがいくつか生まれた頃、気が多くあちらこちらと目移りしたヴァルグのご先祖様は、あの獣と暮らしてみたい、この獣とはどうか、と、誰にも言わず色んな獣との暮らしを渡り歩いたの。今日は鹿と、今日は狼、また別の日は熊と、といった具合にね」
「それは忙しそうだ」
 夜ごと獣の巣を渡り歩くアギレオを想像して、思わず笑い。
「見事みんなに気づかれず、それぞれと一生を終えることができた、という時に、にょきにょきと角が生え、牙が生えてきたそうよ」
 なるほど、と、話のつながりに感心して相槌を打ち。
「角が生え牙が生え、身体は大きくたくましくなったのだけど、ヴァルグが何をしたのか気がついた祖霊は怒り、みんな彼を見捨てて、結局獣人にはなれず、ヴァルグは人間に戻ってしまいました。使い道のない牙と角はそのままに」
 興味深い、と頷きを重ねるところへ、あっとアマランタが声を上げる。
 これと同じ物を探してちょうだい、と、一節ひとふしの薬草を手渡されて受け取り。あまり馴染みのないものであり、匂いを嗅いで、そのかすかに柔らかい緑の香りに首を傾げた。
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